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【WEB版】最強の底辺魔術士 ~工作スキルでリスタート~  作者: 萩鵜アキ
二部一章 それぞれの思い

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因縁のおじちゃん

 階段を落として通路を進み、さらに階段を上がると、また広い部屋に出た。

 ここの壁にも下階と同様に壁に整然と小さな扉が並んでいる。


 だが下階のそれとは若干形状が異なっている。

 黒いプレートも付いていない。

 一体なにが入っているか気になりはするが、もし中に聖骸が入っていたらと思うと恐れ多くて手が出ない。


 ひんやりとした空気の中を歩いていると、下から轟音が聞こえていた。

 僅かに地面が震えている。


「始まりましたね」

「…………」


 マギカとロプス&ワンが戦闘を始めたようだ。

 断続的に建物が揺れ、腹を突き上げるような振動が響く。


 普段は喜怒哀楽を転がすリオンが、珍しいことに複雑な表情を浮かべている。

 もしかすると、普段はワン子だのなんだの角を付き合わせている(一方的に噛みついて返り討ちに遭っているのだが)マギカに、思うところがあるのかもしれない。


 不意に悪寒がアルトの全身を駆け抜けた。


 即座に臨戦態勢となって辺りを見回すと、部屋にある大きな窓から何者かがこちらを睨み付けていた。

 まるで黒い染みが広がっていくように、存在感と危険性が増していく。


 窓から侵入したそれは、神官衣を着用した見覚えのない男性だった。

 白い服を着ているのに、まるで闇を纏うかのように気配が黒々としている。


 彼は、人ではない。

 悪魔の気配がアルトの肌を突き刺して止まない。


「あ……」


 リオンは呆けたようにぽかんと口を開いた。


「知っているんですか?」

「あれ、教皇庁暗部のガープって奴だ」

「……モブ男さんが倒したっていう?」

「ま、まあ、倒したな」


 その点に対して言い逃れしたい気持ちがあるのだろう。若干言いよどんだ。


「……だが、この気配は」

「おそらく、悪魔に呑まれたんでしょう」


 悪魔は現象。

 魔法に近い存在である。


 ボティウスがそうであったように、人に悪魔が取り憑いたのだろう。

 まさかこれは神意?


 ……いや、神が人を悪魔に変えるなどするはずがない。

 否定するが、このタイミングだ。神がなにかやらかしたとみて、間違いないだろう。


「……師匠。先に行け」

「モブ男さんもですか?」


 またそれか。

 アルトは若干の苛立ちを覚えた。

 はいそうですか、といって前に進むほど、アルトは状況に酔っていない。


「モブ男さんは、防御力は高いですけど攻撃力がないんですから。無理に1人で戦う必要はないんですよ? それとも、なにか策があるんですか?」

「オ、オレだってマギカみたいに格好つけたかったんだよッ!」


 問い詰めるまでもなくあっさり白状。

 やはりか。

 となると、さっき難しい顔をしていたのは、マギカにおいしい所を持って行かれたからか?


 ……さすがリオン。

 見直した途端、見直したことを後悔させてくれる。


「んんんん。今日はなんとも良い日です! まるでフォルセルス様が体に宿ったような気分ですよぉ」


 ガープは大げさに手を広げ、こちらに近づいて来る。

 声は異様な弾力がある。

 ともすれば信頼の二文字が浮かびそうになるが、触れれば即座に命もろとも飲み込む獰猛さを孕んでいることにアルトは気付く。


 あれは誘蛾灯だ。

 彼は獲物をおびき寄せるために、皮を被っている。


「ああ、早く貴方の頭をかち割りたい。どんな音がするんでしょうか? この私の皮膚が焼けて水が浮かび上がる音よりも、心を高揚させるのでしょうか? ああ……想像するだけでイってしまいそうだ!!」


 酷い怖気が背中を駆け抜ける。


 ガープは恍惚の表情を浮かべて、体を震わせる。

 その震えはすぐに止まり、表情も無に変わる。


「ああ。想像だけでイけました。次は、貴方の骨を折りながらイき、イき……キキキキ」


 ぼこ、ぼこ、とガープの体が盛上がっていく。

 そこにあった理性らしいものが徐々に欠落し、体が黒く染まっていく。


 上半身の衣は裂ける。

 太ももから下の布も裂けて、股間部の良心は辛うじて生存している。


 ……危険な奴め!


