伝えること
ジャックとフィアンがアルトらを部屋の中へと迎え入れた。
正直アルトはこのまま宿に帰りたかったが、リオンの手がそれを赦してはくれなかった。
「……一体、リオンさんはどうして僕をここに?」
小声で訪ね、アルトはリオンを睨み付けた。
明日は決戦だというのに。両親と話をしている心の余裕はあまりない。
「挨拶、してなかったんだろ?」
小声だったアルトとは打って変わって、リオンの声は両親にも聞こえるような音量だった。
「師匠は黙って家を出たんだってな。なのにここで再会して『久しぶり』だけなんて、ダメだろ」
リオンは両親からアルトの話を聞いていたようだ。
いったいいつの間に……。
「昼間、ぶ、ブレイブさんがよく店を訪ねてきてくれていたんだよ。そこで、アルトの話を聞いたんだ。いろいろ、頑張ってたんだってな」
「私、ブレイブさんの話を聞いて、涙が出てしまったわ。私たちの知らないところで、そんなに頑張っていたなんて……」
(ブレイブさんって誰!?)
なるほど。
回復薬を買いに行く仕事がなかったリオンは、空き時間にそんなことをしていたのか。
誰がなにをやっていても、作戦に支障が出ないならなんの問題もない。それは自由だ。
だがまさか、リオンが両親と会って話をしていたなんて、アルトは思いもよらなかった。
「魔物に囲まれていたところを、ブレイブさんに拾われたんだって? アルト」
「そのブレイブさんに戦闘の手ほどきを受けたそうじゃない。いまのアルトがあるのも、ドラゴンさえ倒してしまえるブレイブさんのおかげね!」
「ブレイブさんがワイバーン三万匹を倒す手助けをしたそうじゃないか」
「ブレイブさんのおかげで戦争が早期に終結したそうね、すごいわ!」
彼らは一体どこのアルトとブレイブさんの話をしているのだろう?
じろ、と横目で睨むと「オレしーらない」と言うようにリオンの目がザブンザブンと泳いで逃げた。
おそらくリオンは、今の立場を逆転させて両親に語ったようだ。
真実を語るべきか、とすぐに考えて辞める。
そんな時間はないし、真実を語ったところでアルトはもう先がない。
名誉だってない。そも、名誉など欲しくはない。
「ブレイブさんはいい人だぞアルト。ちょっとアレだけど」
「そうね。いい人に教えられてよかったわねアルト! ちょぉっとアレだけど」
「アレってなんだよアレって!?」
的確な物言いに反応したリオンがいきり立つ。
いくらリオンがブレイブな物語を語ったところで、空っぽな頭内までは隠せなかったようだ。
……当然といえば当然だが。
「夜分遅くに申し訳ありませんでした。もう帰りますね」
「あ、ああ……」
「アルト……」
「ま、また明日な」
「ええ、そうね。お休みなさい」
少し表情を暗くした両親は、それでもすぐに顔を明るくしてアルトに手を振る。
その表情がアルトの胸に少し、突き刺さった。
けれどすぐに立ち上がり、アルトは出口へと向かう。
その前に、腕が力強く捕まれた。
「師匠。逃げずにちゃんと話をしろよ」
「リオンさん。明日がどんな日かわかってます?」
「判ってるっての。だからこそ、言ってんだよ。両親と話が出来るのは、生きてるうちだけなんだぜ……」
その物言いは、狡い。
リオンにそう言われてしまえば、アルトが反論できる余地がない。
だがアルトにも言い分はある。
前回、両親はアルトが格Ⅰだと知った途端に態度を変えて、まるで家畜のように扱うようになったのだ。
両親に引きずられるように巡礼をし、各教会で『格が上がりますように』と祈って回った。
Ⅰは家畜の格。それは覆しようのない事実だ。
だからアルトはどのように扱われようと、両親に憎悪を向けるなど愚かな真似はしなかった。
いくら憎んでも何かが変わるわけではないのだから……。
ただ……しこりはあった。
形容し難いなにかが、アルトの胸の底に確かに滞留している。
「い、家を出たのは俺たちが悪かったから、じゃないんだよな?」
ジャックは、まるで大人に怯える子どものような口調でアルトに尋ねる。
もっと、堂々と訪ねればいいのに、なんで……。
まるで大人らしくないその態度が、さらにアルトの胸を締め上げる。
「ブレイブさんから聞いたのよ。は、ハンナ君を助けるために家を出たって。そうなのよね?」
――なんでそれを!?
