表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
300/312

命がけの逃走

 部屋を出て先へ進むと、懐かしい気配を感じて立ち止まる。


 間違いない。

 ――ハンナだ!


 ハンナを感じるのは廊下の奥。

 前にある扉の先からだ!


 心の中から歓喜が溢れ出すが、気を緩める愚は犯さない。

 大切な時だからこそいつも以上に慎重に歩みを進める。


 その慎重さが、アルトの命を救った。


「――ッ!!」


 気付いた時にはもう、アルトの腹部は血に濡れていた。


 一体何が……。

 考えるより早く、体が殺気に反応。

 後方に離脱。

 その直後、風が切り裂かれた。


 遅れてアルトの皮膚が鳥肌を立てた。

 腹部を抑えながら、アルトは前方を睨み付ける。


 広間の中心に、いつの間にか大剣を手にした鎧が居た。

 それはいつだかに見た善魔と同じ。

 形は日那よりユステルに近い。


 一体どこから……。


 腹からボタボタと血がしたたり落ちる。

 激しい痛みと腹部の熱感に、軽い目眩さえ覚える。


 逃げられるか?

 ……わからない。


 今すぐにでもハンナの元へと駆けつけたい。

 善魔の向こうに、この広間の終わりがある。


 あそこまでたどり着ければ……。

 そう思うが、おそらく不可能だ。


「…………」


 アルトの呼吸音だけが広間に響き渡る。

 そもそも、この場所はなんだ?


 なんの飾り気もない。ただ広いだけの空間だ。

 壁はあるが、天井はない。

 漆黒の星空が広がっている。

 向こう側には5階建ての塔がある。おそらくハンナはその5階にいるだろう。その気配を感じる。


 その時だった。

 アルトの【気配察知】が上空から無数の強大な気配を捕らえた。


 目の前の善魔から視線を外さず【グレイブ】をセット。

 後方に下がりながら、気配の全体を把握。

 空に向けて【風魔術】を発動。

 それとほぼ同時に善魔が動いた。


 大剣を振りかぶり、アルトの脳天めがけて振り下ろす。

 驚異的な速度はない。

 力もあまり感じられない。

 だがアルトはその攻撃を、必要以上に大きな動きで躱した。


 大剣が空気を切り裂き、その先端が床にぶつかる。

 カツン、という弱々しい音を立てて、大剣が僅かに床を削った。


 どれほど過大評価しても、いまの一撃は中級冒険者程度しかない。


「…………」


【自然治癒】のおかげもあって、血は既に止まっている。

 激しい運動をすればすぐにまた出血するだろう。だが、命に関わるものではないはずだ。


 空から善魔が舞い降りるまでにここを突破すれば、ハンナをひと目見られるかもしれない。


(せめて、ひと目だけでも)