 その姿が変貌した矢先、

 上階からさらに強い気配を感知。


 ガープもシャレにならないほど強い気配を纏っている。

 だがさらに離れた場所から放たれる異様な雰囲気は、ガープの危険性など消し去ってしまうほどだった。


「……師匠、先に行け」

「しかし……」

「早く!」


 この上に、ハンナがいる。

 それは【気配察知】で確認している。

 その近くにいま、凶悪な気配が生まれ出ようとしている。


「心配すんな師匠。変態の扱いは慣れてるからな!」

「……何故慣れてるのか聞いて良いですか?」

「分かるだろ?」


 目が『アンタだ』と言っている。

 聞くまでもない。


「師匠は弟子の勇者を信用できないのか?」

「……いえ」

「だったら行け! 早くしないと、ハンナが消えるかもしれないぜ」

「……」

「オレなら大丈夫だ。だからさっさとハンナを助けて、そして――」

「……」

「オレを助けろ!」

「……あ、はい」


 途中までいい感じだったのに、最後の一言ですべてが台無しだ。

 だが、これがリオン。昔からなにも変わらない。


 リオンと共にした時間はマギカよりも長い。

 心配は大きいが、その分信頼もしている。


「……絶対に無理をしないでください。なにかあれば逃げ回るように」

「おっけ! 逃げ足についてはこのオレに敵うものはないからな、任せろ!!」


 勇者なのに、それでいいのか?

 いいのだろう。

 それがリオンなのだから。


 アルトはリオンにゆっくり近づき、すっと背中に手を回す。

 その背中をアルトは強くバンバンと叩いた。


 絶対に生き残れよ!

 そんな思いを込めた抱擁。

 戦友に気合いを籠める儀式。


 その思いが十全に伝わったのだろう。

 リオンの瞳には、強い意志が宿っていた。


 ガープの視線が確実にリオンに向かっているのを確認し、アルトは急ぎ気配を消して階段へと向かう。


 迎撃の可能性を頭にいれていたが、リオンの【挑発】が作用していたのか、ガープはアルトの動きを気にも留めなかった。



 アルトが出て行くと、リオンは途端に薄ら寒い気分になった。


 正直リオンは世界がどうなろうとあまり興味はない。

 痛い怖いがなければなんだっていい。

 ハンナを助けるなんて口にしたけど、実のところリオンにとってハンナはそこまで重要ではなかった。


 自分が役に立つところを、師匠に見せたい。

 活躍する姿を見てもらいたい。

 勇者だねって、認めてもらいたい。


 その思いが1年2年と、彼と一緒にいるうちに、だんだん大きくなっていった。

 リオンはその思いだけで、ここまで彼についてきた。


 リオンはアルトに、良いところを見てもらいたかった。

 1人で切り抜けられると、信じてもらいたかった。


「もしオレが倒れたら、師匠はどんな顔をすんだろうな?」


 いやいや。

 リオンは頭を振って考えを打ち消す。

 勇者に必要なのは愛と勇気と知恵と希望。


 そしてなにより、すべてを手に入れる傲慢さだ!


 悲劇なんてまっぴらゴメンだ。

 自分の物語は永遠に続く英雄劇であるべきなのだ。


 たとえそれが喜劇と笑われようと、自分が満足していればなんと言われても構わない。


「さあ、真正の変態ガープ! アンタはこの場でオレに倒される運命だ。なんたってオレは、世界が認める真の勇者、リオン・フォン・ドラゴンナイト・ブレイブなんだからな!!」


 盾を構え、ガープに斬りかかる。


「きも……チイイイイイの、思い、サセテェェェェェる、あげ、カカカカカ」


 悪魔に乗っ取られ、理性が壊れているのだろう。

 カクカク顎を動かすガープは完全に無防備だった。


 その肩に長剣が接触。

 しかし、まるで刃が通らない。


「――ッ!?」

「痛ァァァァァイのおおおおお!?」


 死角から放たれたガープの拳を、危ういところで盾で防ぐ。


 衝撃、威力。共に大剣善魔と同程度か。


 衝撃で足を滑らせガープから離れる。

 完全に受け流したはずなのに、手の骨にヒビが入ってしまった。


 リオンの敵にしては、あまりに強すぎる。

 だが、勇者の敵としては、申し分ない。


「いいぜ。やってやるよ! オレがどんだけ勇者なのか、全世界に知らしめてやる!!」


 本当は、ただ1人のためだけに……!