フィアンの言葉でアルトの心臓が強く胸を叩く。
ハンナを救うために家を出たと、アルトは一度だって口にしたことがない。
リオンに視線を向けると、彼女の瞳が部屋を泳ぎ回っている。
……なるほど。これも作り話か。
ほっとすると同時に、丁度良いとも思ってしまう。
折角だからこの話に乗せてもらおう、と。
「無言で家を出て、済みませんでした。僕が家を出たのは、どうしても救いたい人が居たから。もしこのまま家に居れば、その救いたい人が救えなくなる。きっとお父さんもお母さんも、僕が戦うことを赦してはくれなかったでしょう。それではハンナを、助けられない。だから、家を出ました。心配かけて、すみませんでした」
「いいのよアルト。もう、アルトが生きてるって判っただけでも、お母さん、幸せだから……」
「ああ。俺も幸せだぞアルト。だから謝る必要なんてない」
二人は目に涙をためて、うんうんと頷いた。
けれど隣のリオンは眉を怒らせ、アルトの肩を軽く小突いた。
「違うだろ」
「え?」
「もっと言うべきことがあんだろ」
「……というと?」
「オレはどうしていまここにいる? オレやマギカやルゥやハンナや、そのほかいろんな人と関わり合えたのはなんでだよ?」
「ええと……」
「両親が、アンタを産んでくれたからだろ!!」
「…………っ」
そう。そうなのだ。
彼らがいたからこそ、アルトはこうしてここに立っている。
彼らがアルトを産んでいなければ、ハンナに会うことも、ハンナと親友になることも、
ハンナを失ってまた立ち上がって、死に戻って、
ルゥやマギカやリオンや、その他大勢と出会い、支えられ、
そしてハンナをユステルで救うことも、
現在こうしてセレネにたどり着くことも、
出来なかった。
巡礼で引きずり回されたこと、格Ⅰだと蔑まれたこと、そのせいで鬱屈していたこと。
それらがなかったら、きっとアルトはハンナに出会っても、ハンナが特別になり得なかっただろう。
だから本当は、アルトがハンナに出会い親友になるチャンスを生んだのは、両親に他ならないのだ。
すべては両親のおかげなのだ。
それが判った途端に、アルトの口から言葉が自然と現われた。
「父さん、母さん……。僕を産んでくれて、ありがとうございました」
「「――っ!」」
フィアンが口を押さえ、ジャックは目を見開いた。
まるで深く切られた白い傷口から、血が溢れ出るような若干の間が開いて、二人は一気に泣き崩れた。
フィアンはこれまで頑なに息子のことだけを思い続けてきた。
自分の体がどうなろうとも、息子が生きてさえくれていれば、なにも不満はない。もし死んでいるとしたら……そんなことは考えたくなかった。
だから、必死に働いた。
息子の死を考えないようにするために。
でなければ自分が悪いのだと、己の手で傷つけてきた心が、あっという間に崩れ落ちてしまうから。
ジャックもフィアンと同じだ。
彼は腹を痛めていない、だからこそより強力に自らに鞭を打った。
腹を痛めたフィアンの痛みを、少しでも理解するために……。
これまで抑制し蓄積されてきた苦痛があまりにも多かったため、アルトの言葉で昇華された途端にそれが涙に変わって止まらなくなってしまった。
よかった。本当に、良かった。
息子が生きていて。
私たちが、生きてきて。
私たちを、赦してくれて……。
アルト。私たちも同じだよ。
あなたがこの世界に生まれてくれて、
本当に良かった。
本当にあんなことを口にしてもよかったのだろうか?
アルトは己が言った言葉に軽率さを感じて仕方が無かった。
それはジャックとフィアンの元を離れても、アルトの頭の片隅で不完全燃焼のようにくすぶっていた。
「師匠、なにうじうじ悩んでんだよ?」
バシっと背中を叩かれてアルトはつんのめる。
だからヴァンプの力で平民の背中を叩かないでもらいたい。
危うく吹き飛んでしまいそうになったじゃないか。
「明日、僕は死ぬかもしれない。それなのにあんなことを言ってもよかったのかどうか……」
「ほんと師匠って気持ちを表現するのが不器用だよな。そういうとこは、マギカそっくりだ」
リオンと比べりゃ、だれだって不器用だ。
アルトは内心拗ねて、けれど言われていることは確かなので反論できない。
「師匠はなんでもかんでも抱えすぎなんだよ。しゃべりゃいいんだよ。
言わなきゃわらないことだってあるし、みんながみんな気持ちを汲んであげようって思うわけじゃねえ。
逆に気持ちを汲みたいのに、師匠がなにも言わないから、どうしたらいいかわらなくなる人だっているんだ。
たった一言あれば、救われる人だっている。
たとえ明日死ぬとわっていても『愛してる』って言って欲しいときだってあんだよ」
「…………モブ男さんにそんな経験が?」
「さて明日は決戦だな! みんな生き残れるように気合いを入れるぞッ!!」
リオンは空に拳を元気に突き上げる。
逃げたな……。
生命や出産や愛を司る命神と言われるエルメティアが、何故恋愛成就だけは司っていないのか。その理由は、使徒であるリオンを見ていればうすうす理解できてしまう。
育むことと、伝えること。
それらは全く、違う力の働きなんだ。
たぶんきっと、彼は両親のためにアルトを会わせたのではない。
アルトのために、両親に会わせたのだ。
ともすればハンナのために死んでしまいそうなアルトに、僅かでも生き延びる力を与えるために。
生き残れるよう気合いを入れるために。
アンタをこれだけ愛してくれる人がいるんだから。
悲しませないように。ちゃんと、生き延びろよ?
彼が掲げた拳から、そんな祈りが感じられるようだった。




