説教と赤い鞄
神殿侵入のことを伝えると、リオンは肩を落とし、逆にマギカはみるみる怒気を膨らませていった。
「アルト。なんで、勝手なことをしたの?」
「……すみません」
「謝って欲しいわけじゃない。神殿の情報は私がよく知ってる。何故、私になにも聞かなかった?」
「ひとまず、自分の目で見て確かめようかと」
「……アルトらしくない」
その言葉が、アルトの胸に深々と突き刺さる。
彼女のそれは実に正鵠を射ている。
自分らしくない。
突発的な危機に対しては、アドリブで対処する。だが事前に死ぬかも知れないと分かっている場所へは、なんの準備もせず、勝算もないままに突っ込む真似は一度たりともしたことがない。
「レベルを上げて単独でハンナを取り戻せるなら、私はアルトを頼らなかった。その意味が、アルトはきちんと理解出来ていると思っていた」
その通りなのだ。
アルトだって、マギカと合流したとき、そう考えていた。
だが、そのことを無視して突っ込んだのはアルトだ。
言い逃れは出来ない。
「何故合流するまで5年もかかったか。アルトは考えた?」
「セレネ皇国にハンナが居ると判明するのに……」
いや、違う。
あのときの言葉を、アルトは一言一句思い出す。
彼女は、ハンナが消えたとは言わなかった。
ハンナが奪われたと言ったのだ。
つまりレベルアップ酔いや眠っているあいだにハンナが消えたのではない。
彼女は、ハンナが奪われるところを目撃していたのだ。
……ということは。
「私は、5年間動けなかった。理由は、アルトが体感した通り」
誘拐犯の後を追い、神殿に侵入し、大勢の善魔に攻撃され命からがら逃げ出した。
まさかその時の怪我が理由で、5年も身動きが取れなくなってしまったなんて……。
「何故、私に聞かなかった? 訊ねていればこんなことにはッ――!!」
「まてまて、マギカすとーっぷ!!」
アルトに食いつきそうな勢いだったマギカの前にリオンが割って入った。
「師匠だって好きで痛めつけられたわけじゃない……だろ?」
何故そこで疑問符が付く?
出来るならば、すぱっと否定してほしい。
「師匠だって、人間だ……(?)」
だからすっぱり言い切れと(ry
「失敗の一つや二つすんだろ。それを責めてどうすんだよ」
「…………けど、この時機に」
「んなこと分かってるよ。師匠はもっとわかってるはずだ。今は命があっただけ儲けもんだろ。ってか、そんな重要な情報を伏せてるアンタには責任がねえのか?」
「――ッ!」
「っ!」
マギカに睨み付けられ、リオンが息を呑んだ。
マギカの視線は、普段ぼんやりしてる彼女からは想像出来ないほど凶悪で、怒りに塗れていた。
「リオンに、なにがわかる」
「……ん?」
「ハンナを任されて、その責務を真っ当出来ず、取り戻そうとして逃げ帰ってきた私の気持ちが、リオンにわかるの!?」
「…………」
「自分の失態を口にする痛みがどれほどか、普段から情けないリオンにはわからない!」
「おいおいさすがにそれは言い過ぎだろ。オレだって――」
「まあまあ、お二人様」
これまで沈黙を貫いてきたクラインが両手を叩き、加熱した2人の怒りの密着を引き剥がす。
「ここには怪我人がいます。一旦落ち着きましょう」
「部外者は黙って――」
口を開いたリオンに向けて、クラインは指を一本立てた。
ただそれだけの仕草で、リオンの抗弁があっさり封じられた。
「マギカさんの苦しみは、この老人にはよく理解できます。カーネル家で執事だったわたくしも、ハンナ様を奪われた身。生きてるだけで恥さらしでございます」
「…………」
カーネル邸での惨劇を目撃したマギカは、その光景を思い出したのだろう。怒り一辺倒だった瞳に痛みと憐憫が宿る。
耳はまだツンツンしているが、尻尾がゆっくりと下降していく。
「己の恥を晒したくない、という思いには理解を示せます。醜態を晒せば、己の実力が疑われるのではないか、否定されるのではないかという不安もまた。ただし、絶対に勝利せねばいけない条件下で、重要な情報を開示しなかったのは貴女の責任です」
「…………」
「なにがなんでもやり遂げるのであれば、形振り構う必要がどこにありますか? 恥を晒しても、見下されても、蔑まれても、忌み嫌われても、格好悪くとも、足掻いて前へ突き進む。ハンナ様は、そういうお方でした」
そう言いながらも、彼はアルトを見つめている。
まるでハンナのことと言いつつ、アルトのことを説明しているかのように。
実際アルトは、形振り構わず突き進んできた。
