エピローグ あの道しるべのある宿で
フォルセルスが隠れたことを、隠れていたはずのアルファス、アグニ、エルメティア、アマノメヒト、そしてネイシスが、すべての神職に就いた者達に神力にて発表した。
信じられない神々の声明にあらゆる信者が混乱した。
神のお告げが真実かどうか。
それが教団間を跨いで議論され、結論が出る前に動揺は民衆へと広がった。
信じる神の居なくなった世界で、フォルセルス教徒達は正義を見失い、絶望する。
その世界を、ハンナは救わなくてはいけなかったのだが……正直な気持ち、アルトの胸ぐらを掴みながらガクンガクン頭を揺さぶりたかった。
なんて困難な仕事を投げっぱなしで、勝手に消えてしまったのだ! と。
フォルセルスの信者達は、一部が鬱状態となり、また一部が暴徒化した。
半分が改宗し、残るごく一部の信者は普通の生活を続けた。
大きな問題となったのは、フォルセルスが隠れたことで世界の秩序を守る魔法が消えてしまったことだ。
かつては格差による絶対的壁が、市民や制度の混乱を防いでいた。
その魔法が消失したことにより、低階位の者でも高階位の者に反旗を翻せるようになってしまった。
「神がいない世界でどう生きろというのですか?」
「なにを信じて良いのかわからん!」
「いままで神が道を照らしてくれていた。その神がいなくなったら、我々は道から落ちてしまう」
凶暴化した教徒達が鬱状態の教徒を煽動し、暴動が勃発。
最も信者の多いフォルセルス教なだけあり、国が傾くほどの内乱へと発展した。
はじめは小さな国家批判からだった。
だがそれは瞬く間に大きな示威運動へと発展した。示威運動で集めた寄付金が反社会組織へ流れ、国家の信頼を根も葉もない噂のみで揺るがした。
現在の平和は偽りとされ、否定・虚偽・情報操作・暴力により、実効性の乏しい理想論が席巻した。
泥仕合と化した内乱をハンナは、マギカとリオンを伴って次々と沈静化させていく。
いつも神が、「前に進め」「髪を洗え」「食事を取れ」「服を着ろ」って指示しているのか?
神の言葉がなくても、人は1人で歩ける。
その力が人種にはある。
そう信じ、また信じさせ、国の新しい枠組みを作り、アヌトリア帝国にも協力を取り付け、日那州国の全面支援を受けてハンナは、フォルセルスが消えた世界――“変異”後の混乱と戦った。
変異による戦いと混乱の世は、長らく続いた。
国によって開きはあるが、最も長いものでは、事態の沈静化に90年もかかってしまった。
ハンナは最も弱い自分が真っ先に死ぬだろうと常々に考えていた。
しかし、予想に反して真っ先に死んだのはマギカだった。
死因は老衰。
ある日ふらっと目の前から姿を消したと思ったら、数ヶ月後に山の中で栗鼠族の遺体が見つかった。
その遺体の片方の耳が欠けていたこと。さらに肌身離さず身につけていたハーグ製の首飾りが見つかったことから、その遺体がマギカのものと断定された。
彼女が一体どうして1人で孤独に死のうと思ったのか、ハンナには判らない。
しゃべることが苦手で決して弱みを見せない。真面目で不器用だった彼女の性格を思えば、死期が近いことを切り出せなかったのかもしれない。
だがせめて、一言でも挨拶を告げて欲しかった……。
彼女が逝ってから、ハンナは3日間も泣き続けた。
リオンは1ヶ月以上泣いていた。
彼――リオンについては、まったく老いがない。
さすがはヴァンパイアである。
だがヴァンパイアはまだまだ人に受け入れられない種族だ。
そも、彼はヴァンパイア種の唯一の生き残り。その存在があまりに異端すぎて、人に受け入れられる余地を見いだすのは難しかった。
見た目が変わらなさすぎれば、人は不信感を抱く。
マギカの退場より前に、リオンには表舞台から退場してもらった。
その代わり、勇者っぽい荒事にはすべて無名の英雄として参戦してもらった。
彼はよく「勇者の力を見せてやるぜ!」などと悦んで兵士の中に飛び込んでいったものだ。
その後、必ず袋だたきにされたが……。
御年120を超えて、半生を振り返った書を残したハンナは、己の中に蓄積された力の衰退をひしひしと感じていた。
もう長くはないだろう。
英雄の力のためか、己の寿命が手に取るように理解出来る。
心残りなのはやはり、アルトの名をこの世に残せなかったことだ。
最後に気力を振り絞り、英雄の力を用いて外伝の最後に書き込んだ『アルト』の名は、ハンナの願いもむなしく活版印刷時にそこだけが不自然に潰れてしまった。
最期は親族だけで。
その思いから、ハンナは本家(カーネル邸襲撃があってから、ハンナは分家になった)の子や孫、ひ孫を呼び寄せてひっそりと末期の談話を楽しんだ。
その夜。
命尽きる感覚が体を支配する中、ふとハンナは部屋に、何者かの気配を感じた。
命が失われている中にあってもなお、鋭敏な感覚がそれを捕らえたとき、ハンナは、くしゃくしゃになった顔をふっと緩ませた。
部屋の片隅に、10歳前後の少年が佇んでいた。
彼の黒い髪の毛は、カーネル家のものではない。
間違いなく部外者である。
だがハンナはそれが誰か、すぐに理解出来た。
まったく今頃現われるなんて……。
ハンナが手招きをすると、少年は音もなくハンナに近づいてきた。
その小さな体を、精一杯優しく抱きしめる。
ねえ、アルトさん。
ボクは真っ当に生きられたでしょうか?
