海戦3
「お、男が動いた!!」
「爆雷を受けて生きてやがったのか……」
「どんな手品を使いやがった!?」
「おいそれより、なんでアイツ海の上を歩いてんだよ!」
「こっちに近づいてきてないか?」
「ヤバイヤバイヤバイ!!」
「打て! 魔術を打て!!」
「早く! アイツがこっちに来たらヤバイって!!」
ユステル水軍は過酷な状況で訓練を積み重ね、鍛え抜かれた兵士達である。
ちょっとやそっとのことでは動じない。動じた瞬間、海は人の命などゴミクズのように奪ってしまうだろう。
ましてや今は冬だ。海に放り出されただけで死んでしまう。
だからこそ、男達は心と体を鍛え抜いた。
どのような事態があっても任務を遂行できるように。
しかし現在、鍛え抜かれたはずの海の男達は取り乱してしまっていた。
原因はあの黒いマントの男。
あれが爆雷を受けても死なず、海の上に立っていた。
男は、あまりに異常だった。
バルバトスでさえ匙を投げたくなったのだ。
一般兵が取り乱すのも仕方が無い。
とはいえこのまま放っておけば、ただの有象無象。魔物と変わらない。
「静まれッ!!」
バルバトスは全力で【王の威圧】を用いて、全員の動きを奪い取った。
兵士の誰しもが声を上げず、動きを失いその場で停止する。
一瞬にして静まった甲板で、バルバトスは厳かに、それでいて全体に伝わる声で述べる。
「一体、貴様達はたった1人の男になにをそんなに恐れているのだ? 冷静になれ、頭を使え。我々は1人ではない。軍隊だ。軍隊であれば、ユステル12将のガミジンでさえ太刀打ちできぬのだ! 貴様等はユステル王国の兵士。バルバトス・ロウ・ユステルの矛である! 胸を張れ!誇りを掲げろ!! 兵士としての、団結を見せてやるのだ!!」
「「「はっ!!」」」
丁度良い頃合いを見計らい、バルバトスは【王の威圧】を解除する。
途端に兵士達は声を上げ、自らの気持ちを昂ぶらせた。
混乱を解いた兵士達は、訓練通り機敏な動きを取り戻し、甲板で隊列を組んで海の上を歩く男を睥睨した。
その間にも、一隻。戦艦ヤマギから重低音が響き渡った。
それで兵士達に動揺はない。
前方は弓兵。後方は魔術師で隊列を組む。
「準備ヨーシ!」
「準備ヨーシ!」
小隊長がそれぞれ声を発し、次々空に手を伸ばす。
「ッテーイ!!」
分隊長が大声を上げながら手を前に。
それとほぼ同時に小隊長も前へ手を振り下ろした。
一斉に弓矢が放たれ、送れて魔術が放たれる。
ガトーから放たれた、100を超える矢と魔術が、時間差でマントの男に飛来する。
面で放った攻撃。
逃げ場などあるものか!
そう思った矢先、
「な――!?」
マントの男は海の上を激しい水しぶきを上げながら走り出し、矢と魔術を軽々と回避してみせた。
歩いている所は目撃していたが、まさか走れるとは……。
いや、歩けるのだから、走れないはずはないのだ。
そして男との距離が一定以上あるため、攻撃が飛来するには多少時間がかかる。
バルバトスが指揮する戦艦ガトーの幅は40m。
攻撃は面だが、その幅はかなり狭い。
攻撃が放たれた瞬間走り出せば、たとえ端から端へと移動しても十分避けきれる。
「っく……!」
これは誤算だった。
……いや、想定外。
計算さえしていなかった。
バルバトスは歯がみするが、それも仕方がないだろう。
なんせ、海の上を走り回れる変態との対峙など、これまで一度だって経験したことがないのだ。
そのような人物に出逢った試しはなく、またそうした人物との対戦を念頭に置いて訓練を積んできたこともない。
初見で対応しろというのは、あまりに酷である。
「手を休めるな! 相手をひとときも休めず、動き回らせろ!!」
「はっ!」
「他の艦にも伝えろ! 奴を休ませるな! 面での攻撃を意識しろ。奴が人間である以上疲れは溜まる。いつか必ず動きが鈍る、その時に確実に仕留めるのだ!!」
「はっ!!」
バルバトスの指示が全艦に伝わり、各艦の甲板では次々と隊列が組まれ、矢や魔術が放たれていく。
その攻撃を、右へ左へ移動し、時には飛びはねすぐに落下する。あり得ない動きで男は攻撃を躱していく。
ヌルヌルした回避行動を見ているだけで、バルバトスの背中がかゆくなっていく。
体のどこかが、男の動きを本能的に拒否している。
あたかも厠でいたしている時に、足下にゴキブリが現われたかのように。
「これだけ攻撃してるのに、当たらない!!」
「なんて奴なんだ……」
「動きが、変態だ」
「変態。……思い出した、奴が変態。変態のアルトだ!」
「な……変態のアルトだと!?」
「あの変態の……」
「指名手配されてるやつか!」
なんだその二つ名は!?
