海戦2
そう、呟くことしか出来ない。
海の上にいるとは思えない……いや、たとえ陸の上だろうとも百以上はあるだろう魔術を躱すなどあり得ない。
だが実際に、ただ木を切っただけにしか見えない小舟は魔術を躱している。
その光景を見ただけで、バルバトスの頭の中は完全に真っ白になってしまった。
「なんだあいつ!?」
「魔術の集中砲火を、躱してやがる!」
「なんて……あり得ない」
「動きが気持ち悪い!」
「本当にあいつ海の上にいるのか!?」
兵士達がポツポツと小舟への評価を口にしていく。
それを聞いて確かに、とバルバトスも内心首肯する。
確かに小舟の動きは尋常ではない。
尋常ではないからこそ、気持ち悪い。
おそらく名のある詩人ですら、彼の動きを華麗な言葉で喩えられず、匙を投げるに違いない。
「あれ、魔物なんじゃねぇ?」
その動きは、海の魔物という言葉がしっくりくる。
本当は魔物であってほしい、とまでバルバトスは思った。
だが、違う。
いまではバルバトスの肉眼でもはっきりと捉えられる。
あれは――船に乗った――人間だった。
「変態だ……」
と何者かが言った。
その言葉で死にかけていたバルバトスの脳が、過去の出来事を刹那のうちに想起させた。
『“変態”に、気をつけなされ』
教皇のあの言葉は――あまりに馬鹿馬鹿しすぎて完全に聞き流していたが、まさかこの事なのか?
若干15歳で国王の冠を戴いたバルバトスには、理解出来ない忠言は無価値だという信念があった。
そうなったのは若い王を支えるため、すべてを易くかみ砕き、半歩前進しても大仰に褒めそやした家臣達の責任であるが。
教皇アシュレイの言が、さっぱり理解出来なかったバルバトスは、その忠告を無価値だと判断していた。
……いいや。まさかそんな、馬鹿な。
頭を振って教皇との会話を追い払う。
まだ、彼がその“変態”だとは限らない。
たまたま兵士が『変態』と言ったから、想起されてしまっただけだ。
再び腹底に轟音が響く。
今度は九時方向で同行していた戦艦ソウフが速度を落とした。
本当にあの小舟に乗った奴が魔術で船底に穴を開けているのか?
しかし馬鹿な。
ソウフは戦艦だぞ!?
バルバトスの頭から血が音もなく引いていく。
「魔術がダメなら爆雷を放て!!」
「は……しかし相手は小舟一隻で――」
「予が命令しているのだ! ヤレと言われたらヤレ!!」
「は、はっ!!」
バルバトスの怒声に慌てた兵士が、甲板を転がるように掛けていく。
たしかにその兵士の言葉の通り、小舟相手に爆雷を用いるのは無駄を通り越して損失に近い。
爆雷はユステル水軍で開発された特殊砲弾だ。
魔術刻印を施した鉄塊を、勢いよく発射することで、着弾時に大爆発を引き起こすものだ。
1発の値段は金貨100枚と、頭が痛くなるほど高価である。
だが海上戦闘でこれほどの威力を持ち、広範囲の敵を爆発に巻きこむ武力は他にはないだろう。
アヌトリアは水軍がそれほど強くない。
ユステル水軍がただぶつかっても負けるような相手ではないが、念のために今回は10発用意してきた。
もし水軍が出張って来ても、この10発であらかたを蹴散らし、大勝利を収めて勢いを付ける算段だったが……。
まさか水軍のすの字も見えないこの場所で使うことになろうとは。果たしてユステルを出国するときに、誰が想像できただろう?
しかしなりふり構ってはいられない。
いまの魔術砲撃で、相手に魔術が通用しないことが理解出来た。
こちらの攻撃は通じず、相手の攻撃が一方的に船底に穴を開けていく。
この状況を打破するには、少々強引な手を使わなければいけない。
「全員、耳を塞げー!」
砲弾技官の大声が轟き、甲板に出ているものは全員耳を塞ぎ口を半開きにする。
――ダゥゥゥンッ!!