 リオンは盾を構え、長剣を空に突き上げた。




  □ □ □ □ □ ■ □ □ □ □ □




 リオンが心配だ。


 階段を駆け上がるアルトは、胸に滞留している不安をため息で払拭しようと試みる。

 だが上手く行かない。


 それもそうだ。


 リオンは攻撃専門じゃない。

 盾には反撃の【刻印】をしているが、ここ数度の戦闘ではまるで役に立たなかった。

 おまけにたった1撃でリオンの防御を打ち砕くような敵しか現われない。


 攻撃は通じず、防御も貫通する。

 そんな相手に、どう立ち向かえば良いのか。


 アルトでさえ頭を抱えてしまうのだ。

 リオンがどうにか出来るとは思えない。


 なによりアルトは、ここまで誰1人として、自分の魂がもうすぐ消えることを告げてはいない。


 本来ならば、どこかで伝えるべきだった。伝えようと思っていた。

 少し落ち着いたら打ち明けよう。そう考えていたのに、結局タイミングを逃してしまっていた。

 それが、胸にしこりとなって残っていた。


 3階に上ると、2階と同じような広間が一つ。奥には下から見えていただろう窓が見える。その横に通路。おそらくそこに進めば4階への階段があるはずだ。


 すぐに上へ……。

 気持ちは急くが、しかしアルトは広間の前で足を止めた。


 3階の広間は、壁にびっしりと書物が並んでいる。

 インクと誇りの臭いがつんと鼻を突き刺す。


 その部屋の中に1人、懐かしくも忌まわしい人物の姿があった。


「なにやら下が騒がしいと思えば、貴方でしたかぁ」


 黒いローブを身に纏い、立派な宝石のついた杖を手にした男。


 ガミジン・ソルスウェイがアルトの姿を見て、面白く無さそうに鼻を鳴らした。

 まさか、なんでここに!


 彼は一度アルトが倒している。

 当然、命までは奪わなかったが、まさかここに現われるとは予想だにしていなかった。


 暇を潰していたのだろうか。彼の右手には開かれた本が携えられている。

 装丁はかなり古く、素手で扱って良いものとは到底思えない。


「ガミジンさんはどういう――」

「知っていますかぁ?」


 アルトの言葉を遮り、ガミジンはぱたんと本を閉じる。


「ここには神代戦争前の知識がずらり並んでいるんですよぉ」

「……え?」

「まったく、感が悪いですねぇ。いったいいつになったら、貴方は感じさせてくれるんですかぁ?」


 彼はカツン、と杖で床を叩く。


「この部屋にはぁ、決して世界の表舞台に出ない知識が山ほど――っち、邪魔ですねぇ」


 突如、ガミジンが杖を振りかざし、虚空に青い弾を浮かべた。


 バチン、とゴムが千切れるような音が響き、弾が破裂。

 同時になにもないと思えた虚空から、善魔の姿が現われた。


「な……」


 大剣のものとは違う。すらりとしたフォルムの鎧は、暗殺特化のものだろうか。

 それがガミジンの魔術により打ち落とされた。


 魔術が放たれる前は、アルトにはなにも見えていなかった。

 アルトは常に【気配察知】を行っている。その警戒網をくぐり抜けて、それが現われたのだ。


 おそらくこの善魔は、隠密系の宝具を持っているのだろう。

 しかしこれほど気配を感じず、また目視も出来ないとなると、いかに宝具といえども世界のバランスが崩壊するのではないか?


 ……いや、神代戦争ではこれが当たり前だったのだ。

 であれば、見えない宝具に対処する宝具も、絶対にある。

 戦争とはそうやってイタチゴッコを繰り返すものだから。


「私はねぇ、知りたいんですよ。この世界の本物を」


 彼の目が獰猛に輝く。

 そこにはアルトにも匹敵するほどの、熱情が感じられる。

 そのギラついた目に、アルトはたまらず喉を鳴らした。


「ユステル王国は最も古い国の一つ。私はそこの文献すべてにアクセス出来る権利を持っていましたが」ガミジンは大げさに首を振る。「私の知りたい情報はありませんでしたねぇ。すべて嘘に塗れている。虚飾され、装飾され、創造され、組み替えられ、塗りつぶされている。これじゃぁ、なぁんにも感じられません。ですので、こうしてこっそりと、本物のある場所に訪れていたのですよぉ」

「…………つまり、禁書を閲覧するために、勝手に忍び込んだと?」

「悪く言うならばぁ」


 いや、不法侵入をどう良く言えるというのか?


