野菜を笑顔で薦める二人(圧
体から生気が奪われたゾンビのような目をしたアルトが、ベンチに腰を下ろしてぼぅっと宙を凝視していた。
先ほどの猛攻を受けて瀕死の重傷を(心に)負ったアルトは、(心が)死ぬ寸前でなんとかカウンタに魔石を置いた。
それを買い取ってもらい、薬代にする予定だったのだが……。
「誠に残念ですが」
カウンタに戻ってきたエリクは、沈痛な面持ちで首を振った。
「すべて合わせて、金貨10枚、銀貨50枚でした。が、それを買い取る余裕がこのギルドにはありません」
「ええ!? じゃあどうすんだよ? 内臓売るのか?」
「ぶふっ!!」
物騒な言葉にエリクが吹き出した。
いやさすがにそれは、ネタでも聖都で口にしないでもらいたい。
『お兄さん。こっちで聖書のオベンキョウをしましょうね』
と顔の怖い信者がぞろぞろやってくるかもしれないじゃないか。
「買い取りは出来ないこともないですが、なにぶん予算の少ないギルドですから。他の国のギルドにお金を工面してもらうか、あるいはこちらから商人に掛け合って捌いてもらうしか……」
「どちらが早いですか?」
「前者は……おそらく最速で2ヶ月はかかるでしょう」
2ヶ月となると、もはやアルトはこの世にいない。
当たり前だが却下である。
「後者は不明ですね。買い取れるだけの資金力がある魔石商がいれば早いですが、いなければ何ヶ月かかるか……」
「じゃあ、ひとまず後者でお願いできますか? できるだけ早く纏まったお金が欲しいので」
「纏まった……。いくらほどでしょう?」
「多ければ多い程良いですね」
「一度アヌトリアやミストルに向かってみてはいかがですか?」
「すみませんが、それではちょっと……」
「……ふむ」
ワイバーン戦で稼いだお金が、イノハと日那で大量に減り、そしてアヌトリアで行ったアリバイ工作の奉仕活動で底が見えてしまっていた。
日那ではほとんどの魔石を寄付しているし、アヌトリアでは魔石を販売する余裕など一切無かった。
きっと販売したとしても戦時中だったので、他国より安く買いたたかれていたに違いない。
現在の手持ちは金貨1枚と少し。
決して少なくはないのだが、クラインに返す回復薬を購入したらもう残金ゼロである。
さらに、今後ハンナ奪還作戦を行うに当たって、最低でも高級回復薬を6つは用意しておきたい。
万全を期すなら9つ。繰り上げで10は確保したいところだ。
なので、なるべく早い段階で纏まったお金が欲しかった。
「1週間、買い手が現われなかったらこちらで別の方法を考えます。それまでお願いできますか?」
「わかりました。では、証文を用意いたしますので少々お待ちください」
証文を受け取ってギルドを出たアルトは、地元の商店街に足を向けて薬品店を探す。
アヌトリアやユステルと違い、ここはフォルセルスのお膝元。
怪我や病気にかかれば教会に赴くのが基本である。
そのためか、一般人向けの商店街に薬品店の姿が見当たらない。
「モブ男さん。高級回復薬が売ってる薬品店がどこにあるかわかります?」
「大きなお店だと、土産物屋通りだな」
何故そんなところに?
そう思ったが、よくよく考えればここはセレネ皇国。
回復薬の品質はさておき、神のご加護と銘打つものは――なるほど、お土産として最適だ。
『神のご加護のある回復薬』として薬を売り出せば一財築けること間違いなしだ。
リオンの情報を元に早速アルトは土産物屋通りに向かった。
「おお」
「あらあら」
「あ」
そこで、アルトは再び両親に出逢った。
□ □ □ □ □ ■ □ □ □ □ □
「アルト。今日は観光か?」
「いえ。実は薬が欲しくて」
「……どこか悪いのか?」
「いえ……」
実は体が切り刻まれまして、などとは口が裂けても言えない。
相手はアルトの両親である。
不安にさせるようなことは言うべきではない。
「なるほど。セレネ皇国の薬は人気があるからな」
黙っていると、父ジャックは良いように解釈してくれた。
「ねえアルト。もし時間があるなら、私達のお店にも寄っていってもらえるかしら?」
「え? お店ですか? 2人が?」
「そうなの! これでも1位2位を争うくらい有名店舗なのよ!」
そう胸を張る母フィアンに、アルトは訝しげな視線を向ける。
彼らはコンパイの外れにある田舎村の出身。
労働経験は農業くらいなもの。決して皇都で一旗揚げられるような人物ではなかったと思うのだが……。
一体なんのお店なのだろう。
……地物野菜の特売所とか?
