僅かな光明
位堂前に到着したアルトたちは、臨戦態勢のままそれぞれ背中をかばい合う。
「……」
「…………」
「………………」
「……誰もいませんな」
「一応、警備は厳重になっているんですよね?」
「ええ。警備は教皇庁実働部隊である暗部室が行っているはずでしたが――」
「ん?」
「暗部室にはガープという危険人物も――」
「あ?」
マギカとリオンの反応がおかしい。
互いにクラインの言葉のなにかに反応し、そこから顔が青ざめ、額に油汗を浮かべている。
「……マギカ、モブ男さん。正直に話してください」
「おおおお、オレはアレがここの人だなんて知らなかったんだ! ただちょっとムカツクからボコっただけで……」
真っ先にリオンが自供。
ボコったって……。
あんたはチンピラか。
「それでガープという人は戦闘不能と」
「お、オレは悪くないからな!」
「はいはい。で、マギカは?」
「アルトが消えた日、なにかしてると思った。きっと、両親を狙う曲者を露払いに行ったのかと――」
「そう!そうだ! オレたちは師匠の両親を助けるために――」
「両親? 曲者?」
予想外の単語が出てきて、アルトは眉根を寄せる。
「あれは、師匠が消えた日のことだ……」
「そういう重たい物語の導入みたいな口調はいいですから、簡潔にお願いします」
平時であれば最後まで聞いたかもしれないが、いまは時間がない。
「オレが師匠の部屋に忍び込んで――」
「忍び込んだ!?」
「宿を監視してた工作員を、まとめて蹴散らして――」
「けち…………」
この人達。一体、どこの世界での出来事を口にしているのだろう?
っていうか、いつのまに“ハンナ救出劇”が“仁義なき戦い”になってるの?
あまりの内容にアルトの頭がクラクラする。
話はこうだ。
リオンがアルトの部屋にこっそり忍び込んだが、アルトの姿が見当たらなかった。
もうその時点でアルトにとっては穏やかな話ではないのだが、まだこれは話の始まりである。そう考えるだけで恐ろしい。
宿を飛び出したリオンはガープとたまたま出会い、無関係な者同士にも拘わらず激突し、これを打倒。
マギカも高い索敵能力を生かして、その時点では無害だったはずの監視役を一方的に蹂躙していったと。
……2人はバーサーカーかなにかなの?
「そ、そもそも、なにも言わず出て行った師匠が悪いんだぞ!」
「ん。アルトが悪い」
物語の帰結として、結局アルトが悪いことにされてしまう。
何故なのか?
「なるほど。その話を聞く限り、わたくしが手に入れていた情報と辻褄が合いますな」
「教皇庁が騒がしい、というやつですか?」
「はい。暗部室の室長ガープと監視役がまとめて欠員となれば、それはもう大慌てです。なんせ、暗部は教皇庁でも武闘派が集まっている部署ですから。
そしてなにより教皇庁において、公に出来ない部署でもあります。ガープの拷問の話など、外に出れば間違いなく教皇庁の地位は失墜するでしょう。事件のもみ消しに必死になっていたに違いありません」
完全に予想外の出来事だが、決して彼女達の行動は悪手ではない。
きっと暗部とやらが神殿警備を担当していれば、こんなふうに落ち着いてなどいられなかったことだろう。
そのおかげで現在、こうして4人が普通に喋っていられるのかもしれないのだ。
「それで2人とも。もう隠していることはありませんか?」
「……ん」
「お、おう……」
「……はあ、わかりました。みなさん、気を引き締めてくださいね?」
緊張感が完全に抜けてしまった気がするが、意識して引き締め直す。
とにかくここからは、一切気を抜いてはいけない。
「実際、僕もマギカも、ここから大けがをして逃げ帰っていますから」
位堂への扉に手をかけて、アルトは真剣な低い声を発した。
それに感化されたように、3人が無言で頷く。
ゆっくりと扉を押し、開け放つ。
位堂の中。
空が開けた広い部屋の真ん中に、いる。
アルトがまったく太刀打ち出来なかった、あの大剣の善魔が。
即座に臨戦態勢となるが、それはまだ動かない。
空には沢山の善魔が漂っていて、ポールアクスの先をアルトたちに向けている。
やはり、その善魔の軍勢も、ただ宙を漂っているだけ。
まるで、アルトたちが部屋に入るのを待っているかのように……。
「まずオレが出る。マギカ。後ろからついてこい」
「ん。任せて」
「…………」
緊張感漂う2人とは対照的に、アルトはどこか間の抜けた様子で顎に手を当てる。
もしかすると……。
「二人とも、ちょっといいですか?」
「ん?」
「なんだ師匠?」
断って、アルトはたっぷりと時間を使いマナを練り上げ、前方に一気に噴射した。
4色の上級魔術が善魔に飛来。
大剣の善魔や、空に浮かぶ沢山のポールアクスを持った善魔を次々と直撃する。
「まだまだぁぁぁぁぁ!!」
心の中でオラオラオラ!! と声を上げながら、アルトは次々と上級魔術をうち放つ。
百の上級魔術を打ったところで、アルトの膝が折れた。
急速なマナの減少による倦怠感が、体の自由を一時的に奪ったのだ。
「……うわぁ」
「……はぁ」
「なんといいましょうか……」
後方でただアルトの暴走を見続けていた3人が、それぞれ呆れたような声を発する。
なんでこんなのが味方なの?
