表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
303/311

懐かしい顔

 やはり……。

 神殿に侵入したアルトの顛末を見守った彼女は、その当然の結果に眉を下げた。


 力量と経験から、彼があの広間を突破出来ないことは彼女にも判っていた。

 だがそれでも彼女はアルトをけしかけた。


 理由はふたつ。

 ひとつは、敵の強大さを頭ではなく体で体感させるため。


 人は誰しも頭で理解していても、実際に体験せねば本当の理解は得られない。当然、知識的な理解をすることで、危険から遠ざかることはできる。

 だが危険を遠ざけてはハンナを救えない。


 あやふやではなく、明確なビジョンを持たせることで、きっと彼はなんとかしてその危険を乗り越えられるようになるだろう。


 のこるひとつは足止めだ。

 これでアルトは一週間は停滞を余儀なくされるだろう。


 あの大剣の善魔だけではない。様々な難敵がその先にも待ち構えている。それをクリアするために一度、アルトはどうしても足を止めなければいけなかった。


 それはこのエアルガルドに散らばった、様々な魂の輝きがのぞき見られる、彼女にしかわからないもの。

 ここでステイしなければ、次の勝負に望みのカードは得られない。


 セレネに訪れたアルトと再度言葉を交わしたあと、彼女は誰もいなくなった世界で一人ため息を吐き出した。

 やはり、自らの忠告のせいで大切な子どもが傷ついていく様を目にするのは、胸が痛かった。


 彼女が最後の注意事項を告げ、アルトが消える。

 そのすぐに後、世界が僅かに歪んだ。


 瞬間、

 空から黒い雫がしたたり落ち、地面で人の形に膨れ上がる。


「一体ここで何をやっているのだ」

「……」


 この世界。彼女の聖域に踏み込んできたのは、正神フォルセルス。

 来たか、と彼女は思った。そろそろ来るだろうとも。


「先ほどフォルセルス神殿に正体不明の〝魔法〟が入り込んだ。お前は一体、何をした?」

「現在のボクらに、魔法を使う神力はないよ」

「……確かに、以前とは違い神力が半分ほどになっているようだな。まるで魂が別れたかと思ったほどだが」


 フォルセルスが無遠慮に彼女の体を睨めつけた。


「本当に、侵入者の逃亡に力を貸したのではないのか?」

「この状態で魔法を使えば、こんなふうに会話は出来なかっただろうね」


 おそらくその線で間違いない、と考えていたのだろう。普段は真面目一辺倒の能面みたいな顔をしたフォルセルスの表情が僅かに崩れた。


「ボクらが使った魔法は〝組成〟だし、それはもう三年近く前のことだ」

「じゃあ……あれはなんだったのだ?」


 フォルセルスの瞳に、僅かな動揺が見て取れる。

 自ら邪の道に足を踏み入れ、熱心に世界の天秤を守り続けてきたフォルセルスとは思えない揺らぎである。


 それを目にした彼女が、僅かにほくそ笑む。


