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【WEB版】最強の底辺魔術士 ~工作スキルでリスタート~  作者: 萩鵜アキ
二部一章 それぞれの思い

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最高の助っ人

 ヴェルが【治癒魔術】を使ってくれたおかげで、体のコンディションが最高だった。

 階段を駆け上っても体を揺らしても、痛みをまったく感じない。


 階段を上りきり、アルトは4階に到着。

 そこは、1階と比べると半分ほどの広さしかない。


 目を凝らすまでもなく、見える。

 部屋の奥のベッドに横たわる、昔のままのハンナの姿が……。


 やっとだ。

 やっとここまでたどり付いた。

 アルトの手が僅かに震える。


 だが、安心してはいられない。

 薄い膜のような、それでいて強力なマナが彼女の体を覆っている。

 だがそれは、僅かに明滅しているように見える。


 おそらくもう、時間がない。

 早くここから安全な場所まで連れ出さなければ。


 ……しかし、安全な場所ってどこだろう?


 そう考え事をしながら部屋に足を一歩踏み入れた、

 その瞬間。


 アルトの右腕が、宙を舞った。




  □ □ □ □ □ ■ □ □ □ □ □




「一番雑魚が残ったのは残念だにゃ。ま、さっさと倒してあの巨乳馬鹿をねじ切るにゃ。ロプスちゃん。一気に畳みかけるにゃん!」


 ロプスが瞬足で迫り拳を振るう。

 巨大なそれを、マギカは大きく避ける。


 回避した先。

 まだ地面に足が付いていないタイミングで、後方から【水球(ウォータボール)】が飛来。

 まずい!


 あわや直撃する寸前。

 マギカは慌てて尻尾で反動をつけ、【水球】をギリギリ避けた。


 いや、左の鉄拳に僅かに接触した。

 魔術で練られ、圧縮された水の塊がマギカの腕を軋ませる。


 一体どこから……?


 マギカはいま、確実にワンの存在を意識していた。

 ロプスの後方に控えたワンが、魔術を放つ素振りはなかったはずである。

 だが実際には魔術は放たれていた。


 魔術はおそらくワンがいる場所ではなく、マギカの後方から。

 一体どうやって?


 考えると、マギカの頭にアルトの姿が浮かんだ。

 もしかすると彼女は、アルトのように置き魔術が出来るのか?


 ワンは獣人なのに、魔術の威力が高い。

 対してマギカも魔術は使えるが、ここまで高い威力には決してならない。

 獣人でも満足に魔術が扱えるのは、狐族の種族特性なのか。


 ロプスの攻撃を避け、ワンの魔術が体を掠める。


 連携が上手い。

 敏捷性がずば抜けているマギカが、連携に押し負けする。


 マギカも攻撃するが、ロプスの防御が硬くなかなか傷を与えられない。

 おまけに攻撃すると、予期しない角度から魔術を食らってしまう。


 タイミングを見計らうも、隙が見つからない。


「くっ――」


 ロプスの拳がマギカを掠り、さらに見えない魔術が追い打ちを掛けた。

 血をまき散らしながらマギカが床を転がる。


 先ほどの回復薬で治癒された分が、もうちゃらだ。

 全身が痛くて、痺れている。

 折れてるのか、筋肉を痛めてるだけなのか。ビリビリと強いしびれが邪魔をして、状態の把握が出来ない。


 それでも、マギカは立ち上がる。


 修行は嘘をつかない。裏切らない。

 何千、何万と魔物を倒した自分を信じろ!