黒い弾と共に煙が前に噴出し、ある一定の地点で止まると、もわぁっと外側へと広がっていく。
耳を塞いでいたのに、激しい音が鼓膜に突き刺さった。
体内が震え、空気の波に体が後方へ浚われそうになる。
それをなんとか堪え、バルバトスは発射された弾の行方を追った。
弾は小舟よりかなり手前に落下。
しかしバルバトスはまったく身じろぎをしない。
いまのは試射。
この弾の落下地点から軌道を再計算し、次の砲弾の的中率を大幅に引き上げるのだ。
「次弾装填!」
「発射準備ー!」
「角度調整!」
「調整完了!」
「全員、耳を塞げー!」
兵士が再び大声を上げ、バルバトスは強く耳を塞ぐ。
2発目。
白い弾と黒い煙が射出。
爆音
一気に視界が黒くなり。
煙の苦い臭い。
バルバトスは目を細め、弾丸の行方を追った。
弾丸は狙い通りに小舟に向かう。
相手は着弾寸前で小舟を横へとすすーっと滑るように移動させ、弾丸の直撃を回避した。
だが、それで終わりではない。
カッ! と世界が瞬き、爆音が青い空と海を劈いた。
激しい水しぶきが空高くまで舞い上がる。
――やったか!?
大凡半径50mを爆雷の衝撃が飲み込んだ。
おそらくいまの爆発に、間違いなく奴は呑まれただろう。
ほっと安堵するとともに、バルバトスは技官を呼び寄せる。
「なかなか良い射撃だった」
「ありがたきお言葉。光栄でございます!!」
「今後とも訓練に励むように」
「はっ!」
そう言って、技官は恭しく最敬礼をし、持ち場へと戻っていく。
あとは、もうすぐ目前に迫っている港へと着岸するだけ。
…………いや、自分たちはなにをやっていたんだ?
冷静になったバルバトスはそのことに気がつき、愕然とした。
通常ならば目測3km進むのに10分もかからないだろう。
だが現在、あの小舟を発見してからどれくらい時間が経った?
男を見つけ、無視しようとして駆逐艦の船底が破損。次々と軽損する船が出て、敵対行動を開始。
魔術を放ち、さらには爆雷まで用いた。
結果、小舟は消え失せた。
おそらく交戦してから10分は間違いなく経過しただろう。
だが何故だ?
我々は何故、10分前から少しも港に近づいていないんだ!?
平静を取り戻したはずの心が、少しずつ揺れ動き始めた。
「報告します!」
「なんだ!?」
バルバトスの声に怯え、兵士が言葉を呑んだ。
恐怖を感じた矢先に声をかけられたため、つい反射的に大声を出してしまった。
おまけに無意識だったが【王の威圧】も発動していたらしい。
バルバトスは意識的に深呼吸をして、【王の威圧】を解除。
再び兵士に、今度は柔和な口調で声をかけた。
「なんだ?」
「……は、はっ! 実は――」
たった一言あれば、嫌な予感を感じ、それが現実になると確信できる。
そんな瞬間が、時折訪れるのだがもしかするとそれは、神代戦争で滅せられた名も無き神の天啓なのかもしれない。
「先ほどの小舟に乗っていた男が、どうやら……」
生きている。
その発言で、バルバトスは急ぎ海原を確認した。
まさか、そんな。
あの爆発で何故……。
焦る思いを必死に抑えながら眺めると、居た。
あの黒いマントを羽織った男が、海の上に立っている。
……立ってる?
人は爆雷を受けて生きていられるのか?
という疑問をそのままに、さらに新たな疑問が上乗せされた。
人は海の上に立てるのか?
もうバルバトスの脳は許容量いっぱいいっぱいだった。
目の前で起っている現象をすべて無視して、このまま港に入港したい。
普通の戦争を行い、普通に知恵を絞りたい……。
「お、男が動いた!!」




