やらない善より勇者の偽善
寝ていたらマギカに「いびきが五月蠅い」と殴られ(わざわざ隣の部屋から殴りに来なくても……)、命からがら部屋から逃げ出したリオンは、アルトの部屋に忍び込む。
――いや、堂々と入る。
胸を張って。
勇者の前に鍵はないのだ。
足がガクガク震えているのは、寝ぼけたマギカに散々殴られたからだ。
マヂ、イヌコロ、コワイ。
部屋に忍び――もとい正々堂々入って気付く。
アルトが居ない。
ルゥが入っている鞄はそのままだ。
中身は、ちゃんと中で眠っている。
スライムは眠るのだろうか?
ツンツン指で突いてみると、ふにょふにょと動くが「やめてよぉ」という動きを見せないので、きっと眠っているのだろう。
一体スライムはどんな夢を見るのだろう?
電気ヒツジの夢かもしれない。
それはともかく、アルトである。
初めはトイレに行ってるのかと思ったが、待てど暮らせど帰って来ない。
折角こうして部屋に堂々と侵入して、マギカの悪口を夜通し語る嫌がらせ――クレームを入れてやろうと思ったのに!
ふんす、と鼻息荒く吐き出すと、月の光がリオンの瞳に入り込む。
「窓が開いてる?」
窓を開けなければ眠れないほどの熱帯夜、というわけではない。
現在は3月。春の初めだ。
窓を開けて寝れば風邪を引いてしまう季節である。
「師匠は窓を閉め忘れたのか? まったくだらしねぇな」
その手が窓に伸びたとき、リオンの動きがピタリと止まった。
……なにか、嫌な予感がする。
部屋にいないアルト。
開けっぱなしの窓。
おまけに――部屋に師匠の武具が無い!
それに気付くと同時に、リオンは鞄を肩に掛けてマギカが眠る部屋に駆け込んだ。
「起きろマギカ!! 師匠が消えた!」
寝ぼけながら殴られたどうしようと防御態勢になるが、しかしリオンの呼びかけにマギカは素早く反応した。
「どこに?」
「わからん。だが、部屋に武具が無かった」
「…………まさか」
マギカがなにかに思い当たったのだろう。尻尾が直上にピンと立ち上がった。
その様子を見て、リオンも薄々感づいた。
「まさか師匠。1人で〝両親を助けに〟行ったんじゃ!」
「その可能性は、十分ある」
昼間見たアルトの両親は、明らかにどこかがおかしかった。
特に、目の前でまだ勇者としての名乗りを上げてないリオンのことを、勇者と口にしたのは明らかにおかしい。
ここはフォルセルス教のお膝元。
セレネ皇国である。
そしてアルトは、セレネ皇国教皇庁に指名手配されている。
彼らがどれほどの組織かは判らないが、手段を選んでくれるとは思えない。
きっと、敬虔な信者を丸め込んで刺客にするくらい、彼らはやってのけるだろう。
リオンにとって、自分を邪魔する奴等は悪であり、悪とは手段を選ばず卑怯な手で攻める輩である。
教皇庁とは悪の秘密組織に違いないと、さも当然のようにリオンは脳内で帰結する。
「街中で、嫌な気配を感じた。たぶん、つけられてる」
「……だから師匠、いろいろ宿を回ったのか」
「ん。ひとまず、私はいま外にいる見張りを締める」
「そんじゃ、オレは――」
「そこにいて」
「なんでだよ!?」
リオンが反論するより早く、マギカは素早く窓から出て行ってしまった。
「……ぐぬぬぬぬ!」
マギカばっかりおいしいところを持っていこうとして!
許せない!!
リオンは壁際に置いてある鎧を素早く身につけ、ルゥの入った鞄を肩に掛けて盾と長剣を手に取る。
よし!