 再び前方に跳躍し、1撃打って離脱。

 的を絞らせず、部屋を駆け回る。


 ロプスの死角を付いてワンに迫るが、ワンの防御はロプスより硬い。

 ワンはロプスをうまく使うし、ロプスもワンだけは決して触らせないよう気を配っている。


 少しでも近づけば、近づいた分だけワンは遠ざかりロプスの反撃が迫る。


 無理矢理攻撃に出たいが、植物鬼の恐怖がマギカの頭を掠める。

 時機を狙っているが、このままズルズルと体力が削られてしまうかもしれないという不安もある。


 焦りが不安となり、有効打を与えられない己の力への不信感に繋がっていく。


 やはり、自分は一番弱い。

 宝具を持っていても、高い敏捷力を備えていても、力が強くても……。

 リオンやアルトのような突破力がない。


 それは体術の熟練度にも表れている。

 マギカの体術は、ずっと70で止まったまま動かない。


 約8年前のユステルですでに70だったのに、そこからずっと上がらなかった。

 日那でどれほど魔物を倒しても、善魔を倒しても、シズカに迫っても、1つも上がらなかった。


 実際、この70という熟練の壁は誰しもがぶつかる。

 その壁に立ち向かい、しかし乗り越えられず、ほとんどの者が諦めてしまう。

 熟練度70は、無才と天才を分け隔てる、圧倒的な壁だった。


 70でも十分、玄人として名を馳せるだけの練度である。

 故に、壁の突破を諦めたとしても、誰も責めるものはいない。

 そこは一種の到達点なのだ。


 マギカはおそらくそれが自分の限界なのだろうと諦めていた。

 その変わり、自分には99というレベルがある。

 高い敏捷力も、腕力もある。

 だから良いじゃないか。

 そう、思っていた。

 納得したはずだった。


 だが、いまはそれが忌まわしく思う。


 きっとアルトもリオンも、70を超えている。

 なのに何故自分は70を超えて成長出来なかったんだ?


「どうして……私はこんなにも、弱いの……」


 殴れど殴れど、届かない。

 その場所があまりに遠すぎて、遠さを実感して、戦闘中だというのにマギカの瞳が湿ってきた。


「ヒーン。なんで泣いてるんでちゅかにゃ? ママが恋しいのかにゃぁ? ヒヒヒーン!」

「っく……!!」


 涙を堪えて拳を振るうが、濁った心では決してロプスになど届かない。

 拳は跳ね返され、反撃を食らい、追撃を食らい、マギカは再び床を舐めた。


 体中が悲鳴を上げている。

 2度と立つな、勘弁してくれと泣いている。


 だが、マギカは必死に床を押す。

 床に横たわっていては、己の激情に魂までも食い潰されそうだった。


 ……悔しい。

 悔しい、悔しい。

 悔しい悔しい悔しい!!


 なんで私には力がないんだ!

 これを超えられるだけの、熟練をたった1つ上げるだけの才能がないんだ!


(どうして私は――アルトと同じ場所に立てないんだ!!)


 彼と同じ場所に立ちたい。

 彼と同じ場所で戦いたい。

 彼と同じ景色が見たい。


 血を吐き出しながらも、マギカは足掻いた。

 足掻かなければ、魂が消えてしまうとでも思っているかのように。


「往生際が悪いにゃん。ロプスちゃん、せめてもの情けにゃ。痛くないようにトドメを刺してあげるにゃん」

「ウガァァァァァ!!」


 ロプスがマギカの傍に立ち、拳を大きく振り上げた。

 その一撃で、マギカを確実に絶命させるために。


 動け、動け、動け!!


 マギカの心が精神が、肉体を全力で急かす。

 だがもう、肉体は限界だった。

 耳も尻尾も手も足も、ぼんやりとして力が入らなかった。


 四つん這いになった態勢で、マギカはロプスを睨み上げる。


 ロプスはただマギカを殺すことにのみ注力している。

 その後ろにいるワンは、意地の悪い笑みを浮かべている。

 もうマギカの敗北は決定し、その血肉が床に広がるのを楽しみにしているかのように。


「ヒヒヒーン。さらばだにゃん!」


 ワンの合図で、ロプスが拳を振り下ろした。


「ウチのもんに、手ぇ出すのはアカンでぇ?」


 1階通路から声が聞こえた。

 それと同時に、巨大な殺意の塊がロプスを襲う。


 いままさに拳を振り下ろした無防備なロプスは、その〝攻撃〟に飲まれて吹き飛んだ。


「な――!?」


 その声はワンか、はたまたマギカか。

 己の3倍はあろうかという巨体が吹き飛ばされ、戦闘中だというのにマギカはつい呆けてしまった。


 おそらくいまの殺意は純粋な魔術の塊。

 通路と同じ面積で放たれた、【マナバースト】だ。


【マナバースト】は、体のマナを直接発射する。

 術式も練度もへったくれもない、力任せな魔術である。


 これほどの【マナバースト】が放てる人物を、マギカは2人しか知らない。

 1人は、変態のアルト。

 そしてもう1人は――。


「遅れて堪忍な、マギカ」

「シズカ……様!?」


 驚愕と幸福が体の中を雷のように突き抜ける。

 しかし、こんなところに彼女がいるはずが……。

 もしかして、幻を見ているのだろうか?