彼が言うように、どれほど見窄らしくとも、ハンナを助けるためだけに努力してきた。
誰になんと言われようとも、アルトはひとつも気にしなかった。
そうして現在、ハンナを救いだそうとして、このような醜態をマギカとリオンに見せつけている。
なのにアルトは平然と、すべてを受け入れる。
誰に何を言われても、どう思われようと――アルトの信念は、決して曲がらないから。
「それが理解出来ましたら、どうか矛を収めてください」
「…………ん」
クラインを見て、アルトを眺めて、マギカはしおらしい声を発した。
尻尾は股の下に挟まっているし、耳はくたっと倒れ込んでいる。納得したかどうかは別だが、クラインの言葉はちゃんと彼女に届いたらしい。
「そして、そちらの勇者様」
「ちょ、師匠、聞いたか!? 勇者様だってさ!!」
「…………」
たった一言でリオンの怒気を吹き飛ばすとは、さすがクラインさん。
老練とはこのことを言う……わけではなく、単にこの勇者が単細胞なだけだろう。
思いもよらない反応に、クラインが困惑の表情を浮かべている。
「おほん。リオン様はマギカ様を責めぬようお願いします」
「さてそれはどうかな。オレ、いつもこのワンコに殴られ続けてるんだぜ? だったら1発くらい本気の勇者パンチを食らわせてもいいんじゃないか? くっくっく」
邪悪な笑みを浮かべたリオンは指をワキワキさせながらマギカに近づいていく。
「ふっふっふ。そうしてどっちがご主人様かをしっかり学習させ……ぐぼぁ!!」
マギカの本気パンチがリオンの腹部に炸裂。
リオンは涙とよだれを垂らしながらくの字に折れまがった。
「……あ、え、ええと。マギカ様?」
「あ、大丈夫です。これ、いつも通りなので」
もし生身であれば火口から吹き上がる火山弾のように胴体が飛び散り、部屋の壁に新たなアートを描いた似違いない。
その攻撃の衝撃が恐ろしかったのだろう。
クラインが青ざめた顔で取り乱す。
だがアルトは確信する。
もう大丈夫だろう、と。
若干のくすぶりはあるかもしれない。
けれどこれが、この間合いこそが、マギカとリオンの関係をうまくかみ合わせる潤滑剤なのだ。
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一夜開けて、アルトの体調は大分良くなっては来た。
体から痺れが抜け、いまでは傷口の痛みだけが喧しい。
この調子だと1週間もあれば、万全に動けるようになるだろう。
朝食を運んできたクラインにお礼を言い、アルトはパンを口に運ぶ。
「さて、一つだけ問題が浮上しました」
「問題?」
朝一から不穏な言葉を聞き、さきほどまで感じていた空腹感がアルトの胃袋から散り散りに逃げ出してしまった。
「今朝ほどから教皇庁の動きが激しくなってきております。詳しい話はまだわかりませんが、もしかすると――」
「侵入がばれた?」
「可能性はあります」
となれば以後、昨晩よりも神殿の警備が厳重になるかもしれない。
「実働部隊にはかなり優秀な戦力が揃っております。能力が掴めているのは1人。おそらくエアルガルドいちの暗殺者が所属しております」
「暗殺者、ですか……」
暗殺者など名前だけでもいかがわしい職業である。
一体どのような場面で起用するのやら……。
「再度侵入を企てるときは、その教皇庁実働部隊に十分注意されたほうがよろしいかと存じます」
「わかりました。他になにか情報があれば、お願いします」
「はい。ではもう1つ」
え、まだあるの?
パンを口に入れようとしたアルトの動きがガチンと固まった。
「リオン様からのお届け物です」
「モブ男さんから?」
一体なんだろう?
キャベツかな? などと想像しているアルトの目の前に、赤い鞄が差し出された。
「あ――」
それはアルトが宿に放置してきた、ルゥが入った鞄である。
手にした瞬間、中からルゥが飛び出しアルトの懐を駆けずり回る。
まるで、「ぼくをおいて何してたの!? 心配したんだよ!ぷんぷん!!」と言うように、体をアルトに密着させて、触手で胸をペシペシと叩く。
「……ごめんねルゥ。心配かけたね」
ここまで自分の事でいっぱいいっぱいで、ルゥのことは頭からすっかり消えてしまっていた。
申し訳ない反面、あの場所にルゥを連れて行かなくて良かった、という思いが胸に広がる。
もし連れていってたら、またルゥを死なせていたかもしれないのだ。
だから、良かった。
ルゥも自分も、生きている。
無茶をして、ルゥに怒られている。
それにアルトは安堵し、イマに感謝するのだった。