鼻息荒く、マギカのように窓からセレネの街に飛び出した。
飛び出し、
「――あ、あれ?」
落ちた。
「んぎゃぁぁぁぁぁぁ!!」
飛べば落ちる、と普通の人ならば考えるだろう。
だがアルトにせよマギカにせよ、飛べばどこまでも飛翔する変態達の傍に身を置いたリオンはいつしか、飛べば落ちる、その理屈が頭の中からすっぽり抜け落ちていた。
フィンリスでもユステルでも、よく落ちていたのだが……。
まったく身に染みていない。
石畳に体型の穴を生み出したリオンは、傷一つない体で走り出す。
マギカのように気配察知は出来ない。だから、彼女の言う嫌な気配とやらはわからない。
それでもリオンの体は動いた。
――本来であればマギカに任せて部屋で待っているべきだった。
餅は餅屋。リオンに出来ることなどないに等しい。
だが部屋で待っていることが出来なかった。
待っているだけのリオンとは、ユステルでお別れしたのだから。
リオンは以前の、王国時代にこの地を訪れた経験がある。
その時代から比べると、街中の風景は大分変わってしまった。
だが周りより少し小高い場所にある区画は、当時の面影を僅かに残している。
現在もそこには身分の高い人達が住んでいるのだろう。ハイソな家々が並んでいる。
その一角に、リオンは目が留まる。
レアティス山脈を背景に立つ建物。
どこか、記憶にあるようなないような……。
頭のどこかに引っかかりを感じるが、それよりもその白い邸宅からは、嫌な気配がビシビシ感じられる。
まるで……そう、ルミネ南にある洞窟で出逢った、石の悪魔に雰囲気が似ている。
リオンは直感に従い、その邸宅に足を踏み入れた。
久しぶりに気配遮断を行い、邸宅に侵入。
不法侵入だろうと鍵だろうと、勇者には通用しない。
勇者とは、マップがあればどこへでも侵入出来る存在なのだ。
邸宅の中に足を踏み入れると、嫌な気配がリオンの感覚を震え上がらせた。
邸宅の1階、2階は、おそらく何もないだろう。
問題は、下だ。
下から薄暗く一際強い念を感じる。
つま先だけで慎重に歩みを進める。
ドワーフ製の防具の作りは見事で、リオンが動いてもまるで音を立てない。
忍び足を用いているあいだは、呼吸音以外なにも聞こえなくなってしまう。
さすがドワーフ製。
オレによく似合ってる!
地下室の入り口を見つけ、迷わず侵入する。
階段を下る度に、念がどんどんと濃くなっていく。
これは怨念だ。あらゆる怨嗟だ。
まともな人が1週間暮らせば、念に取り付かれて廃人になってしまうだろう。
それほどの醜悪な念に、リオンは心当たりがあった。
まさかとは思ったが、地下室に降り立ったときそれは確信に変わった。
途端に、これまで好奇心や冒険心が満たしていたリオンの胸中から、一切合切が全て取り払われた。
気配遮断や忍び足を止めて歩き出すと、通路につけられた扉の窓から、次々と小汚い男や女が顔を出した。
「誰かは知らんが、助けてくれ」
「お願いします。助けてください!」
それぞれ鎖をジャラジャラ鳴らしながら、それでも誰かに気付かれたくないのだろう、息を潜めながら小声で叫ぶ。
どれほど助けを懇願したのか。声がガラガラと擦れている。
頬にはいくつもの涙の跡。
部屋から小窓を通じてこちら側に鎖が垂れている。
それらは通路の先にある広間の中心にくくりつけられていた。
この広間は過去、檻に閉じ込めた罪人を監視する憲兵の詰め所だった場所だ。
現在ではその面影がすっかり無くなってしまっている。
小部屋に入れられた男女を無視して、さらにリオンは迷わず歩みを進める。
部屋の最も奥にたどり着いて、その部屋にあるものを眺めたリオンが、呆れたように乾いた息を吐き出した。
「……まだ存在してたのかよ」