「んー? マギカどないしたん? まさか、ウチにあえてそんなに嬉しかったん? しゃあないなぁ」


 すすす、と近づいてきて、シズカはマギカの尻尾に手を伸ばす。

 しかし尻尾は、まるで磁石の同極を近づけたかのようにぷいっとシズカの手から離れていく。


「むぅ。つれないなぁ」


 間違いない。

 自然と尻尾に手を伸ばす習性。

 その後の、本当に悲しそうな表情。

 だがそんな顔をしていても目だけは尻尾を狙っている。


 そんな人物は、この世に1人しかいない。


「シズカ様……」

「立てるか? 立てるやろ?」


 有無を言わさず、シズカはマギカの腕を握りぐいっと持ち上げた。

 同時に体中が熱を持ち、痛みが驚くほどの速度で癒えていく。


 それは以前、ヴェルを治療したものと同じ。

 最上位神官職しか使えない、最上級治癒魔術。


 マギカの傷は瞬く間に癒えてしまった。

 残っているのは幻痛のみ。

 全身のぼんやりかんは消えないし、欠けた耳は戻らない。

 だが、動く分には問題ない。


「ヒーン? シズカってあの日那の……」

「そうやで。あれはどちらさん?」

「ワンと、従魔のロプス」

「従魔?」

「ワンは魔物使いにゃん」

「なるほどなぁ……」


 マギカが答えると、シズカの目が獰猛な色を浮かべた。

 その威圧感に、マギカの尾の毛がすべて逆立った。


 マギカにとってシズカは仲間や師匠というより、むしろ兄弟子の関係に近い。

 2人ともがアマノメヒトの使徒。シズカは先輩であり、当然マギカは後輩。

 主従関係はないにせよ、ある種の上下関係が成立している。

 当然のように、信頼もそこに含まれている。


 だが現在のシズカの近くに、マギカは立っていたくなかった。

 触れれば命さえ奪いそうなほど、彼女は殺気立っている。


「あんたかぁ。ウチの大切なホクトに魔物をけしかけて滅ぼしたんは?」

「ヒーン。だったら? ワンはフォルセルス様の勅命を受けてホクトを滅ぼしたにゃ! ……そうにゃ! なのになんでお前がここにいるにゃ!? しばらく日那を出られないはずにゃのに……」

「なるほどなぁ。ウチを日那に釘付けにするために、あんたはホクトを襲ったんやなぁ」


 なるほどなるほど、と何度も頷くシズカの体からは、益々恐ろしい殺気が放たれる。

 当然ながら、マギカだけでなくロプスもワンも、その雰囲気に気がついている。


 だから、安易に攻撃出来ない。

 動けば死ぬ。

 マギカでさえそう連想してしまうほどに、いまのシズカの雰囲気は凶悪だった。


「一体ホクトでどれほどの命が失われたか……。生きたくても生きられへんかった人、肉親が奪われても生き残ってしまった人。そういう人達の無念が、あんたにはわからへんやろなぁ」