「良いことを教えてあげる。いまさらボクらをどうこうしたところで手遅れだ。事態はボクらの手を既に離れている。あとは運命の衝突を待つばかりだ」

「答えろ! お前らは、なにをしようとしている!?」

「賭けだよ」

「……は?」

「ボクらはたった一つの、純粋な魂に賭けたんだ。その賭けに、ボクらは全力でベットした。あとはもう、カードが配られるのを待つばかりなんだ」


 くつくつと、喉を鳴らす。

 彼女は――ネイシスは妖艶な笑みを浮かべ、自らの胸に手を当てながら、フォルセルスに宣言する。


「さあ、勝負を始めようフォルセルス。チップは世界と、この魂だ」




  □ □ □ □ □ ■ □ □ □ □ □




 アルトが目を覚ますと、木製の天井が見えた。

 体はぼぅっと痺れている。手に力を込めるけれど、動いているのか、動かないのか。あまりにぼんやりしていて判らない。


「お目覚めになられましたか、アルト様」


 しゃがれた声が聞こえ、アルトは僅かに息を呑む。

 けれどすぐに、その息をゆっくりと吐き出した。

 それは聞き覚えがある、懐かしい声だった。


「生きていたんですね……」


 アルトの横。椅子に座っているのは、以前カーネル邸で顔を合わせたことのある執事、クラインだった。


 彼に会ったのはもう8年近く前になる。

 記憶の中の彼と比べると、深い皺が無数に刻まれ、一気に老け込んだように見える。

 とはいえ世界中の男女が憧れる格好良いおじさまの雰囲気は健在だ。

 いや、さらに磨きがかかっているかもしれない。


 アルトはユステル最強の魔術師ガミジンの足止めには成功した。だが、神の御業行使による影の襲来で、執事たちはことごとく落命した。まるでその時期、その時間、その場所で死ぬことが、予め決定していたかのように……。


 遺体の一つ一つを確認することが出来なかったが、アルトはきっと全員が斃れたのだと思っていた。

 運命なのだろうと、諦めていた。


 だが幸いにもクラインは生き延びていたようだ。


「他の執事たちは?」


 その問いに、クラインはゆっくりと首を横へ振った。

 浮上したアルトの気持ちが、再び奈落へと一歩足を踏み入れる。


「あの事件で、カーネル家当主が死亡。ハンナ様も行方不明と、本家筋が不在となってしまいました。そのため現在は分家筋が当主となっております」

「何故クラインさんはここに?」

「わたくしがお仕えしていたのは本家……いいえ、ハンナ様のみにございます。出来損ないと罵られてもめげず、折れず、腐らず、公爵家の重みに立ち向かった、あの小さな勇士に、魅了されてしまっていたのですよ」


 クラインは昔を懐かしむように目を細める。


「分家の方から再契約を求められましたが、お断りさせていただきました。ありがたいお申し出でしたが、わたくしはカーネル家を守れなかった。仲間を見殺しにすることしか出来なかった。そのような老いぼれが、また執事長として働くなど虫が良すぎる。それに……」


