ホットワード
「隊長。大丈夫ですか?」
「隊長!!」
「あ、ああ」
己の動揺を隠しつつ、フランは痛む足を無視して立ち上がる。
「皆、怪我はないか?」
「はい! これも隊長のおかげです!!」
「……ん?」
「隊長が居てくれたから、我々も難民も、命が救われました」
「さすが隊長です!」
「いや、待て。何故私なんだ?」
「それは決まってるじゃないですか」
兵士は満面の笑みを浮かべて、ボティウスを指さした。
「奴を倒したのが、隊長の功績だからです!」
「待て待て――!」
フランは尻尾を逆立てて抗議する。
「アレを倒したのは私ではない。皆、見なかったのか? あの少年がボティウスを倒すところを」
「見ましたよ? すべては隊長が指揮したおかげ。この場に隊長がいなければ、あの化け物を退治するなど出来ませんでした!」
「その通りです!」
「フラン隊長、万歳!」
「「万歳!!」」
これまでの緊張の糸が切れたからか、兵士達の熱気が一気に高まっていく。
違う。私はなにもしていない。
そう声をかけるが、フランの言葉を誰も信じてはくれない。
皆の目は節穴なのか?
ボティウスを倒したのはアルトだ。
アルトに、フランは一度も指示などしていない。
なのに、彼の功績はいま、すべてフランのものにされそうになっている。
このままでは不味い。
だが、兵士達は一切フランの言葉に耳を貸さない。
皆はそれがただの謙遜だと思い込んでいる。
これじゃ、功績をかっ攫う盗人だ。
フランは首を回し、本物の功労者。アルトに視線を送った。
だが彼は、その事にまったく反感を覚えていないどころか、
「あとはお願いしますね」
などと言ってその場を立ち去ってしまったではないか。
彼は、評価されることが嫌いなのか?
……いや、そうではないだろう。
評価が嫌いな人間など、この世にいるはずがない。
もし本当に評価が嫌いならば、この場に現れる理由などないのだ。
ならば、彼は何故……。
フランの疑問はすぐに解決する。
「報告します! 避難した難民達が皆、困惑しております」
「地面が動いて、運ばれたそうで」
「滑って動けなくなったという話も聞かれます」
「謎の力が中心部全体に働いた模様」
「謎の現象で移動した難民の数は万を超えております」
「皆、不満が爆発寸前です! 隊長、どうしますか!?」
なるほど、とフランは牙をむき出しにして笑った。
まったく、なんてとんでもない奴だ!
難民らが正体不明の力で運ばれたのはアルトの仕業だ。
強制的に難民を運べばどうなるか、きっと彼も判っていたはず。
だがそれよりも、彼は難民の命を優先した。
そうして難民を逃がし、ボティウスを倒した戦果を対価にすることで、後々の面倒事の一切をフランになすりつけたのだ。
まったく。この分隊長に責任をなすりつけるとは。
功績を得ても、苦情を処理するのはフランだというのに。
馬鹿なのか阿呆なのか。
いや、ただの変態なのだろう。
「隊長、ボティウスがいません!!」
「あ……」
ボティウスが黒い化け物に変わったことを知らない兵士が、青ざめた顔でフランに駆け寄ってきた。
そうか。そちらの問題もあったか。
やられた……!