「そんなのは知らないにゃ! ワンはフォルセルス様のお告げを聞いて実行したにゃ! フォルセルス様が言ったんだから、なにをやっても正義にゃ!!」

「そうかもしれへんなぁ。せやけど、あんたの事情なんてウチは知らん。どっちが正義でもかまわへん。そないなことよりもなぁ――」


 シズカは鉄扇を広げ、口元を隠した。


「ウチはお前が憎い。大切な民を殺したお前が憎い。だから容赦はせん。覚悟しい?」


 目だけで、ワンとロプスが怯えた。

 彼女達は額に油汗を浮かべ、口を半開きにしたまま固まった。

 まるで水の中に堕とされたように、口が開閉を繰り返している。


 そんな彼女達の怯えた表情で若干溜飲が下がったのか、シズカは口を開く。


「マギカ。あんたはそのロプスいう奴を倒しぃ。あんたなら出来るやろ?」

「…………はい」


 頷くが、自信はない。

 自信など先ほど、木っ端微塵に打ち砕かれてしまったのだ。

 欠片1つだって残っていない。


 もし次に失敗したら。

 今度こそマギカは自分を一生許せなくなってしまうかもしれない。


 そうなればハンナを救出出来たとしても、彼女は自決の道を選ぶだろう。

 矮小な実力で英雄の傍に居るなど恥であり、英雄の傍に居られない自分はこの世界になんの用もないのだ。


 そんな彼女の気持ちを悟ったのか、シズカは目に笑みを浮かべる。


「あんたはほんま真面目やなぁ。少しはあの馬鹿男のようにはっちゃけた方がええで?」

「……むぅ」


 あのお花畑の全力勇者と比較されると神経が逆なでされてしまう。

 だが、苛つくのはリオンのことを認めているからだ。

 なんであんなに馬鹿をやっているのに、真剣に戦っている自分よりも凄いことをやってのけるのか? と。だから反発する。


「肩の力を抜きぃ。いままで鍛練してきたすべてを忘れるんや」

「けど……」

「これは戦闘やない。舞踊やと思って戦いぃ」


 そんな無茶な!

 自分は一度だって舞踊をやったことはないのだ。

 それをやれ、というのは今日一日呼吸を止めろと言われているようなものだ。

 出来るはずがない。


 それでもシズカは言葉を重ねず、マギカの背中を強く押した。


「あんたは、〝格好付けすぎ〟なんや。見窄らしくても勝てればええ。せやろ?」

「……」

「ワンニャン娘はウチが引き受けるぅ。せやから、全力で馬鹿になりぃ!」

「……はい」


 納得はしていない。

 だが、シズカが言うのだからなにか理由があるのだろう。


 判らない、手で探ることもできない、そんな中。

 マギカは型を捨てて、自然な体勢で拳を構えた。


「ガァァァァ!!」


 シズカの殺気が逸れたのだろうか。

 それまでため込んだ屈辱を吐き出すようにロプスが吠えた。


 構えるのは良いのだろうか?

 でも、どう構えたら……。


 まるで呼吸を数えるように、あるいは舌の位置を意識するように、途端にいままでどうしていたのかが判らなくなる。


 マギカが戸惑っているあいだに、ロプスがマギカ目がけて【突進】した。


 判らない。

 どうしよう!

 ……どうしよう!?


 ロプスがマギカに接触する寸前。

 脳裏を過ぎったのは涙をジョバジョバ流しながら、青ざめた顔で駆け回る憎き勇者の馬鹿姿。


 咄嗟にマギカはその場から離脱。

 格好悪く、相手に背中を向けて走って逃げた。


 それは回避などではない。

 ステップですらない。

 ただの逃げだ。


 マギカが真剣に逃げると、その先で光が瞬いた。


「邪魔するのはあかんで?」


 次の瞬間、

 目の端で光が爆ぜた。


「ヒーン! ワンの魔術が!!」


 ワンの攻撃をシズカが防いでくれていたらしい。

 これで、集中できる。


 マギカは意識を鋭くとがらせる。

 不真面目を、大真面目に、全力で取り組む。


 ロプスの攻撃を次々と逃げで回避していく。

 そこには洗練もへったくれもない。

 不格好すぎて泣きたくなる。


 きっと、かつてのマギカならば絶対にやらなかっただろう。

 自尊心が、決して赦さなかった。


 だが現在は違う。

 もうこれ以上、マギカには後がない。


 3度、4度とロプスの攻撃から逃げ回っていると、不意にその行為が恥でもなんでもなくなった事に気がついた。

 むしろ、相手の攻撃を逃げで回避する。その行為をマギカは再評価していた。


 驚くべきことに、実際に逃げで攻撃を避けてみると、これがなかなか難しいのだ!

 ちょっとでも時機が早すぎれば相手に追いつかれるし、遅すぎると退避が間に合わない。

 さらに背中を見せているから、次に相手がどう動くかが予測出来ない。


 すごい……ッ!

 いままで情けないと思っていたリオンの逃げ方が、これほどまでに熟練度を要求する匠の技だったとは!!


