暗部のガープ
ジャックらが住まう借家を出たガープは、白い修道服を入念にほろった。
ガープにとって一般市民向けの借家は、汚物入れのようなものである。
人ではなく、家畜が住むに等しい場所。何故あのような場所に寝泊まり出来るか不思議でならない。
彼らは決して貧困層ではない。
この地に来て、独自の技術で生育した野菜を販売してからというもの、その人気がみるみる高まり、現在では教会へ多額の寄付を行っている者達である。
にもかかわらずこのような借家で暮らしているのは、そんな場所でも神経が堪えられるほど、性根が田舎者であり、平民的であり、下賤だからだろう。
富裕層にありながら、心が貧困なのだ。それが体の外ににじみ出している。
最低な部屋に足を踏み入れたことで気が昂ぶり、つい周りに当たり散らしたくなる気持ちをぐっと堪える。
いくら教皇庁の人間だとはいえ、それを行えばただでは済まない。
ガープは教皇庁の暗部であるが、罪人ではない。教皇庁の暗部として穢れを背負う仕事――いわば試練は与えられているが、罪を犯して良いわけではない。
ガープは己のことを敬虔な信者だと思っている。事実として彼は、敬虔なフォルセルス信者でなければ所属できない教皇庁の職員である。
そのような人物が、罪を犯すはずがないのだ。
ただ……、正義と秩序を守るためには手段を選ばないきらいがあった。
たとえどんな手段を用いても、任務遂行のためならば、ガープはどのような手段も厭わない。都合が悪ければ神の名の下に、善悪をひっくり返せば良い。
そうして彼は、ここまでのし上がった。
先ほどはジャックに対し「教皇様もおっしゃっている」などと伝えたが、あれは真っ赤な嘘……いや、方便である。
聖書に書かれている神の言葉は、正義と秩序を守ること。
嘘は否定していない。
もし否定してしまえば、子どもを失った親に対してなにも言えなくなってしまう。
正義と秩序を守るためならばどんな嘘をついても、人を欺しても、殺しても、なにをやっても赦される。
たとえ世界のすべてを灰燼に帰したとしても、それが正義であればフォルセルスは赦してくれるだろう。
なんせ神代戦争で最も人種を虐殺した人間は、世界で一番始めに神に赦されたのだから。
街中に散らばっている部下に記号を残し、ガープは自宅に戻った。
やはり清潔な自宅は良い。
教皇庁の暗部室長である彼は、決して少なくない収入で清潔な家を建てた。それはあたかも任務で負った穢れを浄化するような真っ白な家だった。
ユステル式建築の白い邸宅は、誰が見てもフォルセルス教徒の高潔さを感じるだろう。
おまけにこの地はセレネ皇国となる前の王国時代。貴族居留地として用いられていた経緯もある。
ユステル貴族に負けず劣らず、由緒正しい土地である。
服を脱ぎ、身を清めて貫頭衣に身を包み、真っ白に磨かれた大理石を歩いて地下室に向かう。
おそらく千数百年以上前のものだろう。
茶色い石が隙間なく組まれた地下室は現在、うめき声で満たされている。
街中で窃盗を行った者。
人を欺し金を得た者。
淫らに体を売った者。
諍いで乱暴を働いた者。
セレネで捕らえた犯罪者の一部が、日の光が一切届かないこの地下室に閉じ込められている。
それぞれ小部屋に入れられた罪人達は、ガープの姿を小窓から見るなり怯えて部屋の隅で小さくなり体を震わせる。
その姿を見るだけで、ガープは先ほど不快感が僅かに消散した気がした。
だが、まだ足りない。
ガープは部屋の中央にある複数の鎖を手で捏ねて、そのうちの一本をたぐり寄せた。
その鎖に繋がれた者が、にわかにガタガタと震えだした。その振動が鎖に伝わり、ちゃらちゃらと音を鳴らす。
「ふむ。男か」
まあ良い。
男でも女でも、気分が晴れればそれで良いのだ。
「やめ……やめてくれ。もう、嫌だ! 勘弁してくれ!」
「五月蠅いですねぇ。貴方は罪人なのですよ? 神の元に赴けば、これ以上の苦痛を味わうことでしょう。その前に、罪を少しでも洗い流しておくのですよ。その血を持ってね」
罪人の男は必死に抵抗するが、レベル40を超えるガープの腕力に為す術なく引きずられていく。
向かった先は、戒告部屋。
ガープはそう呼んでいる。
だが実体は、ただの拷問部屋だ。
これは王国時代、この地に住んでいた貴族達が捕らえた罪人を拷問するのに用いた由緒正しい戒告器具である。
調べてみると、どうやらこの器具はかの薄汚いヴァンパイアの拷問にも用いられた経緯があるらしい。
眉唾かもしれないが、それはそれで浪漫があって良い。
「本当に……ユルシテください……」
「それは無理ですねぇ。赦すのは私ではなく、神フォルセルスなのですよ? さあ、共に贖おうではありませんか」
男の頭に粉砕機を填め、手足を固定して四つん這いにする。
ガープは貫頭衣を脱ぎ捨て、じわじわと男の頭に取り付けた粉砕機を締め付けていく。
「うがぁぁぁぁぁぁぁ!!」
ネジを回していく度に、男の体が激しく動く。だががっちり手足が固定されているため、彼はのたうち回ることもできず、痛みから逃れられず、ビクビクと胴体を震わせた。
体が意思とは無関係に、生きようと、勝手に動く。
端から見れば、吐き気を催すほどの奇怪な挙動に、しかしガープは笑みをこぼした。
これが、これを見ることこそが、ガープにとって最も至福の時間だった。
アルトはどんな声で鳴くだろう?
アルトの仲間、リオンとマギカは?
彼らの肉体は、どのように〝もがく〟のだろう?
考えるだけで、理性が暴走してしまいそうになる。
「早く捕らえたいですねえ」
捕らえて、生と死の間を何度も彷徨わせたい。
妄想に耽るガープの耳、〝プチュ〟と湿った音が届く。
見れば、男の罪人の頭が完全に潰れているではないか。
「……ふむ、少々猛りすぎましたか」
まるで、どれだけ掃除をしてもどこかから湧き出てくる塵を見るかのような空虚な目つきで、絶命した男を見下ろす。
――壊れれば、玩具はただのガラクタだ。
視線を外すと、まるで何事もなかったかのようにガープはすべてを忘れる。
体を清め、執事に掃除を言い渡して一階に戻る。
その頃にはもう、頭の中は次なる任務で満たされていた。
「ああ……早くアルトを捕らえなくては」




