おやすみなさい
最後にごく個人的な思いを記してボク、ハンナ・カーネルの自叙伝を締めくくろうと思う。
英雄としてのボクの記憶は、酷く散らかって汚い部屋の中で泣いている男性の姿から始まった。
なにがなんだか判らなかったけれど、さあこれから大変だぞ! と。それだけは理解できた。
部屋とは打って変わって、庭に咲いたサクラは美麗だった。この筆舌に尽くし難い美しさは、春になるとエアルガルド各地で確認出来るはずなので、一度サクラを探してもらいたい。
きっとこれを読む者も納得していただけるだろう。
意識を失って気がつくと英雄になっていた。
隣には頼れる二人の騎士がいて、僕を守ってくれた。この二人はボクの師匠に当たる人の仲間だった者達――そう、物語に登場した勇者リオンと危険因子のマギカだ。
他にも、沢山の人に支えられた。
その多くは、ボクがそれまで一度も関わったことのない人達ばかりだった。
やたらと脱ぎたがるイノハの酋長。
(彼はあの筋肉魔術を開発した人物だ)
それを咎めるケツァムの首相。
(彼女の結婚式で、ボクは涙が止まらなくなった)
顔を合わせてすぐ親しく接してくれた皇帝。
(はじめは一般人かと思った)
一番強いのに何故かモフモフに弱い天皇。
(彼女は最後までマギカの尻尾に触れなかった)
無言で手を差し伸べ、名も告げずに去って行った森の賢者達。
時々現れて悪戯を仕掛ける、可愛らしいハーフエルフの少女。
その少女に翻弄される最強の魔術師。
見た目は怖いけど心が優しいドワーフの夫妻。
世界中のギルドを繋いだ冒険者ギルドの名も無き職員。
みんな、まるで初めから知り合いだったかのように、あるいは長いあいだ共に旅をした仲間のように、ボクの背中を支えてくれた。
この縁を繋げてくれたのは紛れもない、師匠だ。
師匠がいたからこそ、ボクは彼ら彼女らと出逢うことが出来たのだ。
ボクの師匠は偉大な人だった。
その名を誰1人として知らないのは、いまでも残念でならない。
英雄の力を使ってボクは、あらゆる文献に師匠の名を刻もうと努力した。(本来英雄の力をこのような形で使うべきではなかった)
そのことについて、いま懺悔する。
ただ一つ断りを入れておくと、そのどれもが結果を残せなかった。
彼の名を刻もうとすればするほど、より深く、不可逆的に『変態』の文字が刻まれてしまうのだ。
誰しも名前を知らない。
けれど、『変態』と言えば誰もが知っている。
何故かは判らない。ボクの力でも通用しないことだ。
きっと他の誰にも、彼の名を世界に刻みつけることは出来ないだろう。
彼の存在が如何にボクにとって大きなものだったか……。
以前に出版した何巻にも渡るボクの自叙伝と、彼ら彼女らの話をつなぎ合わせて想像を頼りに書き上げた、この外伝を読了した者には、ボクが生き伸びるために彼が重要だったかが、理解していただけるだろう。
ここまでボクの著書を読んでくれた愛読者諸君には、是非彼の名前を覚えていてもらいたい。
師匠の名を知る権利が、諸君にはあるはずだ。
故に、ボクはここに書き記す。
偉大な師の名を。
彼の名は――――。
□ □ □ □ □ ■ □ □ □ □ □
「……何故予は負けたのだ?」
ネイシスの元に自然召還されたフォルセルスが言った。それは春の日に降る雪が地面で解けるように弱々しいものだった。
「さてね。なんでだと思う?」
「お前達がアルトにすべての神力を注いだからか?」
「そんなことをやろうとしたら、フォルなら気付くでしょ? ただ僕らが行ったのは1を付け加えただけ。残る9つは彼がはじめから、あるいは成長途中で身につけたんだ」