 考え事をしていると、退避するタイミングを見誤った。


 危ういところで拳を【回避】。

 しかしその風圧に煽られ、マギカは舞い上がり、くるくると回転してしまう。


 今すぐ態勢を……。

 いや、違う。


 このまま流れに任せるのだ。

 リオンならきっと、そうするはず。


 マギカは回転に身を任せる。


 空中に浮いて無防備なマギカを、ロプスが追撃。

 狙いを定めて、巨大な拳を振り抜いた。


 瞬間。

 マギカは回転した勢いのままロプスの拳を迎撃。


 空気が振動。

 鈍い衝撃。


 ロプスの拳は途中で止まり、

 しかしマギカは後方に吹き飛ばされた。


 いまのは、惜しかった気がする。


 リオンは己を傷つけるものに対して、とても敏感だ。

 いまの攻撃だって、きっと空中でどれほど態勢を崩していても、盾で防いでいたはず。


 マギカは現在、彼と同じ行動をとった。

 だが、なにかが足りない。


 きっと、リオンを真似るだけじゃだめだ。

 それにさらに、マギカのなにかを加えなければ、劣化リオンでしかない。


 考えろ。

 いや……考えるな!

 マギカは、己の技の基本を思い出す。


『考えるな。感じろ』


 真面目なマギカには、難しい格言。

 だが、いまならそこに到達できそうな気がした。


 自分にはなにができる?

 考えて、考えない。


 矛盾のギリギリ、二つの意味が交わった中間の、なにもないところを求め続ける。


「ウガァァァァ!!」


 ロプスがいきり立ち、瞬足を用いてマギカとの間合いを消し去った。


 即座にその場を離脱。

 だが、間に合わない。


 出来ること……。

 刹那、ユステルでの入学試験がマギカの頭を過ぎった。


 自分に、出来ること――!


 全身に力を込めて、マギカは【跳躍】。

 ロプスの頭上に飛び立ち、風圧に身を任せて拳を躱す。

 その反動を用いて回転。

 勢いをそのままに、マギカは拳を振り抜いた。


 ロプスとの間合いは3メートル。

 あちらの攻撃は届くが、こちらは届かない。


 だが、振り抜いた拳の衝撃が、ロプスの頭を揺さぶった。


 落下する前に、足に意識を向けて、空中で跳躍。

 追撃しようとしていたロプスの間合いからマギカは離脱した。


 ――できた!!

 全身から汗が吹き出し、高揚感が沸き立った。


 いま用いたのは、辛うじて使える初級魔術。

 拳を振り抜くときに【風魔術】を発動。前の空気を圧縮して固め、それを拳で打ち抜いた。


 それと同様に、彼女は空中にいるときに、足の裏で【風魔術】を発動し、固まったそれを蹴って移動した。


 いままで教わった方法とはまるで違う。

 理屈もへったくれもない力技。


【拳闘士】は拳を使う者。

 拳で相手を倒す職業が、魔術を使うなど邪道である。

 己の拳のみが武器であり、それ以外に目移りしてはその道を究められない。


 そう……真面目なマギカは考えていた。

 きっと型を遵守していれば、この方法は決して思いつかなかっただろう。


 真面目であれば、このような方法は編み出せなかった。

 真剣に求め続けるあいだは一切手が届かないのに、不真面目になった途端に手が届くなど、これほど皮肉なことはない。


 とはいえ現在マギカは、まだロプスを倒せるほどの力はない。

 いまだって、ロプスの体を軽く撫でた程度しかない。


 しかし光明は見えた。

 これで、行ける!

 マギカの中で拡散していた意識が中央へ収束を初め、尖りだした。


「グガァァァァ!!」


 攻撃を受け、目が怒りに染まったロプスがマギカに【突進】。

 驚くべき速度で間合いをゼロにし、拳を振り抜く。


 それを回避。

 反転、反撃。


 まだだ。

 まだ弱い!


 もっと速く。

 もっと強く。

 もっと、遠くまで!


 攻撃を繰り返していると、マギカの中で変化が始まった。

 ずっと70で止まっていた熟練が、僅かに1つ上昇した。

 途端に、これまで蓄積されてきた熟練値が、一気に加算されていく。

 拳を1度振り抜けば1つ上がり、また1度攻撃すれば1上がった。


 もっと上がる!

 もっと跳べる。

 もっと、遠くまで行ける!!


 拳を振り抜く度に攻撃は重くなる。

 なのに体は、どこまでも行けると確信する。


 再び拳を振り抜くと、前よりも数段速く拳が振り抜ける。


 違う、こうじゃない!!