ほらほら、と手を引かれ付いた先はあの謎の土産物屋だった。
「ここは……」
「コケシ店“ジャックとフィアン”へようこそ!」
ジャッジャジャーン! と独りSEを入れるフィアン。
そこはセレネに訪れたとき、真っ先に気付いた異変――青果店だった。
なるほど。彼らがここに来て、生活費を稼ぐために商店を始めたせいで、ここがアルトの記憶とは違うお店になっていたらしい。
理由は、わかった。
しかし、だ。両親からすれば最も馴染みがあり手を出しやすい商売ではあったのだろうけど、それにしても聖都の一等地で青果店を出すなど並大抵ではない。
「二人は、どうして青果店を?」
「商売に出来そうなものがこれくらいしかなかったのよ」
「野菜なら多少は心得があるからな!」
「せっかくだし、何か持っていかない?」
「全部うまいぞ! 特にこのキュウリは朝もぎでおすすめだ」
ぐいぐいくる。
(ああ、なんか懐かしいな……)
まだ村を失う前の平和な時代。父が畑を耕し、母が収穫する。
アルトは父の姿を真似て土を弄り、母と共にトマトをもいだ。
収穫した野菜を前に、二人は今と同じような笑顔で言うのだ。
『野菜は鮮度が命なのよ』
『ほら、食べてみろ。うまいぞ』
二人と過ごしたかけがえのない時代の雰囲気に触れ、アルトの涙腺が緩む。
だが今、この空気に飲まれるわけにはいかない。
もしここであの平和な頃を求めてしまえばきっと、緊張感がすべて抜けてしまって、ハンナ救出に差し支えるだろうから……。
「……ごめんなさい。今は、いいかな」
「むっ、そうか」
「そう。残念だわ」
二人はアルトが纏う空気に気づいただろうか。それ以上たたみかけることなくすんなり引いたのだった。
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観光客が消えた夜。店を閉めて安宿に戻ったジャック・フィアン夫妻は、互いの目を見つめ合って抱擁し、ゆっくりと口づけを交わした。
「今日は、本当に素晴らしい一日だった……」
「ええ、そうね」
今日ほど素晴らしいと感じた一日は、おそらくファルスが誕生したとき以来だろう。
彼が家を出た理由についてはまだ怖くて触れられない。
だが、彼の態度を見る限り2人になにかしらの落ち度があったわけではないと推測出来た。
だがしかし、
「今日は、来ないわね」
「……ああ」
あの、例の職員ガープであれば今日もファルスと交わったことがばれているはずだ。
あの人物ならばすぐにここを訪れてもおかしくは無い。
だが実際は、遅めの食事を取り湯浴みをしてもまだ彼は宿に訪れなかった。
今日は休養日なのだろうか?
彼を待って神経を尖らせているのも、いい加減疲れてしまった。
彼と話をするのも神経が削られるほどの苦痛を感じるが、彼が訪れるのを待つ時間もまた苦痛である。
12時をまわったところで、2人はもう待つのを辞めた。
待つのを辞めた途端に彼が扉をノックするという恐怖はあったが、それを繰り返していては、永遠に眠れない。
寝台の灯りを消し、2人はまた口づけをして布団に潜り込む。
もしこの声が神に届くのならば。
どうか彼が、二度と我々の前に姿を現わしませんように……。
そしてどうか、アルトの怪我が一日も早く良くなりますように。
いくら何年間も離れていたとはいえ、アルトとは親子である。
子どもの様子に異変があることを、見抜けない親などどこにいよう?
先日とは打って変わって、今日のアルトは足を引きずるように歩いていた。
どこかで転んだか、あるいはぶつけたか。
なにかは判らない。
なにがあったか? と訊ねる勇気もない。
もし訊ねて突き放されれば、2人の心はいよいよ参ってしまうだろう。
もう二度と、2人はアルトを失いたくはなかった。
アルトに嫌われたくはなかった。
遠くからでも良い。
彼が生きてる。
その姿を眺めていられるだけで、2人は幸せになれる。
だからどうか、どうか。
神フォルセルス様。
アルトが〝天寿をまっとうできますように〟……。