アルトは初めて戦った善魔の爆発に巻き込まれ、レアティス山脈の上空で木っ端微塵に吹き飛んだ。
本来なら彼はそこで死んでいたのだ。
だが、偶々穴蔵同盟全員が彼を見ていた。
その瞬間を、原初神6柱のうち5柱が見守っていた。
それだけですら、奇跡。
神々は失われた彼の肉体を、自らの分御霊を元に再生させた。
再生された体は、元のものとほぼ同じ。
ただ穴蔵同盟の力でも再生が不十分だったため、彼の器からエネルギーを拝借させてもらった。
あのとき彼の体は、まったく違う、けれど同様の体に入れ替わった。
これが穴蔵同盟が用意した、フォルセルスへの唯一の対抗策。
とはいえ5柱が聖祓した体を与えたからといって、強くなるわけではない。不死身になるわけでも。
そんな力を用いようとすれば、必ずフォルセルスが気付いて阻止しただろう。
「神代戦争の後、エアルガルド全土に【監視魔法】を使ったのがいけなかったのかもしれないね」
監視魔法はフォルセルスの御業。
元ある階級、秩序を絶対とし、それを決して逸脱させない強制力を働かせる。
それはフォルセルスの意識に無関係に働くシステムだった。
もしフォルセルスが1つずつ事案を精査し決定を下していれば、きっと彼は過労で倒れてしまっていただろう。
神に過労などという概念はないが。
その自立的に作用する魔法こそが、彼の足を掬った。
彼は自らの魔法のせいで、低階位の中から現われた、彼の秩序を脅かす者の存在に気づけなかった。
アルトが星Ⅰであり、人種にとっても神にとっても、世界にとっても取るに足らない存在であった。
だからこそ彼は最後の最後。
実際にその存在と対峙するまで、アルトを意識することが出来なかった。
フォルセルスはすべての人種を慈しむが故に、すべての人種が見えていなかった。
慈しみ、愛していたが、彼はあまりに清くありすぎた。
あらゆる人種を愛した彼は、あらゆる人種を真の意味で愛せなかった。
本当の愛は、あまりに利己的な念から現れるものだから。
常に利他的で正義を宿す彼に、本当の愛は生まれなかったのだ。
人体への降臨と、極限の戦闘、神力の行使、そして死亡により魂が疲弊したフォルセルスが、落ちる瞼を必死に持ち上げながら問う。
「シスは何故そこまで、ただのアルトに寄り添ったのだ?」
「見つけたからだよ」
「何を?」
「……太陽に溶ける海かな」
煙に巻きながら、ネイシスはフォルセルスの魂を胸に宿す。
きっと誰もが忘れている。
自分がこの場所に至った理由を。
過去にどんな苦悩を宿し、笑い、泣き、怒り、悲しみ、苦難を乗り越え、己を錬磨し、魂の終着点に至ったか。
そこに、〝誰かの愛があった〟ことを……。
おそらく神にとっては不要な記憶。
だから、魂が生まれ変わるときに、すべてが抹消された。
しかしネイシスは思い出した。
あくまで漠然と。
けれどその念は深く、ネイシスの魂と結びついていた。
ネイシスが思い出せたのは、偶々だ。
ただ彼女が魂の神だったから。
他神よりも魂を深く見通す力があったからに過ぎない。
おそらく穴蔵同盟の全員が、彼と結びついている。
誰1人、その念に至っていないだろうけれど。
フォルセルスと穴蔵同盟の明暗を分けたのは、その繋がり。
強い絆。
「1700年も、独りでよく頑張ったね。
よく一人で、過酷な道を歩き続けたね。
さすがに、もう疲れただろう?。
きっと、再びこの世界で目を覚ましたとき、君は驚くだろう。
この世界に溢れた色の数に。
そうなるように、僕らがしっかりと世界を守るから。
だからおやすみ、フォルセルス」