 感じた通りに、2度、3度。

 ロプスを攻撃し、遙かな理想へとひた走る。


 とはいえロプスも鬼族。

 レベルも異常なまでに高い。

 マギカがどれほど通常攻撃を繰り返そうとも、いまのところ決定打は与えられていない。


 しかしそれでも、焦らない。

 むしろマギカは、この時間がもっと長く続いて欲しいとさえ願っていた。


 早く終わってしまえば、せっかく調子が良いのに止まってしまう。

 調子が良い状態で、走れるだけ走りたい。

 だから、倒れるな。立ち続けろ。


 私の、糧になれ!!


 きっとこれが、アルトが見ていた風景。

 彼は常に、この風景を見ていたから、あれほど変態的な集中力を維持出来ていたのだろう。

 なんと羨ましい……!


 マギカは一度立ち止まり、呼吸を整える。

 ロプスはマギカを追って空振りを繰り返したため、かなり息が上がっている。


 息を軽く吸って、止める。

 次の瞬間、マギカは全力でロプスの間合いに入り込んだ。


「グワァァァァ!!」


 当然のようにロプスは迎撃。

 しかし、


「……ん!」


 マギカは左腕を掲げ、ドワーフ特製の小手に軽くマナを注ぎ込んだ。


 マギカは魔術が不得意だ。

 それは獣人の欠点。

 マナを練り込み外に排出する能力が弱いのだ。

 またそれにより己を保護するマナの自然排出量も少なくなるため、【魔術攻撃】にも弱い。


 ボティウスと戦ったとき、たった1発の魔術でマギカが起き上がれなくなってしまったことを、アルトはきちんと把握していた。

 魔術が苦手で、【魔術攻撃】に弱い種族的な欠点。


 それをアルトが昨晩、【刻印】で補った。


【刻印】は魔術を受ければ受けるほど、威力を即座に吸収し、蓄積されていくように施されている。


 これまで、マギカは散々ワンから魔術を受けてきた。

 当然、左の鉄拳にはこれまでの魔術が蓄積されている。

 それをここで、すべて使い切る!


 マギカが攻撃を仕掛けようとした、そのとき――。


「させないにゃん!!」


 突如として目の前に真っ赤な炎が舞い上がった。

【ファイアブラスト】!?


 まさかワンが上位魔術を使えるとは予想だにしていなかった。

 初級魔術を辛うじて使える獣人にとって、それは破格の才能といって良い。


 上級魔術を受れば、いくらマギカでもただではすまない。

 だが――、


「な……何故!?」


【ファイアブラスト】が忽然と姿を消した。

 まるでマギカの抵抗力に弾かれたかのように。


 当然ながらマギカに、そこまでの魔術抵抗力はない。

 抵抗したのは彼女ではない。

 アルトを目で脅し、無理矢理強請った、首に下がった〝ハーグ製の魔導具〟である。


 ユステル王国随一の魔導具師が作り出した、最高級の熱耐性ネックレス。

 それがワンの魔術に抵抗し、見事にかき消した。


「――圧縮」


 マギカでは一度に行使できない、膨大なマナが左手で渦巻き、空気を強力に圧縮していく。

 それとほぼ同時に、マギカは右手に力を込める。


 すべての願いを込めて。

 己の誇りを賭けて。

 我が祈りを、聞き届けよ!


「神具解放。吹き飛べ――≪砕けろ命よ破壊の(ステラ・フォース)≫!!」


 マギカの宝具は速度と破壊の権化。

 それが右手から発露し、具現化する。

 獰猛な破壊力を帯びた拳が数十発。刹那の間にうち放たれる。


 目で捕らえられぬその音が一つに重なり、目の前の巨大な空気を押し出した。


 瞬転。


 ――ッパァァァァン!!


 ロプスの全身が文字通り弾け、後方の壁を真っ赤に染めた。


 マギカが床に降り立つのと、辛うじて残ったロプスの腕が床に落下したのはほぼ同時だった。


「…………ふぅ」


 熱くなった息を吐き出すと、途端にマギカの体が崩れ落ちる。

 危ういところで、すっとマギカの肩がシズカの手で支えられる。


 この宝具の解放は通常使用より多くのSPを必要とする。

 レベル99のマギカでも、神代宝具の開放は1度で動けなくなるほどだった。


 もちろんSPやMPの消費量は宝具によっても変わる。

 ただ、マギカの宝具は特別SP効率が悪い。


 それは司る概念が『速度』と『破壊』であるからだろう。

 能力が破格であればあるほど、SPやMPを馬鹿食いするのだ。


「よぅやった! よく、自分の壁を乗り越えたなぁ。偉いわぁ」

「あ、ありがとうございます」


 まるで自分のことのように喜ぶシズカの表情が照れくさくて、マギカは顔を背けた。

 その後ろ、するする伸びた手を尻尾が避ける。


「っち!」

「……」


 やはり、この人は侮れない。


「そろそろ触らせて貰えるかなぁ思ったのに、酷いわぁ」

「尻尾はダメ。触らせるのは大切な人だけ」

「ふぅん。アルトには触らせたん?」

「…………」


 まさかシズカは見ていたのか?

