四月一日の別れ
四月一日。
日本では嘘をついても赦される日と言われているが、いつしか嘘で盛り上げる日となり、誰が一番面白い嘘を言えるか? というネタの日となった。
日那州国トウヤ中央。
天皇の住まう大神社の外れにある庭園では、ソメイヨシノが一斉に咲き誇った。
その風景を内側から眺められるのは限られた者のみ。
今年はその戦慄するほど美麗な光景を、独り占めしている部外者がいた。
未来の英雄であり、いままさに殻を割らんとしているハンナ・カーネルが、体をうっすら光らせながらベッドに横たわっていた。
その腹部では、スライムのルゥがハンナの呼吸に呼応するように伸縮を繰り返す。その姿を見ているだけで眠くなりそうだ。
開け放たれた窓から、生まれたばかりの風がサクラの香りを運んでくる。
ふと、ルゥがなにかに気づきサクラが見える庭園に感覚器官を向けた。
そこに薄ぼんやりと、ルゥの大好きな人の気配が浮かび上がった。
ぽんぽんと飛び上がり、ベッドから降りて床でダンスを踊る。
やっと戻ってきた!
寂しかったんだよ!
早く撫でて!撫でて!
ルゥの求めに答え、彼は手を伸ばした。
するすると手をよじ登り肩に乗って頬ずりする。
彼の頬は冷たくて、けれど、どこか暖かい。
『ごめんねルゥ。寂しい思いをさせて』
いいんだよ。
それより、ボクいい子だよ!
ずっとハンナを守ってたんだ!
『うん。良い子だね。偉い偉い』
体をさすられるとくすぐったい。ルゥはうにゅうにゅと体を横に動かした。
照れるルゥを撫でながら、彼はゆっくりとハンナに近づいていく。
マギカはすごく真面目だけれど、真面目が故に型に填まり込んで苦労していた。きっと彼女は、一番彼と性格が似通っていた。
彼女の背中を追いかけなければ彼はきっと、いくつもの壁の前で立ち往生していただろう。
リオンは真逆で、あまりに不真面目だった。不真面目なのに、時々真面目。楽に生きようとしているのに、何故かすべて裏目に出て苦労していた。頑張っているのが可哀想に見えて、彼はついつい手を差し伸べてしまった。
ルゥは彼と最も長く一緒にいた。彼が守る立場であるはずなのに、己の力で乗り越えられない壁が現れると、ルゥがあっさり壁を切り崩した。
誰より弱いのに、強かった。
決して順風満帆な旅ではなかった。
記憶をたどると、いつだって死と隣り合わせだった。
けれどマギカやリオン、ルゥ、その他大勢の人と、“面白いは正義”の神様達に支えられて、彼はここまでたどり付いた。
その出来事を、
これまでの道のりを、
その中で彼が得たものを……。
伝えたい。
ハンナに語って聞かせたかった。
けれど、一言では語り尽くせない。
語れるだけの、時間がない。
ベッドの横で膝を曲げ、彼はハンナの手を握る。
柔らかくて、暖かい。
少し力を入れると、ぴくんと僅かに反応を示した。
生きてる。
ハンナは、ちゃんと生きている。
「…………」
なにか、もっと感慨があるかと思った。
思い出を一つ一つ手で確かめ、ハンナの手を握っても、実感がわかない。
こういうときは涙を流して喜んだり、ホッとするものだろう。
しかし彼の目から涙は、一滴も出て来そうになかった。
不思議だ。
泣きたいときに限って、涙が出ない。
彼は息を吐き、ベッドの横に短剣を立てかける。
それからハンナの顔をじっと見つめて、息を潜める。
もうすぐ起きるか。
目が覚めたら良いのに。
けど本当に目が覚めてしまったら、きっと困ってしまうだろう。
ヒーローがなにも語らず去るのは、格好をつけているからじゃない。
恥ずかしいから、逃げるのだ。
どれほど強い敵を倒しても、まだまだ弱い。
事実、こうして大切な人達との別れから、逃げたのだから。
ルゥを抱きしめうずくまる。
せめて残った時間のすべてを使い、
体に残るすべての愛情を籠めて。
開け放たれた窓から桜の花びらが、ふわり部屋の中に舞い込んでくる。
道中で出会った海流のレヴィが、都の外で「チュインチュイン」と悲しげな鳴き声を上げている。
『……そろそろ、時間だ』
百花斉放。桜が咲き誇る、世界一美しいこの場所で。
親友を眺めながら、彼は口を開く。
『……さようなら』
己に集った念の欠片が、柔らかな春の温もりの中に消える。
4月1日――今日。
ハンナが目を覚ました。
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リオンは突然それに気付いた。
これはきっと師匠の気配だ!
長年ストーキン――じゃないその背中を追い続けたのだから、間違いようがない。
師匠が戻ってきた。
ちゃんと約束を守ってくれた!
「ここまで放っておいて、人を心配させて、タダじゃおかねえからな!!」
それまでの不安が一切消え去り、胸の中を圧倒的な高揚感が支配した。
廊下を破壊せんばかりに走り抜け、リオンはハンナの眠る部屋の扉を開け放った。
「師匠!」
バーンと音を立てて開いた扉の向こうに、しかしアルトの姿はなかった。
「…………師匠?」
どこかに隠れているのか?
そう思うが、ベッドの脇でボロボロと壊れたように魔石を排出するルゥを見てリオンは顔色を変えた。
あんなふうになったルゥを、リオンは一度目にしたことがある。
アヌトリアに飛ばされたとき、ルゥが生きているなど思いもしなかったアルトが無視をしたときだ。
アルトの気を引くために、魔石をボロボロと排出した。
なにもなしに、ルゥが魔石を排出することなどない。
何故ならそれはルゥにとって、最も大切な、アルトと共に生きた宝物だから。
ルゥの体から魔石以外の装備や道具が排出され、どんどん部屋の中がカオスになってきたころ、リオンはルゥを力いっぱい抱きしめた。
「ルゥ、もういい! それ以上出さなくてもいいんだ!」
「…………」
「師匠が戻ってこないのは、ルゥが嫌いになったからじゃない。だから、もう、出すな」
「…………」
リオンが語りかけても、アルトのいない部屋の中、ルゥはその体に収めたアルトの記憶のすべてを引っ張り出した。
余ったドラゴンの素材。
大きな魔石。
アヌトリア、ユステル、イノハ、日那、セレネの貨幣。
破損したイカダの欠片。
折れた龍牙の短剣。
まさかそれまで持っていたのか、いつかの釣り道具。
アイテムを見ただけで、頭の中に鮮明に蘇る。
アルトとの旅を。
そこで、どんな感情が渦巻いていたのかを。
窓から入り込んだそよ風が、床に溜まった〝銀色の粉〟を舞い上げる。
ルゥの思い出に心を抉られ、堪えていたものが決壊した。
声を必死に殺しながら、ルゥを抱きしめ、リオンはボロボロと大粒の涙をこぼした。
師匠はいない。
この世界に存在しないんだ。
もう二度と、会うことが出来ないんだ……。




