侵入
アルトはまずはじめにアヌトリアの密偵と情報交換をしたかったのだが、所定の場所に印を置いて1日経っても返答がない。
もしかして、この地では情報収集活動を行っていないのだろうか……?
早々に密偵との接触に見切りを付け、アルトはその日の夜、宿を飛び出した。
向かう先は切り立った崖の上にあるフォルセルスの神殿。
先日意識の中に現われた神によれば、アルトの命はあと1ヶ月まで短くなったという。
『状況が変わってしまったんだ』そう神は申し訳なさそうに言った。
『本来なら君は魂の傷が完治するまで休養するはずだったんだけど、我々が強制的に目覚めさせてしまったから、大して傷は回復していない。
時々体に酷い痛みが走ることはなかったかい? それが魂の限界点。不可逆的な傷を負った魂の、体への警告なんだよ。
そこまで傷ついてしまっては、もう我々の力でも修復不可能だ。割れてしまった壺を元通りにすることが出来ないようにね』
『余命が1ヶ月というのは?』
『間違いない。今後1ヶ月以内に君の魂は砕ける』
彼女が……いや、彼女達がそう言うのであれば間違いないだろう。
日本の医者のように、薬や手術で対処出来ない以上見立てよりも伸びる可能性だって薄いはずだ。
残り、1ヶ月。
タイミングを見計らっていては、1ヶ月なんてあっという間に過ぎてしまう。
であれば、少しでも早い段階で神殿に忍び込み、ハンナを救い出す算段を付けておきたい。
それに神の言葉もある。
きっと、悪いようにはならないはずだ……。
【ハック】の補助を受けながら、アルトは崖をすいすいと登っていく。
当然ながら、アルトは1度目でいきなりハンナを助け出せるなどと、甘い考えは抱いていない。
今回の潜入は現状を知るためだ。
無理は厳禁。
アルトに残された時間は――ハンナを救い出すまでに、あと1ヶ月。
慌てて無理を通さなければいけないほど短いわけではない。
慎重に気配を遮断しながら崖を駆け上り、神殿裏の庭園に降り立った。
そこはまるで楽園のような庭園だった。
地上から500m以上も離れているというのに、木々は生い茂り草が夜露に濡れている。
庭には小川が流れ、そこに小さな石橋が架けられている。その石橋は上面以外が程良く苔むしている。
小川の中には色鮮やかな魚が泳いでいるのが見て取れる。
水は奥にある断層崖の山肌から流れ込み、この庭園の終わりである崖の下に流れ落ちていく。
贅を尽くした庭園を眺めながら、アルトは慎重に神殿へと向かった。
神殿は巨大な5つの区画に別れている。
聖堂、公堂、庁堂、私堂。そして位堂。
一般人には聖堂と公堂が開かれており、そこでミサや説教、懺悔、寄付などが行われている。
庁堂は教皇庁職員の職場で、私堂が職員の宿舎だ。
位堂は完全非公開だが、教皇の寝所であったり、また過去の教皇――聖人の遺骸が安置されているといわれている。
アルトが知る限り、神殿はこの5区画しかない。
一般開放されている場所にハンナを置くはずはなく、新人職員でも気軽に歩き回れる庁堂、私堂の線もない。
でなければ情報がすぐに外に漏れてしまう。
人の口に戸は立てられないのだ。
ハンナがいるとすれば、教皇庁の人間でもごく一部しか入堂を許されない、位堂しかない。
ひとまずアルトは建物に入った地点を足がかりに、捜索を開始する。
深夜ということで、神殿の廊下を歩く者の姿はほとんどない。
時々【気配察知】に反応があるが、どれも薄弱としている。おそらく教皇庁の職員だろう。
さらに【気配察知】を拡大していくと、アルトの背筋に悪寒が走った。
……これはさすがに。いくらなんでも酷い。
アルトの顔に若干、諦めの嗤いが浮かんだ。
拡大した【気配察知】が1体1体が善魔ほどもある強大な気配を捕らえた。その数は100を超えるか。
それらは神殿のとある場所に密集している。
おそらくこれがマギカが言っていた敵だ。
力が密集している地点を目指せば、ハンナが匿われている場所にたどり着けるはずだ。
ただ、手間は省けたが意欲は大いに削ぎ落とされた。
じっと息を潜め、気配を全力で遮断する。
気がつけば、アルトの額にびっしり汗が浮かんでいた。
相手側には一切の動きがない。
こちらの【気配察知】に気付かなかったのか、それとも見過ごされたのか。
ひとまず、できる限り近くまで潜入してみよう。
アルトは額の汗を袖で拭ってから、強い気配が多く集まる場所へ向けて歩き出した。
その場所に向かうに従って、職員の気配も徐々に強くなり、巡回の人数も増えていく。
時々気配が察知されそうになり、慌ててアルトは闇の中に身を隠す。
「どうした?」
「いや、なんかいたと思ったんだけど。気のせいか」
男性職員が【気配察知】を諦めたその時。
「おい、報告だ」
廊下の奥から別の職員が、この場にいる2人の職員に駆け寄ってきた。
「例の男が宿から消えたらしい」
「っていうとあの?」
「ああ。セレネに入ったときから、ずっと注意観察してきたアレだ」
「まさかアレが神殿に侵入したのか?」
「かもしれないな」
「なんと不届きな……」
「不届きもなにもないだろ? なんせ相手は変態なんだから」
ぼふ、と思わず吹き出してしまいそうになった。
誰だその不届きな変態は!
「何奴!?」
変態と言われて気が緩んだせいで、アルトの気配が僅かに外に漏れた。
警備に適正のある人材が集められているのだろう。アルトの僅かな揺らぎを敏感に嗅ぎ取った職員が大声を上げた。
まずっ!
アルトは咄嗟に【気配遮断】を試みるがもう遅い。
相手の感知がアルトの存在をなめ回す。
できる限り迅速に。しかし音は極力立てないように。
アルトはその場から飛び出した。
「いたぞ! 変態だ! 変態のアルトだ!!」
「この変態め! 神殿になにをしに来た!?」
「ここは変態が来るような所じゃないぞ!!」
やめて!
ボクを変態と呼ぶのは、もう辞めて!!
心で念じるも、その思いは伝わることは決してない。
変態変態連呼する職員から、アルトは涙ぐみながら逃げまわるのだった。




