海戦4
ユステル水軍の船から発射された弾丸が、水面で爆発したとき、アルトは死を覚悟した。
爆発はすぐそこだった。
籠められた魔力はかなり高く、最上級魔術に匹敵する威力が籠められていた。
それがすぐそこで弾けたのだ。
まるで地雷を踏み抜いた兵士のような気分だった。
たとえ死ななくとも、五体満足ではいられないだろう。
そう予測したが、意外にもアルトは五体満足で生き延びた。
ところどころ出血しているし、砲弾が炸裂した場所に最も近い位置にあった足がかなり痛む。ヒビが入っているか。
耳も聞こえにくくなった。鼓膜が破れてしまっているかもしれない。
だが、手足は揃っている。
いまの魔術の威力ならば、体のどこかが吹き飛んでいてもおかしくはなかった。
何故自分は、無事なのだろう?
考えると、アルトの脳裏に善魔の姿が思い浮かんだ。
まさか、ダグラの防具のおかげか?
以前日那で戦った善魔は、攻撃も魔術も通じにくい厄介な相手だった。
その理由は宝具の鎧と、そこに籠められた刻印。
ダグラがアルトの為に作った防具は、宝具の鎧に近い素材で出来ている。
オリハルコンとドラゴン、ヒヒイロカネで作られた最高級の胸当てが、爆発したマナを受け流したのだ。
もちろん胸当てのおかげだけではない。
ドラゴンの皮を用いたドワーフ製のマントやブーツも、威力軽減に寄与していたに違いない。
ほっと息をつくと同時に、アルトは失ったものに気付いて愕然とした。
「い……イカダMarkスリィィィ!!」
今回は戦闘用イカダということで、かなりシャープな作りにしていた。
アルトの【罠】を存分に生かすための構造に最適化した結果、一般的なイカダはもちろん、船としての形状からもかなり遠ざかっている。
おまけに、これでもかというくらいエルフの【刻印】技術で船を硬く仕上げている。
砲弾が直撃した程度では壊れないだろう。
それだけで気が済むアルトではない。
さらに術式制作でイカダを盾に誤認させている。
誰がどう見ても船だが、垂直に立てると盾に見えなくもない……かもしれない。
もちろんそれは、遊びで作ったわけではない。
アルトが【ハック】で飛び上がり船底に攻撃を受けたとき、これがイカダであるか盾であるかで、損耗具合が変わってくるのだ。
そんなアルトの作品が、ものの見事に打ち砕かれた。
真っ二つにではない。
粉々に、だ。
だからこそ、アルトは打ちひしがれた。
こんなのってないよ。
あんまりだよ……。
目頭が熱くなり、アルトは鼻を啜る。
この恨み晴らさでおくべき――いや、違う違う。
危ういところで踏みとどまる。
大切なのはアルトのイカダMark3ではない。
あくまで、ユステル軍を足止めすることだ。
悪落ちしてはいけない……。
涙を呑んで、アルトは立ち上がる。
先ほどからアルトは巨大な帆船に対し、【ハック】と【風魔術】を行使することで移動を抑制している。
とはいえ相手方の魔術師もマストを【風魔術】で押している。
おまけに船は何千トンもある。それを8隻。
いくらなんでもアルトの限界を超えている。
接触時から比べて、おそらく1キロ近くは動いてしまっているだろうか。
ただまっすぐではなく、海流のせいで横にズレているため、港への距離はあまり変わっていないはずだ。
全力で魔術を展開しているため、MPがガリガリと削れていく。急速にマナが減っていくため、頭が中からハンマーで叩かれるみたいに痛いし、全身に激しい倦怠感を感じ続けている。
本当ならば1・2日はここで足止めをしたいのだが、尋常ならざるMPを持つアルトとてそれは不可能。
このままではあと30分もしないうちに、アルトのMPは枯渇してしまうだろう。
マナを体外に排出する出力系統が、予想以上に熱を帯びている。
もしかすると、アルトの予想よりももっと早くに魔術が使えなくなるかもしれない。
旗艦がいち早くアルトの生存に気付いたのだろう。
甲板に隊列を組み、矢と魔術を一斉に放った。
やばっ!
攻撃の物量にアルトの背筋が凍り付く。
接触時、アルトはこれ以上の攻撃を凌いで見せたがそれはあくまで、相手の攻撃を全て躱すことで敵の戦意を喪失させるため。決して余裕があったわけではない。
そもそも攻撃を受けた当初は、スループの動きは封じてはいなかった。
現在スループに意識の半分以上が持って行かれてるため、あのような緻密な回避は不可能である。
やばいやばい!!