「じゃあ……僕の行く手を阻むつもりは、ない?」

「少々鈍いですが、及第点と言いますか。ああ、気をつけてください。そこら中に虫がいますからぁ」


 そう言うと、彼は空中に10の光弾を浮かべた。


「な――!?」


 アルトは【術式解読】で、理解する。

 その光弾が、すべて【雷魔術】だということに。


「……すごい」


 本音がアルトの口から漏れた。


 それはアルトがいくら努力をしても扱えなかった【雷魔術】。

 使うことは出来た。

 雷をバシっと走らせるだけならば。


 だが彼のように、球状にして宙に浮かべて維持するなど、決して出来ない。

 あまりの使いにくさに、【雷魔術】は扱えないと思っていたくらいだ。


 だが目の前のガミジンは、他の炎や水、氷などと同じように、それらを安定させている。

 これが、本物の天才……。


「書架で戦闘など愚劣極まりない行為。ですが、ここの書物はすべて閲覧させていただきましたからぁ。もう燃やしてしまっても構いませんねぇ」


 そう言うと同時に、ガミジンは【雷魔術】を開放。

 途端に空気が可逆破壊され、バリ!と鼓膜が割れるような音が響き渡る。


 雷弾から伸びた触手が、見えない敵を次々と打ち落としていく。


 それら魔術の威力は、以前アルトが戦ったときよりも数倍高くなっている。

 レベルは、圧倒的にアルトの方が高い。

 だが彼の才能が、レベルの数値を凌駕している。


【火魔術】が破壊力を象徴するものならば、【雷魔術】は速度である。

 彼と戦闘を行えば、アルトはあっという間に雷で麻痺させられ、為す術なく床を舐めるだろう。

 ここで彼とやり合う状況にならなくて、本当に良かった……。


「……行かないんですかぁ?」

「え?」

「まったく、感が悪いですねぇ。一度頭を切開した方が良いんじゃないですかぁ?」

「…………」


 彼の冗談とは思えない口振りに、アルトは無言で首を振る。


「ほらぁ、さっさと行きなさい。邪魔ですからぁ」

「あ、はい」


 なんともつかみ所のない人である。

 だが、勝手に挑みかかって、ボコボコにしたにも関わらず、彼はまったくその過去を引きずっていない。


 良い人、というわけじゃない。

 彼はきっと興味を持っているもの以外、なにも気にしないのだ。

 学者がよく靴下や靴を左右間違えて履いてしまうように。

 あるいはご飯を忘れて作業に没頭してしまうように。


 そういう点はアルトにもある。

 だから、理解すると同時に、あらゆる方面に対して申し訳なく思う。

 もしかして、みんなにいろいろ迷惑かけてたかもしれないと。

 だが気付くのが遅すぎた。

 戻って謝る時間はないし、謝っても「いまさら?」と怒られるだけだろう。


 ガミジンの勧めを受けて、一応警戒しつつも部屋に入る。

 丁度部屋の中央にさしかかったとき、ガミジンの杖がピクリと反応した。


「……止まってくださいねぇ。死にますよぉ」


 それはアルトも気がついた。

 宝具で隠していても、うっすら感じる凶悪な力。


 後方に飛ぶと同時に、床が割れた。


「【圧縮雷撃(サンダーボルト)】!」


 ガミジンがすかさずその相手に雷撃を食らわせる。

 しかし、


「……魔術耐性が高いですねぇ」


 ガミジンは大きく舌打ちをした。


 互いに相手の現在地が把握出来ない。

 ガミジンは、辛うじて【雷魔術】の【攻性防壁】を展開することで、電位差かなにかで予兆を感じ取っているようだ。

 だがアルトは違う。

 まったく見えない。


 どうしよう……。


 頭を働かせていると、突如アルトの背中が重くなった。

 同時に、体中がまるでお風呂に浸かっているかのように温もりを帯びる。


 変化は重みや温もりだけではない。

 体の傷が、みるみる癒えていく。

 まるで【治癒魔術】を使われているような……。


「……え?」

「楽しそーなことになってるね、おにーちゃん」


 背後から聞こえてきたのは懐かしい。ヴェルの声だ。


「ヴェル!」

「えへへー」

「ヴェルはどうしてここに?」

「おじちゃんに頼まれてー、忍びこむお手伝いしたのー」

「なるほど。ヴェルは偉いね」

「うふー」


 おじちゃんと言われたガミジンは、呼び名が気にくわないのかヴェルが嫌いなのか、顔を憎々しげに歪める。

