プロローグ 残された時間
最終章、スタートです
セレネ皇国は北をアヌトリア、西をミストル、南をユステル、そして西がレアティス山脈がある小国である。
生糸製品などの生産業は盛んだが、その他の産業についてはあまり発展していない。
というのも、国土があまりに狭いため、産業を行う隙間がないのだ。
どうやって国として生計を立てているかといえば、皇国というだけあって、なんといっても観光業。そして、お布施だ。
エアルガルドで最も信仰されているフォルセルス神を祭る神殿が、レアティス山脈に建設されてから1700年余。
ここはフォルセルス教徒にとっての聖地であり、一生に一度はこの地を踏むことが、信者にとっての夢となっている。
戦争が終結してからひと月。アルトらはアヌトリアにてアリバイ工作を行っていた。
各教会を訪れ、寄付をしたり礼拝したり。1ヶ月も費やしたその工作活動のおかげで、彼らは身辺チェックの最も甘い巡礼者としてセレネ皇国への国境を通過した。
アルトがバルバトス率いる水軍を打倒してから、戦争は一気に終結へと向かった。問題が起らなかったのは一重に、テミスやフランが必死に動き回ったためだろう。
現在も戦争を行っていれば、間違いなくセレネには入れなかったはずだ。
戦争で命を救った赤子をアルトは、エルメティア教会に預けようと考えていたが、ダグラ・リベット夫妻が養子として育てるということで、一切を任せることにした。
戦争孤児という話をした途端に、二人は涙ぐみながら「任せろ!」と意気込んでしまった。さすがは情に厚い種族である。
子どもが出来ないことを悩んでいたようだし、二人にとっては丁度良いきっかけだったのかもしれない。
きっとあの夫婦ならば、赤子は問題なくまっすぐ育つだろう。
セレネに入るとすぐに街が広がっている。
主産業が生糸ということで、大通りに面したお店はアパレルショップが多い。
次いで土産屋だ。
「やっぱりお土産は木刀だな!」
そう言ってリオンが木刀を掲げるが、あんたはどこの子どもだ?
「定番の饅頭はないんだな」
「何が定番なのか知りませんが、観光する気満々ですね……」
「常に気を引き締め続けるなんて素人。気を抜くときは抜くのが勇者だ」
気を引き締めてるときなんて、この人にあっただろうか?
それはさておき、ひとまず宿を探すことにする。
いったい何日間ここに滞在するかわからないが、最低でも拠点は確保しておいた方が良いだろう。
「モブ男さん。セレネで良い宿がある場所を3つ上げてください。かなり高級でも良いので、出来ればセキュリティの高い宿をお願いします」
「風呂とメシはいいのか?」
「ええ」
セレネは年中空気が乾燥しているため、沐浴で事欠かない。なので入浴出来る風呂が設置されている宿はかなり限られてしまう。
食糧もほとんどを他国に頼っているため、新鮮な野菜や果物は手に入らない。
生きたまま牛を連れてきてここで捌けばおいしい肉が食べられるが、ここはフォルセルス神のお膝元。
穢れは御法度であり、故に肉料理も少ない。
アルトを満足させるような、おいしい料理と風呂付の物件などセレネではまず見つからないだろう。
ここで暮らせるのは、風呂嫌いか食べ物に無頓着な物好きだけだとアルトは考えている。
その日の夜、アルトの枕元に不審な靄が現われた。
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「あれ? なんで驚かないんだい?」
「……いえ、そろそろかな? と期待していたので」
以前出逢ったことのある靄――神がアルトの意識を再び丘の上に連れ去った。
丘……と言って良いのだろうか?
そこは以前とは違い、もうテーブルと椅子が並んでいる場所だけしか足場が無かった。
風景もない。
ただ真っ黒な闇が広がっている。
ここが丘である確証はもう、アルトの記憶にしかない。
あまりに闇が深すぎて、目の前に黒い壁があるようにも感じられる。
手を伸ばしてもなにも当たらないので、きっと腕が届く範囲までは闇の空間があるのだろう。
「期待してたの? っふふ。嬉しいな。いったい我々に、なにを期待してくれてたんだい?」
「いえ。期待してたのは、この時間ですよ」
「ということは……。我々に、会いたかった?」
相手は神なのだろう。
なのに、霞みはまるで久しぶりの逢瀬に恥じらう乙女のようである。
靄がもにょもにょ動いている。
「ところで、今回はどうなさったんですか?」
「そろそろ、君について話しておこうと思ってね」
「ボクについて?」
「そう。たとえば寿命とか……」
そう言って、神はアルトの全身を眺めた。
すべてが靄で構成されているためどこに目があるのかまるで判らないが、彼女の視線がアルトを総舐めする気配が、ありありと感じ取れた。
「まず結論を言おう。君の余命は、あと1ヶ月だ」
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翌日、アルトはリオンとマギカを伴って街に出た。
前回も街に滞在していたが、ケツァムや日那のように、今回ハンナが生きてることでなにかしらの影響が出ていないとも限らない。
アルトは昔を懐かしみながら、前回と今回の違う点を探し回る。
(前回来たのは、何歳の頃だったっけ。思い出せないけど、結構違う点があるな……)
たとえば商店街の一角にあった織物屋さんが、青果店に生まれ変わっている。
何故セレネ――それも一等地で、青果店など営んでいるのか?
ここは人通りが多く、かなり場所代が高いはず。
野菜を販売するだけで、儲けが出るとはまるで思えないが……。
青果店の謎に頭を悩ませていると、突如目の前に2人の男女が現われた。
おそらく40歳前後だろう2人は、ボロボロの巡礼服を身に纏っている。
良く言えば清貧で敬虔、悪く言えばうらぶれた、そんな信者だ。
「もしかして……」
女性の方がアルトの顔を見て、丸く開いた目から一粒の涙をこぼした。
「え……母さん?」