 一度言葉を切ったクラインの目が、獰猛な光を宿した。

 以前とはまるで違う。研ぎ澄まされた気配にアルトの体が温度を下げる。


「ハンナ様は、まだ生きていらっしゃる。そのハンナ様を見捨てるなど、カーネル家……いえ、ハンナ様に忠誠を誓った者として、万死に値します」


 やはり、アルトの見立て通り。

 クラインにとっても、ハンナは特別だったようだ。


 公爵家という肩書きがあるにも関わらず、なにをされてもへこたれず前を向く。

 その直向きさは、かけがえのないものだ。

 だからこそアルトの胸に、ハンナのまなざしが永遠に、深く刻み込まれた。


 きっとハンナに直向きさが無ければ、いくらアルトの実力を認めてくれたからといって、命を燃やしてまで救おうだなんて思わなかったに違いない。

 きっとあの目でまっすぐ見つめられた時から、クラインと動揺にアルトの心も決まってしまったのだ。


 力ではなく肩書きでもなく、また財力でもない。純粋なハンナの人柄に、彼らはどうしようもなく惹かれた。

 おそらくそれこそが英雄の――真のカリスマというものなのだろう。


「さて、アルト様。ひとつ、訊ねたいことがございます」

「……はい」

「一体貴方は、何故あのような姿で道ばたに倒れていらっしゃったのですか?」


 指摘されて、ようやくぼんやりしていたアルトの頭が、つい先ほどまでの明確な死の気配を思い出した。

 僅かでもタイミングを間違えていれば……。そう思うと、どうしようもなく強ばってしまう。


 まるでアルトが気付くまで黙っていたかのように、途端に体中がうずき出す。

 激しい痛みが体中を駆け抜け、アルトは顔をしかめる。


 だが、死に直結する痛みはない。

 体は温かいし、血が流れ出している感覚もない。


 肩や腹には包帯が巻かれており、そこからの出血ももう止まっていた。


「これは……クラインさんが?」

「はい。そのままですと、間違いなく死んでおりましたから」

「……ありがとうございます」


 クラインの読みは非常に正しい。

 逃げ出したは良いが、アルトは落下の衝撃で完全に気を失ってしまった。

 そのまま倒れていれば、間違いなく失血死していただろう。


「金貨1枚で購入しておりました傷薬を使ったので、もう、落命の心配はないでしょう」

「…………あとでお支払いいたしますね」


 クラインの直接的な治療費請求にアルトはつい苦笑する。

 金貨1枚もする傷薬を、顔見知りだからと只で使うなど、お人好しではなくただの阿呆である。


 労力には対価を。

 それが最も安易で自明な気持ちの表し方である。


 アルトの返答に満足したのだろう。クラインは笑みを浮かべて小さく頷いた。


「ところで、何故アルト様はあのような場所に?」

「理由を説明するのは吝かではありません。ただ、この場所がどこか、ボクは知りません」

「なるほど。ご安心ください。ここはわたくしが常備しております、セーフハウスの一つです」

「なるほど。念のために、防諜の魔術を展開させていただきますね」

「はい」


 クラインが許可を出すと同時に、アルトは風魔術を圧縮、壁に貼り付け音の伝達を遮断した。

 それらが効果を発揮したのを確認し、アルトは自分が神殿に潜入したこと、そこにハンナがいるだろうこと、そして善魔に襲われたことを事細かくクラインに告げた。


 彼がユステルやセレネの間者である可能性はある。

 だが命を救ってくれたこと、そして彼が間違いなくハンナが好きであることから、アルトは彼を信じることにした。


「…………やはり、ここにいらっしゃいましたか」


 全てを話し終えると、クラインの顔に刻まれた皺が益々深まった。


「わたくしも、おそらくここではないかと推測していました」

「それは、何故?」

「消去法です。わたくしは各国を歩き回り情報を調べ尽くしてまいりました。その経験からいって、唯一セレネのみ、抽象的にすら情報の掴めない場所がありました」

「……この数年、各国の秘密を暴いて回ってたんですか?」

「いえいえ。暴くなんてとんでもない。ただわたくしは、軽く触れてきただけですよ」


 ほほほ、と老人は蓄えた白い髭をなでつけた。

 誤魔化すような笑みを浮かべてはいるが、おそらく事実だろう。

 その手腕に、さすがのアルトも表情が凍り付く。


 いくら諜報系スキルが高くとも、各国の国家秘密を暴くには相当時間が必要だ。

 一体どんな手段で情報を得ていたのか……。決してまともな方法ではないはずだ。


 約8年間。

 その間の彼の苦労が、こうして皺となって現われているのだろう。


「それでアルト様はハンナ様をまた、救いに向かわれるのですか?」

「そのつもりです」

「勝率は?」

「……」


 正直、さっぱり判らない。

 空からの善魔の軍勢は、リオンやマギカが居て、さらに準備を万全にすれば問題なくクリアできるだろう。


 問題はあの大剣の善魔だ。

 あれだけは、さっぱり実力を掴めなかった。