呼ばれている奴が可哀想……いや、敵だから同情はしないが。
しかしその二つ名はどうだろう?
バルバトスはつい、兵士達の言葉への反応に困ってしまった。
しかし、これで判った。
「変態の、アルト……」
奴の名前と、そしてその存在を。
――教皇庁指定危険因子No7。
何故奴がここに!
これまで指名手配をしていて、ずっと見つからなかった危険因子。
もうどこかで野垂れ死んでいるのではないかと思っていたが、まさかアヌトリアに隠れていたとは……。
しかし、相手が危険因子だとするならかなり厄介である。
まさか、かの“変態”が危険因子だったとは……。
そもそも『変態に気をつけろ』と言われて、『はいわかりました』など答える者などどこにいよう?
そんなもの、ただの阿呆ではないか!
変態など、気をつけろと言われる前に気をつけている。
もしそれが『変態は殺せ』であれば、多少は納得しただろう。仮にも教皇の言葉である。なにかしら危険な輩が変態の中に混じっていると、バルバトスは推測したかもしれない。
しかし、変態に『気をつけろ』である。
どう気をつければ良いのだ!?
バルバトスがアシュレイのその言葉を無視したのは、常識的に考えれば妥当な判断だといえる。
それが蓋を開けてみれば“危険因子”だったなど、誰が想像できよう?
情報が公開されている日那の天静、栗鼠族のマキアは、ユステル12将ですら手を焼くと評されている。
それに併せつい先日、その12将に居た危険因子No4のヴェルが、貴族を大量に殺し回ったばかりだ。
その事件をきっかけに、ユステル12将が半壊。体聖のオリアスが怪我により離脱し、ガミジンが辞任するという事態に陥ってしまった。
そのことから、バルバトスはおそらく危険因子というものが、世界的に危険な戦力だと想像している。
ここは様子見していては被害を受けかねない。
力を出し惜しみするべきではないだろう。
「全艦に通達。手持ちの爆雷を、すべて投入!!」
「す、すべてですか!?」
「すべてだ!」
どのみち、ここまで時間を掛けても水軍が出張って来る様子はない。
対水軍用兵器を温存する意味が無いのであれば、目の前の変態に全てぶちかましてやれば良い。
バルバトスの命令が伝わった各艦が、次々と試射を開始。
そこからすぐに実射撃に移るが、折角計算し直したのに相手が縦横無尽に動くため、狙いが定まらなくない。
辛うじて発射出来ても、放物線の中央で突然失速。真下に落下するという驚愕の事態に陥った。
爆雷は外れ、魔術も弓も当たらない。
だが相手は人間。
いずれ、奴は限界が訪れる。
攻撃がいくら外れようと、そのときを焦らずじっと待てば良い。
矢と魔術、そして砲弾と爆雷を放ちながら、バルバトスは奥歯を噛みしめながらアルトの動きをじっと眺めていた。
焦らず待てば良いと思ってはいるものの、バルバトスの体が緊張により固まっていく。
寒空の元、脂汗さえ彼の額に浮かび始めた。
焦るな……。焦ると碌でもないことになる。
だから、じっと隙を見計らうんだ。
バルバトスが意識的に肩の力を抜いた、
そのとき。
まったく別の場所から爆音が轟いた。
「な……なんだ!?」
先ほどまで一心不乱に攻撃を続けていた兵士達が、その音に戸惑い動きを止めた。
「ど――」
兵士の1人が眦を決しながら、後方を指さした。
「ドラゴンだぁぁぁぁぁぁ!!」