鉄の処女。頭蓋骨粉砕機。手や足を砕くための器具から、突き刺すことに特化したものまで。
年代物だろうそれらを、リオンはよく知っていた。
リオンは、かつてのセレネ王国を知っている。
旅して訪れた経験があるのではない。
捕えられ、つれて来られたのだ。
そしてこの場所こそが、リオンにとってもっとも過酷な年月を送った場所だった。
頭を割られ、手足が砕かれ、体には鉄という鉄が打ち込まれた。
あらゆる拷問の限りを尽くされ、それでもリオンは懸命に生き延びた。
当時のことを思い出すと、痛みを如実に思い出す。
だからリオンは、心を凍結した。
なるべくなにも考えないように。
でなければ耐えきれず、発狂してしまう。
「ちっ、最低の気分だ」
不意にリオンの手の甲に、ポンポンという衝撃が加わった。
手元を見ると、鞄から細い管が伸びていて、それがリオンの手にそっと添えられていた。
暗い地下室に光が差した。
ルゥと接触したことで、リオンが光を放ちはじめたのだ。
「ルゥ……」
リオンの心の異変を察知したのか、まるで「大丈夫? ボクがいるよ!」と言うように、そっとルゥの触手がリオンの手を包み込んだ。
「……サンキュなルゥ。でも、大丈夫。これでもオレ、勇者だからな」
その手をぎゅっと強く握ってから、リオンは長剣を抜き放った。
「勇者だからこそ、放ってはおけないよな? やらない善より勇者の偽善! 真の勇者の行いは、全てにおいて尊いんだ!!」
気合い一発。
リオンは長剣を振りかぶり、鉄の処女目がけて振り下ろした。
それはなんの手応えもなく、あっさり、すっぱり切断された。
さらに木馬、粉砕機、その他多くの拷問器具のすべてを切り払う。
二度とこの場所で、このような所業が起らないように。
……などとは一切思っていない。
あくまでこれは、勇者の偽善。
ただの憂さ晴らしである。
拷問器具を全てダメにすると、リオンは広間に繋がれている鎖を切り、男女が囚われている小部屋の鍵を開けて回った。
「あ、ありがとうございます」
「神よ、感謝いたします!!」
「お、オレ様は勇者だから。神じゃないからな?」
「はい。勇者様!」
ははぁ!と平伏する男女に気をよくして、リオンはその者達の首に繋がれている鎖も切り離した。
彼らは、一応生かされてはいたようだ。
体には拷問の跡が生々しく残っていて、体もかなり不潔な状態だが、それでも痩せ細ってはいない。
つまり、痛めつけるためだけに、彼らは生かされていたのだ。
彼らに与えられた恥辱はいかほどか……。
ここの主人は、どんだけ極悪人なんだよ。
胸くそ悪いとは、このことを言うのだろう。
拷問を身を以て体験したリオンだからこそ、如実に想像できる。
その辱めや、痛みや、憎しみまでも。
「ほら、行けよ。アンタ達はもう、自由だぞ」
「はい、本当にありがとうございました!」
「このご恩は、一生忘れません!」
ガラガラな声を発しながら、目元から雫がこぼれ落ちる。
こんな状態じゃ、涙だって黒ずんでしまう。
顔に斑模様を描いた男女が、何度もリオンを振り返りながら、頭を下げつつ地上へと昇っていく。
てっきりこの邸宅にアルトが囚われていると思っていたのだが。
侵入して怨念にやられ、そのことがすっかり頭から抜け落ちてしまっていた。
「…………さて」
ここからどうすべきか?
師匠の気配はいまのところない……と思われる。
フリダシにもどる、か。
ひとまずリオンは地上に戻ることにした。
考えるにしても、この場所は念が強くていけない。
気配遮断をしながら忍び足で地上へ戻る途中。
「いあぁぁぁぁぁぁ!!」
遠くで悲痛な叫び声が響き渡る。
リオンは血相を変え、盾を構えながら階段を駆け上った。