もしかしてこの人、悪魔なの?
血も涙もない外道だ。
そう言われているかのようで、アルトは心が痛い。
心が屈しそうになるのを堪え、アルトは扉の先を注視する。
「師匠。なんで、いきなり――」
「しっ!」
唇に人差し指を当て、リオンをステイさせる。
5秒。10秒。
じっと待ち続けるが、善魔は一向に動き出さない。
空に浮かんでいる善魔のほとんどが、いまの魔術で打ち落とされたらしい。
地面に落ちて、体が砂のように消え去っていく。
やはり、思った通りだ。
彼らはアルト達を、待っている。
おそらく彼らは部屋に侵入する者の一切を殲滅すべし、と命令を受けているが、部屋の外にいるものは襲わないのだ。
そうと判れば対処は簡単。
アクティブ範囲外から先制攻撃をしかければ良い。
あとは残った善魔を駆逐して……と、そういう作戦だったのだが、
「師匠、さすがにこれは外道すぎんだろ……」
「アルト、最低」
「さすがにわたくしも、なにも言えません」
何故か3人に非難の目を向けられる。
「いや、これはですね、攻撃を受けずに安全に戦う方法で……」
もう、いいんだよ。それ以上自分を貶めないで!
まるで慰めるかのように、鞄から伸びた触手がアルトの腕をぽんぽんと叩いた。
ルゥまで!!
っく、何故だ?
何故理解されない!?
「と、とりあえず善魔は間引きました。あとはあの大剣の善魔を倒すだけですね」
よぉしがんばるぞー!と気合いを入れて、3人の絶対零度の視線を受け流す。
無視を決め込むアルトに呆れたのかそれとも諦めたのか。
3人もため息一つついて、気合いを入れ直した。
数多くの善魔を打ち落としたアルトの魔術でも、大剣善魔には傷一つついていない。
おそらくこのままマナが尽きるまで魔術を打ち続けても倒せはしないだろう。
一方的に攻撃を続けられるならば、アルトには数万の軍を潰しても余りあるMPがある。それを使い尽くしても傷が付かない相手など、通常では考えられない。
日那の善魔のように耐性が高いのか、あるいはもっと別の理由か。
どちらかはわからないが、見える可能性を1つ1つ潰していくしかない。
「ひとまずクラインさんはここで待機していてください」
「あい判りました」
「それじゃ、行きましょう!」
「ん!」
「おっけ!」
合図と共に、アルトとマギカ、リオンが一斉に飛び出した。
広間に1歩足を踏み入れると同時に、大剣善魔が反応する。
すかさずリオンが前に出て盾を構えた。
同時にマギカが気配を消して回り込む。
アルトはリオンの斜め後ろに立ち、短剣と魔銃を構える。
「さあ来い! この勇者がアンタな――あ?」
【挑発】するリオンの台詞が半ばで途切れる。
彼はしっかり敵を視認していた。
だがそれでも善魔の動作を捕らえきれなかった。
「うそ――だろッ?!」
善魔が大剣をなぎ払う。
たった1撃で、リオンが吹き飛ばされ、猛烈な勢いのまま壁に激突した。
大剣を振り抜いた態勢で硬直した善魔の背後から、マギカが拳を振り抜いた。
宝具とオリハルコン。両方の鉄拳が数発善魔の体に命中。
しかし、花瓶をノックするような甲高い音が響いただけ。
人間の数倍はある獣人の腕力をフルに生かした攻撃ですら、傷をつけるどころか態勢さえ崩せなかった。
「――ッ」
息を呑む擦過音。
善魔が体を素早く回す。
回転の力を用いて振り抜いた大剣の腹が、マギカに直撃。
肉を潰すような嫌な音が響く。
マギカもリオン同様に吹き飛ばされ、地面を何度も転がる。
隙を突いてアルトが魔術を発射。
当たれ!!
