直接対話
さて、ここからどう出るべきか……。
「先ほどの言に答えましょう。命は大切ですが、命に縋るつもりはありません。運命ならばそれを受け入れる。それが、私の答えです」
「他人が世界を改変しても、貴方はそれを運命と呼び、受け入れると?」
彼の言葉に、アシュレイの心拍数が一段階上がった。
幾分乾いた舌を、アシュレイはお茶で潤した。
「改変されぬよう注視するべきだとは思いますが、すべては神の意志に委ねられております」
「つまり、神が殺せと言えば殺すと?」
「その通りです」
教皇の言葉を聞いて、アルトの体が強ばった。
『神が殺せと言えば殺す』
それは即ち、ハンナの命は自分達が握っているのだぞ、という脅しではないか、と。
なるべくなら穏便に話を済ませたかったが、何も得られず終わるわけにはいかない。
小さくてもいい。せめてなにか一つでも、成果が欲しかった。
ハンナ……。
アルトは背中に汗を浮かべながら、意を決して口を開いた。
「神が殺せと言えば、幼気な子どもを拉致・監禁・殺害しても赦されると。教皇庁はそのような考えをお持ちなのですね?」
一体、彼はなんの話をしているんだ?
アルトの言葉に、アシュレイが動揺した。
それを必死に隠し通すも、瞳の震えだけは抑えきれなかった。
つい先ほどまで、彼は“危険因子”について話していたと思った。
彼らが“危険因子”を持っているが故、フォルセルスの法の束縛を僅かでも抜け出すことが出来る。大なり小なり、フォルセルスが定めた運命を改変出来る。
それについて、教皇は静観を決め込むのか?
そういう話だと思っていた。
だがここへ来て、彼の話はアシュレイの手の内からかき消えてしまった。
これは比喩なのか?
それとも、なにかしらの問題の一例なのか?
答えを間違えればなにをしでかすか判らない。
そう思わせるような雰囲気が、彼の体から発せられている。
アシュレイの背中に大量の汗が浮かび上がる。
まるで先ほど口にした茶が、体内を素通りして背中から溢れ出したかのようだった。
考えていたのはたった1秒。
その間、彼の体から放たれる異様な圧力が、アシュレイを突き刺し続けた。
水で清めたばかりなのに、体は嫌な汗で湿っている。
「必要ならば」
緊張感が時間を引き延ばしたが、実際は1秒かかったかどうか。
その返答の速さに、アルトは驚愕する。
フォルセルスが殺せと言えば、彼らはなんのためらいもなく人を殺す……。
その返答の速さは、決意の固さだ。
このままではハンナが危ない!
やはり少し無理をして神殿を偵察に来て良かった。
ただ、権力者は常に裏で暗躍するものだが、彼が暗躍しているかどうか言質はまだ取れていない。
もし関係していれば、アルトはいずれ教皇とも戦うかもしれない。
彼に戦闘力があるようには見えないが、少なくともハンナの救出を遮られれば、アルトは迷わず彼を吹き飛ばすだろう。
しかし出来れば、アルトは彼とは敵対したくないと考えている。
彼は自分の命をなんとも思っていない目をしている。
自分の使命の為ならば、命を棄てる覚悟をしている。
それは生存が盤石なものだと思い込んでいたボティウスや、命乞いをしたバルバトスとは違う。
違うからこそ、恐ろしい。
使うべき所で命を使う。
それが出来る者ほど、強いのだ。
「なるほど、わかりました。では最後に――」
祈るようにアルトは訊ねる。
彼が敵でないと知るために。
「英雄は神殿のどこにいますか?」
アルトの問いかけに、いよいよアシュレイは悲鳴を上げたくなった。
表情の変化を、湯飲みに口を付けることでギリギリ隠し通す。
危なかった……。
もし手元に湯飲みがなければ、アシュレイはいまごろ悲鳴を上げていたかもしれない。
アシュレイはいまやっと、彼の会話の舞台が見えた。
見えたからこそ、理解出来てしまった。
いかに己の思考力が矮小であったか。
いかに相手の想像力が広大であったか。
それが恥ずかしい、という気持ちはもちろんある。
だがよりにもよって、英雄の話とは……。
それは“危険因子”の話題とは比べものにならぬほど秘匿中の秘匿。
英雄は神をも殺せる異常な存在。
あるいはまだ存在しない神を生み出す命。
現在の神。あるいは未来、過去。
すべての神の源流……と云われている。
それは教皇にのみ伝わる過去の教皇の伝記に、ひっそりとその記述が確認出来るのみ。
何故彼がそれを知り得たのか……。
もしかすると以前神殿に侵入した危険因子の不可解な行動が関係しているのかもしれない。
「……」
彼がどの舞台で話をしていたかは判った。
確かにそれならば、幼気な子どもであろうと、神は殺せと命令するかもしれない。あくまで可能性の話だが……。
ただ、しかし判らない。
彼は何故『神殿のどこに』と言うのだろう?
アシュレイが知る限り、神殿に英雄はいない。
そも、英雄が世界に誕生したなどアシュレイはまったく聞いていない。
お告げにて神から誕生したとの言葉を受けていない以上、アルトの言葉はアシュレイにとって寝耳に水だった。
「そのような話は、知りませんね」
アシュレイの返答に、アルトは僅かばかり警戒する。
問いかけをしたとき、何故彼は表情を隠したのか?
まさか、なにか知っていて、それが表に出そうだったからカップで口元を隠したのではないか?
そもそもマギカがここに、ハンナが居ると目星を付けた以上、ハンナがここにいるのは事実である。
それはあの靄の神にも確かめて、間違いないというお墨付きを戴いている。
神殿に囚われているということは、つまり教皇庁の仕業に他ならない。
教皇庁が動いている以上、それを教皇が知らないなど、馬鹿げた話はないのだ。
彼に対して尋ねたいことは山ほどある。
だが疑問を晴らす方法はない。
彼がしらばくれてしまえば、もうアルトにはそれ以上攻める手はないのだ。
彼は命の使い方を、わきまえている。
武力で脅してもきっと彼は口を割らないだろう。
用いた切り札があっさり防がれ、アルトは途方に暮れてしまいそうになる。
しかし……彼が知らないと言うのであれば自分で探すしかない。
もし万が一彼が本当になにも知らなければ、教皇と直接敵対することがなくなるので、なにも問題はない。
そう。
とにかく、良い方向に考えよう。
部屋の外が大分落ち着いてきたことを察知し、アルトは椅子から立ち上がる。
「一つ良いかな?」
その背中に、教皇が声をかけた。
一体なにを言うつもりだ?
戦々恐々としつつ、アルトは内心を悟られぬよう身構える。
「その……を……」
「…………はい?」
再び口を開いたアシュレイの言葉に、
アルトは未だかつて無く、
――戦慄した。