 そう欲をかいたのがいけなかった。


 大剣の善魔の態勢を【エアバズーカー】で崩し、その脇を最速で駆け抜ける。

 それはリオンやマギカですら恐れる最速の移動法。


 恐るべき速度がしかし、呆気なく対処された。


「な……」


 突如アルトの脳が激しく揺さぶられた。

 なんらかの衝撃を受けて、アルトは真横に吹き飛ばされる。

 速度を止めることが出来ず、勢いのまま壁に激突。


「くはっ!!」


 背中からもろに壁に衝突したせいで、肺から空気が漏れた。


 何故……。

 激痛が全身を駆け抜けるなか、アルトは酷く混乱した。


 いまの移動は、アルトにとって最速である。

 だが善魔を通り過ぎる刹那。

 善魔は大剣を、一瞬のうちに振るった。


 先ほどとはまるで違う剣筋。

 目の端でしか捉えることが出来なかった。


 いまの衝撃で腹部の傷が裂けてしまった。

 中から飛びだそうとする内臓を、アルトは必死に抑える。


 これ以上の戦闘は不可能。後ろ髪を引かれながらも、アルトは強行突破から逃走に頭を切り替える。

 だが、どうやら相手はアルトを逃がしてくれそうにない。


 痛みに喘ぐアルトが立ち上がるより早く、空から無数の善魔が飛来した。

 アルトが衝突したのは進入口から向かって右。

 丁度アルトが入ってきた扉と、ハンナが居るだろう建物との中間地点だ。


 目の前には大剣を掲げた能力不明の善魔がいて、その後ろにおびただしい善魔が降り立った。

 また、さらに上空には善魔が翼を広げて待機している。

 総勢100といったところか……。


 なるほど。

 アルトは何故この広間の天井が開けているか、いまはっきりと理解出来た。


 これは神が侵入者を、数の暴力で叩きつぶすためだ。


 部屋がどれほど広くとも、1部屋に詰め込める戦力は限られている。

 だが天井が空いていれば、善魔ならば無限に補充出来る。

 ここは言わば、神が作り出した位堂防衛システムなのだ。


 アルトは腹を押さえて立ち上がる。

 同時に、設置した【グレイブ】を起動。

 先ほどまでアルトが立っていた周辺に降り立った善魔が落とし穴に吸い込まれる。


 僅かに空いた空間。

 そこに目がけ、アルトは即座に行動開始。


 しかし、瞬時に目の前に移動した大剣の善魔が、アルトの頭目がけて大剣を振り下ろす。


 その攻撃が当たる寸前、アルトは離脱。


 再び元の位置まで逆戻り。

 その間に歯抜けになった隊列へと、新たな善魔が補充されていた。


 もしアルトがそのまま突っ込んでいれば、大剣の餌食になっていただろう。

 それを避けて前に進んでも、空から善魔が襲いかかり命がなかったかもしれない。


 多くの善魔が、じりじりとアルトとの間合いを詰めてくる。

 そこに己の身を案じる雰囲気はない。

 背中に冷たい汗が流れる。


 感情がない。侵入者を殺すためだけの存在。

 殺戮機械(キリングマシン)

 その威圧感に、アルトの呼吸が浅くなる。


 善魔群に向けて【エアバズーカー】を打ち続けているが、態勢を崩す以上の効果が見られない。

 大剣の善魔以外は、本気で魔術を放てば倒せそうな手応えを感じる。

 だが、怪我が酷くて力を込めて魔術が放てない。


 無理に全力で魔術を発動すれば、必ず隙が生じる。

 そのコンマ一秒が命取りだ。


 1つ。瞬きをする。

 瞼を閉じる前は10メートル向こうにいた善魔が、

 瞼を開いた時にはもう2メートル前にいた。


 慌てて退避。

 だが遅い。


 大剣はアルトの太ももを深く抉り、その切っ先がまた、力のない音を立てて床に突き刺さった。


 音だけ聞けば、とてもダメージを与えられる攻撃ではない。

 だが事実として、アルトは致命傷を受けている。

 まるで魔法だ。


 あと、どれくらい持つ?

 ……判らない。

 兎に角、逃げないと。

 このままじゃ――!


 一歩後ろに下がると、背中に硬い感触がぶつかった。

 もうこれ以上後がない。

 背中に伝わる感触から、壁は相当分厚いことがわかる。


 試しに【グレイブ】で穴を空けようとするが、繋がらない。どうやら魔術に対して抵抗性があるらしい。


 無理矢理破壊するのは……不可能だろう。

 善魔に背中を見せながら、壁を攻撃するなんて自殺行為だし、かといって魔術ではきっと壁を破壊するに至らない。


 前にも後ろにも進めない。

 八方塞がりとはこの事……。


 いや。


 アルトは一縷の光明を見いだす。

 痛みを堪え、藁にも縋る思いで【グレイブ】を設置。


「お願いします」


 誰へ向けたものでもない祈りを口にし、アルトは【エアバズーカー】を全力で放った。


 次の瞬間。

 アルトは猛烈な速度で空中に舞い上がった。


「――クッ!!」


 激しいGが体を襲い、ただでさえ足りない血液が頭から降下する。

 ブラックアウトしそうになるなか、歯を食いしばり気絶だけは食い止める。


 飛翔した体を、設置した【ハック】がさらに持ち上げる。


 アルトの体はすぐに20メートル上空に舞い上がり、

 広間の壁を飛び越えた。


 上から下から、善魔がアルト目がけて飛び込んでくる。

 恐怖の団体を歓迎する余裕はない。


 既に発動している【ハック】がアルトを部屋の外側に放り出した。


 全力の【ハック】でも、善魔を突き放すには至らない。

 後ろから殴られ蹴られ斬られ。

 それでもアルトは致命傷だけは避けていく。


 肩が割れ、足が折れ、腕の関節がねじ曲がる。


 あまりに激痛に、気を失いそうだ。

 それでも歯を食いしばり、意識を維持する。


 壁を乗り越え落下したアルトの眼下には、寝静まったセレネの街が広がっていた。


 まだだ。

 まだ死ねない!

 レベルでもステータスでもなく、気合いだけでレッドアウトを凌ぎきる。


 高度がある一定のラインを下回ったところで、アルトを追っていた善魔の集団が、波が引けるように神殿へと戻っていった。

 神殿から一定以上侵入者が離れるとそれで仕事が終わりなのか、はたまた善魔かあるいはそれを操る者に温情を掛けられたか……。


 いずれにせよ、善魔に殺される運命だけは避けられた。

 残る課題は着陸だ。


 現在アルトは地面に向けて猛スピードで落下している。

 もう視界の半分は白に染まっている。

 ほんの少し気を抜けば、あっさり意識が消えてしまうだろう。


 もう少し……。

 もう少しだけ持ってくれ!!


 アルトは奥歯が欠けるほど噛みしめ、設置した【ハック】を発動させた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
新作「『√悪役貴族 処刑回避から始まる覇王道』 を宜しくお願いいたします!
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