聖職者ならざる気配の聖職者
安宿に戻ったジャックとフィアンの2人は、途端に床に崩れ落ちた。
まさかセレネで自らの息子を見つけるとは……。
息子ファルスが消えたのは忘れもしない、8歳のときだった。
家に戻って来ないアルトを心配したフィアンが教会へ行き、そこで彼の消息が途絶えたことに気がついた。
森にはゴブリンが多数生息している。
もし村から出て森に入ってしまえば、8歳の子どもなど為す術なく死んでしまうだろう。
日が落ちて、村中の人達が篝火を焚きながら可能な限り探し回ったが、アルトはついに見つからなかった。
その日、アルトは2人の手から永遠に失われた。
村人はすっかりアルトは死んだものとしていたが、ジャックとフィアンは決して諦められなかった。
それもそうだ。
いきなり、なんの脈絡もなく、跡形もなく、突如として最愛の息子が自分たちの前から消えたのだ。
予兆も異変もなにもなかった。
幸せな家庭を気づけていたと自分たちは自負している。
いや、異変はあったかもしれない。
頭の上を光る小さな弾が飛び交っていたり、素早いハイハイでテーブルの周りをぐるぐる回ったり、歩いたと思ったらすぐ走りながら指先をうねうねさせたり……。
多少……そう、ほんの少しだけアルトについて判ってあげられなかった所はある。
でもそれは、2人の子どもへの愛の前では些細な事だった。
たとえアルトが変態であろうとも自分の子どもである。
なにも恐れることはないのだ!
なのに、何故……。
息子が消えてからは、まるで太陽に嫌われたかのように2人は影に囚われ続けた。
それでも決して希望は捨てなかった。
フォルセルスの教会で必死に祈り、お金が貯まると村を出て、2人はセレネへと向かった。
自分たちの声が最も届くだろう、神に最も近い場所へ……。
そうしてアルトが消えて3年が経過した頃、2人の元に吉報と凶報が同時に飛び込んだ。
ひとつは、失われたと思っていたアルトが生きているというものだった。
そして少し前まで彼がユステルに滞在していたという情報だった。
今すぐユステルに向かいたかった。
だが残る情報が2人をこの場に引き留めた。
アルトはユステル王国にて王命を受けたガミジンを妨害。さらに教皇庁より“危険因子”として認定。
全世界に向け、アルトは指名手配されていた。
息子が生きていると判ってからの、あまりに想像を超えた凶報に、2人の頭は完全に真っ白になってしまった。
何故自分の息子がそのようなことを?
それは当然の疑問である。
ただそれよりも、2人にとってアルトが生きていてくれただけでも、十分幸せであった。
やはり最も神に近いと言われるセレネの地。
きっとフォルセルス様が我々の声に耳を傾けてくれていたのだろう。
その情報をもたらしたものは、セレネ皇国教皇庁の司祭だった。
名前は知らない。
教皇庁の司祭となれば、ジャックやフィアンとは違う神聖な気配を身に纏っているのだが、その男からは司祭のような気配は一切感じられない。
おそらく、嘘をついているわけではないだろう。その手の嘘は容易く治安を乱すため、迅速に厳格に処罰される。
彼は教皇庁の職員には違いない。ただ、彼の仕事は神聖な教皇庁の名に相応しくはなさそうだ。
そのことに気付いたジャックとフィアンは、すぐにユステルに向かいたい気持ちをあっさり捨てた。
アルトに会いたい気持ちを捨てたわけではない。
何故8歳で家を出たのか聞きたかったし、まずはこの手で力いっぱい抱きしめたかった。
アルトに会いたい。その衝動が、2人を常に急き立て続けた。
だがそれをしてしまえば、きっと教皇庁の男の狙い通りになってしまう。
村の出身で学がないとはいえ、ジャックもフィアンも馬鹿ではない。
魔物の脅威と隣り合わせの村では、危険に対して馬鹿ではすぐに死んでしまう。生き残るためには、危険に対し常に賢くあらねばいけない。
だからこそ、判る。
司祭の男は間違いなく、ジャックとフィアンを餌にするつもりなのだと……。
そして、教皇庁が発令した指名手配であるが故に、フォルセルス教の信者であるジャックとフィアンに、アルト捕縛命令を拒むことは出来ない。
少なくとも2人はファルスに、己の罪を償って欲しいとは思っている。
だがそれは、誰かに強制されるものではなく、あくまで自発的なものであって欲しかった。
故に、2人は決してセレネから動かなかった。
自分の息子が、現在もこの世界のどこかで生きている。
それだけで、いいじゃないか!