白い光弾が音速で善魔に迫り、
しかし、
さらにもう1回転した善魔が、大剣を横から直上に振り抜いた。
「な……」
大剣の腹に当たった光弾が、打ち返されて空に舞い上がる。
その最後を確かめるより早く、アルトの目の前に善魔が飛び込んだ。
あまりに早すぎる移動。
目で捕らえるのがやっとであるそれに、アルトは反射的に回避。
だが、間に合わない。
既に大剣は振り抜かれていて、そのデッドゾーンからアルトは半身さえ抜け出せない。
無理だと悟り、全力で防御態勢をとる。
刹那。
激しい衝撃。
視界がブレ、音が消える。
気付けばアルトは、地面に転がっていた。
この間、僅か1秒。
たった1秒で、レベル99のマギカとリオン、それを突破したアルトが為す術なく床に這いつくばる結果となった。
「マジ……かよ……」
いち早く衝撃から立ち直ったリオンが絶望たっぷりにそう呻いた。
アルトも、彼と同じ気持ちでいっぱいだった。
相手はシズカと同じ。
いや……下手をすればシズカ以上かもしれない。
3人で掛かれば活路を見出せるとアルトは考えていた。
リオンとマギカ、それにアルトのパーティは、ヒーラーはいないが攻守のバランスが良い。
陣形さえ保てば、どのような相手だろうと戦線を維持出来る。
そのはずだった。
だがアルトの読みは甘かった。
体中に激烈な痛みが走り、立ち上がれない。
意識ははっきりしているのに、体が言うことを利かない。
立ち上がることを、拒否している。
5秒、10秒。
善魔は追撃するでもなく、その場でアルト達を睥睨する。
不自然な間。
いくつもの修羅場をくぐったアルトでさえ、絶望が頭を過ぎる。
それは、力の差を認識させて心を折るのに十分な時間だった。
「まだだ!」
だが、重い空気を撥ね除けてアルトは咆えた。
自分に対して、マギカやリオンに対して、活を入れる。
まだ諦めるのは早いと言うように。
と同時に、アルト達が倒れたことで動き出そうとしたクラインを押しとどめるためのものでもあった。
アルトの活で、マギカとリオンが立ち上がり、クラインは前傾した背中をゆっくりと伸ばす。
「リオンさん。攻撃は受け流せそうですか?」
「……やるよ。出来なきゃどうにもならねぇだろ!」
怒るようにリオンが吠える。
それはアルトに怒っているのではなく、自分を支配しようとした怖気を振り払うため。
「マギカ!」
「ん。任せて」
マギカの耳は怯え、尻尾が硬くなっている。
だが表情からは闘志が消えていない。
2人の姿を眺め、アルトも気合いを入れ直す。
絶対に、お前の正体を見抜いてやる。
「さあ、来いよ。勇者の真の実力を見せてやる!!」
リオンの【挑発】を受けて、善魔が一瞬で間合いを詰める。
前回は対応出来なかった攻撃に、しかし今回は僅かに対応してみせる。
とはいえ態勢は不十分。
吹き飛ばされそうになる左腕を右手で押しとどめる。
いまの攻撃で腕の骨がどれだけ砕けたか。
それでもリオンの瞳に諦めの色はない。
であれば、自分だって――。
「ッシ!」
その後ろからマギカが連続攻撃。
3発、6発と、リオンが善魔を釘付けにしているあいだ、マギカの攻撃の回転数が徐々に上がっていく。
その攻撃を縫うように、アルトも二丁魔銃の片方バレッタを抜いた。
本来であればボティウスを消し飛ばした高出力魔銃ベレッタを使いたかったのだが、あれは周りへの被害が大きくなりすぎる。
仲間を巻き込む可能性もあるため、使いたくとも使えない。
低出力とはいっても、低・中悪魔程度ならば十分に消し飛ばせる威力があるバレッタにマナをチャージし、アルトは連続で引金を引いた。
物理はマギカ、魔術はアルトが担当し、善魔の穴をしらみつぶしに探していく。