 あんな恥ずかしいところを!?

 青くなり、赤くなりを繰り返すマギカを眺め、シズカは顔を真っ青にした。


「ほ、ホンマに触らせたんか!?」

「…………」

「あん、泥棒猫ッ!! ケモ――マギカはウチのや! これはウチの尻尾なんや!! なのに、なのに……ぐすん」

「……はぁ」


 私はシズカのものじゃない。

 当然、アルトのものでもないが。


 よほど悔しかったのだろう。涙目で鼻をすすりながら、それでもなんとか尻尾に触れようとしてくるシズカの手を冷静に払いのける。


「ぐぬぬぬ……これだけで、堪忍したるわ!」


 壁際にマギカを置くと、シズカはマギカの両耳を憎悪たっぷりに愛撫してから振り返った。


 その正面にはワンはいない。

 シズカの右手にいるはずなのだが、彼女は1階と2階を繋ぐ踊場を眺めている。

 一体、何故そこを見ているのだろう?


「マギカ。そこを動かんでな」

「はい」


 言われるまでもなくしばらく動けないのだが。

 何故それを、態々言うのだろう?


「動いたら、間違って殺してしまうかもしれへんからなぁ」

「……」

「さぁて、ワンちゃん」

「ヒヒン!? ワンちゃん言うにゃ! ワンは犬じゃないにゃん!!」


 怒声と共に、【水魔術】が飛来。

 それをシズカは鉄扇で造作もなく弾きかき消した。


 その魔術が飛来したのは、ワンがいる場所からではない。

 シズカが正面を向いた、あの踊場からである。


 一体なにが……。


「あんたぁ、狐人族らしいなぁ。姿を現わしぃ?」

「ヒーン。やーだね! ワンは誇り高い狐人族のワン!! 下賤なもんと同じ場所で戦うなんてあり得ないにゃん!」

「アホか。姿見せんと、あんたが泣いて謝る姿を見られへんから言うてるんやボケぇ!!」


 シズカの怒声に、さしものマギカすら息を止めた。


 粟立った肌が突き刺さるように痛い。

 殺気を向けられていないのに、呼吸が浅くなる。

 殺意が部屋に充満して、生きている心地がしない。


「ま、ええわ。そのまま狐人族らしく、姿を隠しながら死ねばええ。ただし、一切の手加減はせんからな?」


 そう言うと、シズカは鉄扇を閉じて虚空を睨んだ。


「せやな。あんたを血祭りに上げるんに、恨みも併せて……せやな、4つでええか。さて、性質はどないしよか。理性は絶対アカンなぁ。気品も、嫌やわ。温情、誠実、謙虚、名誉あたりでええやろ」