そう何度も、自分達に言い聞かせながら……。
「あなた……どうするの?」
「どうするって言われても……」
おそらく、今日の奇跡的な邂逅は教皇庁に筒抜けであるはず。
少なくとも定期的にジャックとフィアンに情報を伝えに来る男は、すぐにこのことを嗅ぎつけるだろう。
「セレネを出るか?」
「出られるかしら?」
おそらく出られない。
ジャックとフィアンはただの息子に出逢ったわけではない。
教皇庁が指名手配している人物に出逢ったのだ。
決してただでは国外に出られないだろう。
部屋を満たした重苦しい沈黙を、2度のノックが切り裂いた。
びくん、と2人の肩が飛び跳ねる。
「……」
「……」
2人は真剣な表情で目を合わせる。
お前が出ろ。
嫌よ。あなたが出てよ。
なすり合いは5秒続き、大差を付けてフィアンが勝利。
ジャックが渋々扉に近づいた。
「……どちら様ですか?」
「私です。開けて頂けますか?」
やはり来たか!
ジャックとフィアンがにわかに緊張した。
「お久しぶりですね。1ヶ月ぶりでしたか」
「え、ええ……」
扉を開くと修道服を身に纏った、慇懃無礼な笑みを浮かべた男が会釈をした。
その男はかつて、アルトの生存を2人に告げた人物。
教皇庁の司祭であり――これは2人の想像でしかないが――教皇庁の暗部。
彼からはいつでもジャックを殺せそうなほど強い気配を感じる。
ただそこにいるだけで、じっとりと背中が汗ばんでくる。
「中に入ってよろしいですかな?」
「え、ええ。どうぞ」
中に歩みを進め、しかし必要以上に踏み込まない。
毎度、必ずそうだ。
男は玄関を3歩進んだところで停止する。
まるでそこから先に踏み込めば、己の高潔さが保てなくなると思っているかのように。
その3歩には、明らかな侮蔑の意図が籠められているとジャックにはひしひし感じられる。
もちろんそれはただの勘違いかもしれないが……。
「どうやらセレネに、罪人アルトが現われたそうですねぇ。ご存じでしたか?」
「そう、なんですね。知りませんでした」
「おや? 血を分けた息子が近くにいるというのに、ずいぶんと冷静でいらっしゃる」
「もう何年も会っておりません故。どう表現したら良いのか……」
「神は血が精神であると解いております。血の繋がりは精神の繋がり。愛情もまた然り」
「最上の愛の杯の中にも、苦いものはあります故」
「それは神のお言葉への反論ですかな?」
「いえ……。あくまで実体験でございます」
『血を分けた肉親を大切にし、常に敬意を持ち、またその者が悪を成すのであれば、愛を持ってそれを止めなくてはならない』
その聖句を暗喩されては、ジャックがやや不利である。
ただ、神の言葉を用いているがその実体は己が目的の成就。
なんと腹の黒いことか。
何故フォルセルスはこの男の腹をひっくり返して洗濯しないのだろう?
「是非、十数年ぶりの再開に私も助力したいと考えておりましてね」
お前達がアルトを止めろ。
彼は言外にそう述べている。
ただ、何故かその言からは暴力の臭いが感じられる。
まるで『殺してでもいいから止めるべきだ』と言われているみたいだった。
「敬虔な信者としてのお2人の行動は、教皇庁としても大変評価をしております。なんでも、お2人の青果店が大変繁盛なさっているとか?」
「はい。お陰様で……」
「そしてそこで得た収入のほとんどを、フォルセルス教団に全て寄付されている。大金を手にしても金欲に囚われない。まさに信者の鏡。皆、お2人のように敬虔であれと、教皇様も常におっしゃっておりますよ」
「本当ですか!?」
にわかには信じられないことである。
神に最も近い人物である教皇が、2人のことを知っているなど……。
しかし、決してあり得ない話ではない。
セレネ皇国における高額納税者の1人として名前が挙がれば、いずれその名が教皇アシュトレイトの耳に届く可能性は十分にある。
実際ジャックとフィアンの店はセレネのメイン通りにある店の中でも、かなりの人気店だ。売り上げも上位五本指の中に入るだろう。
手にするお金は生きる分だけ。売り上げのほとんどは、フォルセルス教団に喜捨していた。
そのため他の人気店と比べて倍以上は寄進した額が高くなっている。
男が口にすると途端に胡散臭くなってしまうが、決してあり得ない話ではない。
「お二人があの罪人アルトを捕縛したとなれば、きっと教皇様も2人に感謝してくださることでしょう。…………ご理解頂けますかな?」
「「…………」」