勝手に王を処断したとんでもない問題を思い出し、そしてそれこそがアルトが丸投げした一番の難題であることを悟り、フランは頭を抱えてうずくまった。
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アシュレイの元にその男が現れたのは、午後の祈りを終えた後のことだった。
「失礼するよ」
現れたのは、豪奢な服に身を包んだやや威厳のない王である。
先代が45のときに成した子で、60で死去したためそのような若さで王の座に着いてしまったのだ。
もちろん王の器に若さは関係ない。
ただ、アシュレイは彼の境遇が少し可哀想だと考えている。
前王がもう少し早くこの子を成していれば、あるいはもう少し長生きしていれば。
あるいはこの子は、いまより聡明に育ったかもしれない。
純真な少年が成長期まっただ中で宮中に放り込まれたのだ。
真っ当な感性を育めたとは……アシュレイには思えない。
王となって早20幾ばくか。彼は既に40近くまで成長している。
体だけではなく、中身も成長しているかは謎であるが。
「最近、妙な噂を耳にしてね」
幼さの残る顔に、悪い笑みが浮かぶ。
その表情を見ただけで、アシュレイはもうお腹がいっぱいになってしまった。
だがそういった感情を表に出すような愚は犯さない。
努めて表情を消し、アシュレイはゆったりと頷いた。
「どうも、かの帝国に邪神の使徒が降り立ったとか。これについて、教皇はどのようにお考えかな?」
「神は沈黙しております」
「私は教皇の考えをお伺いしているのですが」
彼は至極残念そうに首を振る。
その仕草を一般の人が見れば、自尊心がいたく傷着けられたことだろう。
「馬鹿にしているのか?」と激高するに違いない。
だがそのような感情は、教皇になった時点でとうに棄てている。
つまらぬ煽りだ。
アシュレイは内心ため息を吐き出し口を開く。
「説教をお望みかな?」
「いかにも」
「なるほど。では一つだけ」
アシュレイはわざとらしく咳払いをして、口を開く。
「教皇は神の代理。神の声を告げる者。神が沈黙しているのならば、教皇は口を開かない。神の沈黙を勝手に判断するなど、何故できよう?」
「つまり、目の前に殺人鬼がいても、神が逃げろとか殺せとか言わないかぎり、行動を起こさない、と」
「そのような判断をする人間であれば、教皇になる前に死ぬでしょうなあ」
「はあ……。この国の傍に邪神がいるという現状について、教皇個人としての見解すらないのかな?」
「そのような話をしたければ、〝皇王〟と面談してみてはいかがですかな?」
セレネ皇国の政治の頂点は教皇ではなく皇王である。
政治的な話は彼の元で行うべきだ。
「いやいや。貴方の口から一言こう告げるだけで、すべてが円満に行くんだよ。『アヌトリアは邪神の国である』と」
教皇になったときから――あるいは“危険因子”をその身に宿らせたときから、世界はアシュレイを利用しようと画策している。
世界の法を乱す存在。
圧倒的な情報量で、事実を書き換えられる御業。
フォルセルスの法を均衡を、乱しかねない力。
“危険因子”
教皇になってから幾数十年。このような脅しは数知れず受けて来た。
いまさらこのような脅しで、アシュレイが口を開くなどあり得ない。
「ご期待には添えられませぬな……」
「そうか。誠に残念だ。では、貴方はそのまま世界が再編される様を指をくわえて見ているが良い。神が沈黙する限り、我々は自由であり、貴方は無力だろう」
彼は来たときと同じように肩で風を切り、傍若無人な素振りで扉へと向かう。
その服がアシュレイには、やはり大きすぎるように見えた。
「ひとつ、貴方にお伝えしておきましょう」
「ほう。やっと便宜を図ってくれるおつもりになったか」
満面の笑みを浮かべて振り返った男は、しかしアシュレイの表情を見るなり冷淡なものへと変化した。
おそらく、これから伝えることが己が求めた言葉とは違うと見抜いたのだろう。
「ここには世界中から、様々な情報が集ってくる。私にはその、言葉の“熱”が理解できるのだが、どうもここのところ、新しい言葉が多くの熱を持って動き回っているらしい」
「ほぅ……」
熱とは潜在的な情報が、顕在化する前の兆し。
とある街にある、とある店の菓子がおいしいと婦人の中で話題になれば、きっとアシュレイはその言葉に“熱”を感じるだろう。
しばらくした後、その店が大きく成長し、一躍その名が街だけでなく国中に知れ渡ることになる。
規模は些か小さいが、アシュレイが感じ取れる“熱”とはそういう性質を帯びている。
【ギフト】熱言探知。
これがあったからこそ、教皇という地位に就くことが出来たとアシュレイは考えている。
ここ最近、極所的ではあるが急激に“熱”を帯び始めた言語がある。
それはとうてい“熱”を帯びるとは到底思えない言葉だ。
だからこそ、アシュレイはこの熱になにかしらの予兆を感じている。
感じているのだが……。
「して、なんという言葉かな?」
「“変態”」
「はっ?」
「……“変態”に、気をつけなされ」
「…………はいっ!?」