【武具破壊】を当て、隙間に攻撃を打ち込み、あらゆる角度から鎧を攻め立てる。
善魔の次の攻撃でリオンは完全に態勢を崩され、斬り返しで地面に沈む。
同時にマギカが退避。
それを追って善魔が迫る。
進行方向を予測しアルトが魔銃を放つが、あまりに素早すぎて当てられない。
なんの足止めも出来ないうちにマギカが離脱。
瞬き一つで間合いを消した善魔がアルトに攻撃。
勢いそのままに、大剣の先端がアルトの胸を穿つ。
その直前で、
「このオレから、目を離すんじゃねぇよ!」
リオンが復活。
しかし完全とはいかない。
腕がまだ真紫に変色していて、盾も持ち上がっていない。
だがそのおかげで、アルトを貫くはずだった善魔の大剣が、胸の手前でピタリと停止した。
チャンス。
発砲。
衝撃。
善魔の頭から足まで銃数発光弾を当て、退避。
その間に、アルトを真似たルゥが手持ちの魔石を射出していた。
危ないから鞄から出て来ないように。
窘めるように、アルトはルゥを鞄の奥に押しやった。
「っくぅ!」
1撃1撃。
盾に当たる度に、リオンの体が無残に削られていく。
おそるべきヴァンパイアの体力と、それをさらに生かすオリハルコンの盾と鎧。それをもってしても、善魔の攻撃は止められない。
2発。
たった2発で、エアルガルドいち硬いだろうリオンが、ボロボロになり床を舐める。
龍の鱗さえ拳1発で砕けるのに、マギカの攻撃は一切善魔に傷をつけられない。
アルトの魔銃でも、一切ダメージが通らない。
リオンが倒れればマギカとアルトが地面に這いつくばり、その間にリオンが無理矢理立ち上がって攻撃を受け、チャンスを逃すものかとアルトとマギカが立ち上がり攻撃を仕掛ける。
リオンが倒れると一気に陣形が崩壊。
リオンの回復が間に合わない。
アルトとマギカの攻撃が通じない。
痛みが、絶望が、3人の体を重くしていく。
真っ白だった床が、気付くと赤で染まっていた。
リオンだけじゃない。マギカもアルトも、地面を転がる度に床を赤く染めた。
皮膚の割れた頭や唇から、止めどなく血液が流れ落ちる。
アルトの右腕にはもう感覚がない。
息が上がりっぱなしだ。
痛みはない。
痛みは、もう既に通り越した。
動きが鈍い。
体が重い。
傷が熱い。
胸が苦しい。
通常なら、動くことさえ出来ない怪我をして、しかし誰1人動くことを辞めない。
それでも限界が3人を、着実に囲い込んだ。
動きたいが、誰1人立ち上がれなかった。
地面で藻掻き、うめき、血を吐いた。
動かなくなったアルト達を、善魔はただただ見下ろしている。
殺すつもりがないわけではない。
足を踏み入れたときから常に、殺気は感じている。
殺す気はある。
殺さないのは一重に、楽しんでいるからか?
奥歯を噛みしめて、アルトは善魔を見上げる。
アルトは何度も全力の攻撃を仕掛けた。
だが善魔には、一切の傷が付いていない。
ここまで来たのに。
超えられない壁がまた、アルトを阻み、嘲笑っている。
悔しくて、奥歯が潰れそうなほど食いしばる。
目に涙が溜まって、溢れそうだ。
いっそ死んでしまえば楽になる。
楽になるならそれでも良いと思えてくる。
だが、信念を貫かぬうちは、絶対に死ねない。
自分を否定して楽になるくらいならば、苦しいままでも自分を肯定して死にたい。
だから最後まで、絶対に、食らいついてやる!
闘争心をむき出しにすると、それに呼応したように善魔がアルトに正面を向けた。
その時、
「…………ぁ」
僅かに歪む視界の先。
善魔の体に、小さい、ほんの数ミリほどの傷があるのをアルトは見つけた。
僅かな光明。
それが何か分かった瞬間――。
アルトは吠えた。
「クラインさん!」