 口を閉ざすと、シズカの雰囲気ががらっと変わった。


 まるで魔物がスタンピートした瞬間のような。

 あるいは雷雲が頭上に現われたような。


 命が危険にさらされる。

 その未来を肌で感じる雰囲気が、シズカの体から放出される。


「うちの徳目よ、離脱せよ」


 途端に、シズカの体から4つの尻尾が出現した。

 それはワンについているものと同様。

 狐人族の金色の尾だ。


 だが、ワンのものとは比べものにならない。

 たった1本だけでも、ワンのMP総量を超えるだろう。

 尾の中でマナが、バチバチと胎動している。


「ウチの国を攻めた報い、その命で償わせたる!!」


 瞬きをすると、

 シズカは踊場にいた。


 その事実に、マギカは目を疑う。

 敏捷性が1万を超えるマギカでさえ、その目でシズカの姿を捕らえられなかったのだ。


 それだけではない。

 彼女は開いた鉄扇を直上から振り下ろすと、その空気圧だけで踊場の大部分を破壊してみせたのだ。


「ガァッ!!」


 大理石が砕かれ落ちるその中に、血をまき散らしたワンの姿もあった。

 途端に、これまで下にあったワンの姿がかき消える。


 ……なるほど。

 マギカはようやくワンが使った小細工に見当が付いた。


 おそらく彼女は幻術が扱えるのだろう。

 いままでマギカが見ていたのは幻。

 踊場から現われたのが本体だ。


 そう考えれば、マギカが予測しない位置から魔術が放たれていたことにも説明がつく。

 そしてシズカにその幻術が通用しない理由も……。


「誰が誇り高い狐人族や!? あんたのことなど、ウチは知らんわ! どこのモンや?え!?答えぃや!!」


 鉄扇を振るいながら、1階の床を深く抉っていく。

 その度に、ワンの体が蹴鞠のように吹き飛ぶ。


 かつてのシズカとは違う。

 明らかに、相手を殺すため、嬲るためだけに暴力を振るっている。

 温情、誠実、謙虚、名誉。

 おそらくそれがシズカの体から抜け出して力の塊――尾として顕現しているのだろう。


 それらが離脱したが故に、彼女には一切情けがない。


「はっ……ふっ!!」


 苦し紛れに放っただろう【ファイアバースト】に、シズカが包まれた。

 だがそれも一瞬。


 圧倒的な魔術抵抗性により、あっさり【ファイアバースト】が消え去った。


「あ……にゃ……」

「終わりか? ならウチの番やな。泣いても喚いても赦さへんで? あんたは、ウチの大切な民の命を、虫けらのように奪ったんやからなぁ!!」

「あんな奴等、いくら殺しても虫みたいに沸いてくるにゃん。狐人族はにゃあ、神代戦争で散々人間になぶり殺されたにゃん! 一族はみんなバラバラににゃって、まともな生活が出来なくなったにゃ。戦争が終わったって、ずっと人間に迫害され続けて、どんどん狐人族が衰退していったんにゃ! 人間さえいなければ、ワンらはもっと穏やかに生活出来たはずにゃ! その願いにフォルセルス様が応えてくれたにゃ。邪魔な人間を殺せって言ってくれたにゃ! だからワンは人間を殺した。そのなにがいけないにゃ!?」

「……アホくさ」


 ワンの抗弁に、呆れかえったようにシズカはため息を吐き出した。

 まるで穴を掘ったあとに埋め戻し、また穴を掘れと言われたときのように、彼女はうんざりした表情を浮かべている。


「恨みを晴らすんが誇りかぁ? ほんに、狐人族の誇りとやらが聞いて呆れるわぁ。おまけに、なんでウチを前にしてそないなことを堂々と言えるん? ほんと、アホくさ」

「ヒーン? シズカは人間じゃ……あれ? 尻尾? ワンのと同じ!? なんでにゃ!?」

「はぁ。アマノメヒト様の元で、ゆっくり考えや」


 そう言って、シズカはワンの顎を鉄扇で思い切りたたき上げた。


 空中で縦に何度も回転し、天井にめり込み落下。

 頭から転落し、ワンは動きを止めた。


「4本開放しとんのにやる気を削ぐとは、この子、ほんまアホの子やなぁ。リオン以上ちゃうか?」


 鉄扇で肩を叩きながらため息を吐き出した。そのシズカの体から伸びた4本の尻尾が、みるみる形を失ってかき消える。


 消えた途端に、彼女を覆っていた恐るべき殺気が霧散した。

 そこでやっと、マギカは肉体の制御を取り戻す。


 呼吸は荒く、額には油汗がびっしり浮かび上がっている。

 あのシズカに、マギカは勝てる要素を見出せなかった。


 これが本気?

 ……いや、違う。

 彼女は『4つで良いか』と言ったのだ。

 おそらくまだ彼女は全力じゃない。


「みんな。仇はとったからな……」


 シズカは胸に手を当てて瞑目する。

 その姿は民を思う天皇そのものだ。

 先ほどの、巫山戯た殺気が嘘のようである。


 彼女には深淵が見えないほどの恐るべき力がある。なのに何故彼女は、邪神に勝てないのだろう?


「……アカンなぁ」


 瞼を開けたシズカが、険しい表情を浮かべて天井を眺めた。


「てっきりウチは、神がなんや介入してお膳立てする思っとったんやけど。このままやとアルトは……」

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