 だがヴェルは彼とは正反対で、憎からず思っているのだろう。

 ガミジンとヴェルの話し方がそっくりなのが、その証拠だ。


「そいつに好かれるなど、物好きですねぇ」

「え? そうですか?」

「っふん。そいつの凶暴性がわかりませんかぁ? 私が散々辞めろといっているのにぃ、隙を突いて首を刈り取ろうとし続けたんですよぉ?」

「うわぁ……」


 すごく、想像できる。

 だが、なるほど。

 ガミジンがアルトの攻撃に反応出来たことも、【攻性防壁】を編み出していたことも、ヴェルに散々いじめられた過去があったからか……。


「ヴェル……。おじちゃんを攻撃したら駄目だよ?」

「えー。おじちゃん、びくってするの面白いのにー」

「っく……」


 ガミジンは忌々しげに顔を歪めた。

 命を狙われているのに、その本人が面白いと言うのが腹立たしいのだろう。


 足下に銃弾をぶっ放して、ほら踊ってみろよ。あいつの踊りサイコーだぜ! って言われてるようなものである。


 ガミジンが、不憫だ……。


「ほいっ」


 アルトの肩に軽い衝撃。

 ヴェルが肩を使って宙に舞い上がり、その直上で踵を振り下ろした。


「……え?」


 反応出来ずにいると、ヴェルの踵がなにかに当たり、空中で停止。

 その気配が僅かに後ずさる。


「ここはだいじょーぶだから、ぼくに任せてー?」

「う、うん」


 もしかしてヴェルは、この見えない相手の気配が読めているのだろうか?

 だとするなら、恐ろしい。


 このまま放置していると、彼女は間違いなく世界で一番危険な暗殺者になりかねない。

 そこは、ガミジンのおじちゃんに頑張って矯正してもらおう。


 頑張れガミジン。

 負けるなガミジン。

 人類の明日は、君の肩に掛かっている!


「……嫌ぁな目をしてますが、なんですかぁ?」

「いえ。それじゃ、行きます。どうかお気をつけて」

「っふん」

「じゃあねヴェル。【治癒魔術】、ありがとう。……さようなら」


 あんまり悪いことしちゃだめだよ?

 そう言うように、アルトはヴェルの頭をしっかり撫でてから、部屋の奥へと走り出した。



「ばいばーい」


 手を振りアルトを見送る。

 その間も、ヴェルは実体のある殺意を振りまき、常に隠れた善魔を牽制している。


 その善魔が一歩でも殺意に触れたら、即座にヴェルは斬りかかっていただろう。

 それがわかるからこそ、善魔は半端には動けない。


 ここまでヴェルの【気配察知】が上達したのは、紛れもなくアルトのおかげである。

 彼が日那の天皇に依頼し、ヴェルの痛覚を取り戻してくれたからこそ、ほんの些細な気配も肌を通じて感じられるようになった。


 ただでさえ鋭敏だった【気配察知】が、恐ろしいほど確度を上げた。

 とはいえ痛みに慣れるまでに相当時間がかかってしまったが……。


 痛みを受け入れる旅の途中、丁度良くセレネに向かうガミジンを見つけたヴェルは、さも当然のように彼に同行した。

 彼は激しく嫌がったが……。


 セレネには、必ずアルトが来る。

 それが判っていたからこそ、ヴェルは痛覚を自分のものにし、しっかり戦えるように特訓を続けた――毎日のようにガミジンを相手取って。


 願いは一つ。

 アルトの役に立つ、その為に……。


「おじちゃーん。この善魔、ぜぇんぶ斃しちゃっていいのー?」

「いいですけどぉ。何匹居るんですかねぇ?」

「100くらいー?」

「……。1匹でも倒せば、レベルアップ酔いに掛かるでしょうからぁ。なるべく再起不能にするだけにしておいてくださいねぇ」

「はーい」


 レベルアップ酔いに掛かれば、どれほどこちらが有利に事を進めていても、一気にひっくり返されてしまう。


「ふんふんふーん」


 殺さないのは苦手だが、手足をもぐのは得意である。


「足をとーってー、手をもいでー。首はーそのままー♪」

「変な歌を口ずさまないでくださいぃ。頭がおかしくなりそうです」


 気分が高揚したヴェルを尻目に、ガミジンは実に鬱陶しそうに顔を歪めた。


 アルトが出て行って、その足音が階段を上りきったところで、ヴェルはもう一度アルトに向かって、心の中で手を振った。


 バイバイ、お兄ちゃん。

 ……ありがとう。

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