貴方が守り抜いたこの命を、ボクは大切に使うことが出来たでしょうか?
ボクは上手に生きられたでしょうか?
英雄として、世界を救えたと思いますか?
ボクが生きたこの世界は、貴方の目にどう映っていますか?
尋ねると、少年が僅かに口を開いた。
――そう。
それは、良かった。
いままで生きてきて良かった。
貴方に出会えて、
貴方に救われて、
貴方がこの世界に居てくれて、
本当に、本当に、良かった……。
その生涯のすべてを、世界の秩序回復に捧げた大英雄。
聖人ハンナ・カーネルは、サクラの咲く季節に老衰のため没した。
享年123歳。
神が死んだ世界を救った大英雄の最期は、誰も見たことのない、まるで親に褒められた子どものような微笑みを浮かべていたという。
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ハンナの死の知らせは、当然のようにリオンにも届いた。
リオンは100年以上前からある宿の一室で、古ぼけた鞄を前に涙ぐむ。
ハンナ。マギカ。テミス。シトリー。オリアス……。
どんどん、自分の知っている人達が死んでいく。
わかっていたことだ。
自分は不死の生物。
死ぬことを極端に怖がったから、エルメティアに救われ、永遠に死の恐怖から逃れられる体を与えられた。
それは、すごくありがたいことだった。
けれど、やはり寂しさだけはどうしようもない。
いまはもう面と向かって口喧嘩できる相手もいなければ、胸襟を開ける相手もいない。
古い鞄が残ったここには、ルゥとリオンしか戻ってこなかった。
ルゥは……、一体いつまで生きるのだろう?
きっと不死のリオンより先に逝ってしまうだろう。
ルゥは不死ではないのだから。
しかし、それはそれ。これはこれだ。
いつもの天気な脳で気持ちを切り替え、けれど流れる涙と鼻水は止まらない。
ごしごし擦って無理矢理表情を変える。
頑張れオレ!
これから、魔物を服従させて覇王になるんだぞ!!
泣いてなんていられるか!
人種の敵は100年経っても変わらない。魔物である。
その魔物の被害がこのところ増えてきていた。
フォルセルスがいなくなったからか、それとも変異による内乱にて優秀な兵士が斃れてしまったからか。
あるいはどこぞの変態が魔物の数を減らさなくなったから、増殖してしまったのかもしれない。
であれば、リオンは勇者として影から人を支えるのだ。
人知れず魔物を減らす最強の勇者。
それは一体誰!?
密かに噂になる美男子勇者リオン・フォン・ドラゴンナイト・ブレイブの名……。
まさかあの無名英雄の!?
やべ……オレ、カッケェ……!!
頭の花が一気に先ほころんだとき、リオンは人の気配に気付いて息を潜めた。
まるでどこからかぬっと沸いて出てきたような気配である。
「勇者の感覚をすり抜けるとは……こいつ……デキる!」
リオンの警戒網は一般人でも容易にすり抜けられる大きな編み目を持っているのだが。
それはさておき、リオンが滞在している部屋に近づく不審人物である。
隣にいるルゥがにわかに動き出した。
その人物がある一定の距離に到達したとき、ようやくリオンも気がついた。
……いや、でも。
そんなはずはない!
その人物が扉を開いたとき、
「……っ!」
言葉よりも先に、100年間、胸に溜まったありとあらゆる感情が体を突き動かす。
黒ずみ、所々朽ちて千切れた、ボロボロのハリセンを抜き、思い切り振りかぶった。
そうして……、
魔剣【勇者のハリセン】が、
歓喜に沸き上がるが如く、甲高く嘶くのだった。
かつて、3人と1匹が残した、あの道しるべのある宿で――。
FIN