 そもそもあれからはまったく強い気配が感じられなかった。

 にもかかわらず、アルトに斬りかかってきたときだけ、凄まじい力が引き出されている。


 おそらくあの善魔には、オリアスやシトリーのような宝具に似た力……あるいは根源が備わっているのだろう。そう予測は立つ。

 だがそれを乗り越える方法が、見つからない。


 ガミジンのような能動系(アクティブ)宝具は対処が容易なのに対し、オリアス・シトリーのような受動系(パツシブ)宝具は、とにかく対処が難しい。


 かなり作戦を練り込まないと、あれを突破出来ないだろう。

 そして突破したとしても、すぐにハンナにたどり着けるなど甘い考えは持っていない。


 第二、第三の壁がアルトを阻むに決まっている。

 根拠はない。

 だがそれを想定しなければ、いざ壁が立ちはだかったとき、無防備になってしまうだろう。


「どのような作戦を企てるにも、手は多ければ多いほど良い。そうは思いませんか?」

「と、言いますと」


 訊ね返すと、クラインは白い髭を撫でながら口を曲げる。


「ハンナ様を救う作戦であれば、是非わたくしにも一枚噛ませて頂きたい」

「し、しかし……」

「わたくしの実力が不安ですか?」


 言葉を一度切ると、だんだんクラインの気配が薄くなっていった。

 それがアルトの気配察知スキルですら、気を抜けば見失いそうになるほど、気配が空気に一体化してしまっている。


「恐れながら、密偵程度のお役には立てるかと考えております」

「とんでもない!」


 アルトでさえ気を抜けば気配を捉えられなくなるのであれば、もはやそれは一つの極みである。

 レベルの高い兵士であろうと、一切気取られることなく相手を無力化するのも容易いはずだ。


「是非、お願い出来ますか?」

「ええ。ハンナ様が救えるのであれば悦んで。お手伝い差し上げます。……さて。どうやらお仲間が駆けつけたようですね」


 そう言うと、クラインは扉に視線を向けた。

 完全に音を遮断しているにもかかわらず、何故向こう側の気配が分かったのか?


 疑問はあるが、彼の仕草に合わせてアルトは防音魔術を解除する。

 するとアルトにも、扉の向こう側の気配が感じ取られるようになった。


 たしかに、何者かがこちらに歩いてくる気配を感じる。


 ……すごいな。

 アルトは素直に関心した。


 以前はアルトの隠密にすら気づけなかった人物が、8年弱の間にアルトよりも気配察知の精度が上がっている。


「アルト!」


 扉を開いたのは、マギカだった。

 おそらく防音魔術を使ったときに気付いたのだろう。獣人であり極限まで鍛え抜いた彼女の鋭敏な感覚ならば、微かな気配に気づいても不思議ではない。


 ただ、この付近にスパイがいるのであれば、マギカと同じように魔術の行使に気付いた者が居るかも知れない。

 ちらりクラインを見ると、彼はそんなアルトの不安を十全に汲み取ったように首を振った。

 あくまでここはセーフハウスの一つであり、まだまだ沢山身を潜められる場所はあると言わんばかりに。


「……アルト。一体なにが」


 アルトの姿を見たマギカの顔からみるみる血の気が失せていく。

 耳は先の半分が垂れ下がり、尻尾からは力が消えていく。


「ちょっと、失敗してしまいました」

「なにをしたの?」


 苦笑してはぐらかそうとしたアルトの逃げ道をマギカが鋭い声で塞ぐ。

 きっと彼女は説明するまで、しつこく問い詰めるだろう。


 さてどうしたものか。

 考えていると、廊下からドダドダドダ!と足音が聞こえてきた。


 それとほぼ同時にマギカが扉を閉め、片手で押さえた。


「……なんでしめたの?」

「条件反射」

  「師匠!居るんだろ!? ここを開けろよ!! アーケーロー!!」


 ガチャガチャ。ドンドン。

 喧しさ100で扉をどつく不審者。

 このままではいずれ扉が破壊されそうである。


 マギカの気持ちは十分理解できるが、さすがに閉め出しておくと(扉が)可哀想である。

 首を横に振って、マギカに合図する。


「ししょぁぁぁぁぁ!?」


 タックルでも決めようとしていたのか、マギカが扉を開いた途端にリオンが部屋に突っ込んで、壁をぶち抜いてそのまま退出するところだった。


 あわや出落ちの危機を逃れたリオンが、クヒィ!と牙をむき出しにしながら熱い息を吐き出す。


 マギカを睨み付け、アルトにその視線が止まったとき、怒りの気配が見事に消散した。


「師匠。一体、なにをやらかしたんだよ……」


 やらかしたとは失礼な。

 ……間違ってはいないけど。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
新作「『√悪役貴族 処刑回避から始まる覇王道』 を宜しくお願いいたします!
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