足裏から【マナバースト】を噴射させて、海の上を駆け抜ける。
ドドドドド!と大きな音と波飛沫を立てながら面の攻撃から退避。
送れてアルトの背後を致死性の攻撃が通り抜けた。
旗艦が攻撃し、すぐに周りの艦隊も甲板で隊列が組まれ始めた。
これ以上軍艦の足止めに拘れば、きっと命を落とすだろう。
……そろそろ潮時か。
攻撃が放たれる前に、アルトは軍艦に放っていた【ハック】と【風魔術】をすべて解除した。
途端に、みるみる帆船が前方に移動を始める。
悔しいが、こうする以外に生き残る道はない。
アルトはこの戦を止めるために行動してきたわけではない。
あくまで、ハンナを救うために生きているのだ。
それを、決して間違えてはいけない。
各艦から次々と矢と魔術が放たれ、さらにあの爆発する砲弾まで放たれた。
それらを一つ一つ回避し、爆発する砲弾は危険なので途中で海に沈めた。
本当ならそれは軍艦の手前で落とすのが一番良いのかもしれない。
しかしもし船が爆発に巻き込まれ砕けたら、大勢の兵士が冬の海に転落し、命を落としてしまうだろう。
アルトはユステル軍に対してなんの恨みもない。なるべくなら穏便に、誰の命も奪わずに終わらせたい。
攻撃を次々と回避し、爆発する砲弾を払い落としていく。
ただ、これまで魔術を行使しすぎたせいで、かなり身体が参ってしまっている。
このまま続けてもじり貧になるだろう。
攪乱はここまでにして、そろそろ撤退すべきか?
そう思ったとき、
「――ォォォォオオオン!!」
突如、艦隊後方の海が割れた。
「な……」
突然の変化に、アルトはつい動きを止めてしまった。
戦闘中であれば致命的な隙。
だが、固まったのはアルトだけではない。
どうやら軍艦も同様に、その水柱を見て硬直したようだ。
青いヌメヌメとした身体に、びっしり付いた鱗。
大きな顎が特徴の、海の悪魔。
「レヴィ!?」
それは以前、リオンが【挑発】で釣り上げた粘着質な海龍だった。
「キュンキュン♪」
アルトの姿を見つけ、レヴィは可愛らしく高い声で鳴いた。
その声にアルトは僅かに親しみを覚えるが、ユステル軍はそうは感じなかったらしい。
甲板で組まれていた隊列が一気に乱れ、幾人もが悲鳴を上げている。
「どうしてレヴィがここに……」
「キュンキューン!」
海を荒らす奴等を懲らしめに来たんだよ!
そう自慢げにレヴィは嘶いた。
そういえば以前、しつこいドラゴンを引き離す際に「この海を守れ」とか言った記憶がある。
まさかそれを、律儀に実践していたとは……。
あれは体の良い言い訳でしかなかったのだが、どうもレヴィにとっては違ったらしい。
その思い出をここにくるまで、まさか忘れていたとは口に出せない。
それは、あまりに可哀想だ。
レヴィが現われてからは、ほぼ一方的な蹂躙が始まった。
アルトにとっても危険な爆発する砲弾を放てば、レヴィにも大ダメージを与えられたことだろう。
だが、レヴィにそれが放たれることがなかった。
もしかするともう弾切れなのかもしれない。
レヴィが次々とその大顎で軍艦の船底をかみ砕いていく。
やはりレヴィは海でこそその能力を存分に活かせるらしい。
まさに水を得た魚。
アルトでさえ手こずった船底の破壊を、いともたやすく行っている。
その一撃はアルトの魔術など目ではないくらい高威力である。
甲板で動き回るユステル兵達にはもう、秩序などあったものではない。
ドラゴンからの攻撃をどう耐え忍ぶか、どうやってドラゴンから逃げるかで慌てふためいている。
なかには攻撃をする者もいたが、相手はドラゴン。
通常であれば作戦を立て、罠を張り、1万単位の兵を投入しなければ討伐が不可能な最強の生物である。
完全に無駄な足掻きに終わっている。
1隻、また1隻と航行不能になる軍艦を眺めていると、なんだかユステル軍が可哀想に思えてきてしまう。
「もういいよ、レヴィ」
追撃しようとするレヴィの背中に乗り、その頭をゆっくりとなでつける。
そうすることで、闘争本能をむき出しにしたレヴィは目を細めて、気持ちよさそうに嘶いた。
まるで、離ればなれになった恋人に再会したかのように。
よたよたした動きで軍艦が港へ向かう姿を眺めながら、アルトはほっと息を吐く。
だが、その安堵もつかの間のことだった。
軍艦への粘着を辞めたレヴィは、今度はアルトに粘着を開始。
「チュインチュイン♪」
レヴィの住処(海底にある)に連れ込まれそうになり、今度はアルトが命からがらドラゴンの魔の手から逃げるはめに陥ってしまった。
……ドラゴン、コワイ。




