シン勇者
「ひとぉつ!」
瞬間、目の前に赤毛がふわり飛び込んだ。
「人世の悪を成敗し――」
その男の声が聞こえフランはゆっくりと瞼を開く。
「ふたぁつ! 不埒な悪をはっ倒す。それは誰? どこの勇者!?」
男は腕を上に交差させただけで、なんとあの黒いボティウスの拳を受け止めているではないか!
彼は――、
「みいぃっつ! 見せてあげましょう。勇者の力を!! リオン・フォン・ドラグナイト・ブレイブ見参!! ……決まった。ついに、決まったゼ! くぅっ、痺れる。ああ、どうしよう! オレいま、すごくYU☆SHAして――ふぎゃ!!」
――逆手で殴られ地面に落ちた。
ええと、彼の名前は確か……、
「り、リオンか?」
「――っぷは!! あーもう! 折角かっこいい台詞が決まったってのに!!」
ひょっこり頭を上げて「ぺっぺっ」と口に付いた土をほろう。
いまの攻撃で生きているだけでも不思議なのに、傷一つついていない……。
あまりに馬鹿馬鹿しい体力に、もしかしてボティウスが手心を加えたのでは? と思ってしまう。
だが彼が埋まった地面には、きっちり彼の形が生まれているので、手心を加えられたわけではないだろう。
彼の体力が、フランの想像の域を超えているのだ。
「おいアンタ!! せっかくオレの決め台詞が決まったのに、突然殴るなんてどういう了見だアアン!?」
「…………殺ス」
「ぎゃぁぁぁぁぁ!!」
【挑発】しておきながら、攻撃されると悲鳴を上げるリオン。
だが、ボティウスの攻撃は、逃げ惑っているようにしか見えない動きできっちり【受け流し】されている。
不思議だ。
泣きながら鼻水とよだれを垂らし、膝をガクガク震わせているのに、何故彼はあれほど凶悪な攻撃を見事に受け流せるのだろう?
拳の周囲で唸る風。
踏み込みで砕ける地面。
それだけで、ボティウスの攻撃のすさまじさが理解できる。
ただ泣いて逃げ惑うだけでは、決して【受け流し】など不可能である。
「げ、マジやば」
いままでくねくね動いていたリオンが、突如ボティウスを正面に構えた。
彼がなにに不味いと思ったのか、ボティウスを見てフランもすぐに理解する。
ボティウスの拳が、リオンと、その延長線上にいるフランをまっすぐ打ち抜こうとしているのだ。
リオンはきっと逃げられる。
だが逃げれば攻撃がフランを直撃するだろう。
「ちょ、タンマタンマ!!」
「……殺ス!!」
もちろん、ボティウスはそれでは止まるはずがない。
拳はまっすぐ打ち抜かれ、リオンに接触する。
「リオンは詰めが甘い」
――ドゥッ!!
その寸前に、横から割り込んできた栗鼠族の少女の拳で直上に方向を強制転換させられた。
拳を真横から当てて攻撃の軌道を反らせる技。
言葉で表すならば実に簡単だが、成功の時機は刹那。
早ければ当たらず、遅ければ当たっても攻撃を反らせない。
それだけで、彼女が恐るべき技力を宿しているのだと理解出来る。
「っく!! なんでマギカはオレの為に用意されたおいしい場面をいっつも奪っていくんだよ!」
「リオンはアレだから」
「アレってなんだよアレって!?」
わーわーガナリながら、リオンがボティウスの攻撃を凌いでいく。
先ほどまでこの場に漂っていた絶望感が、気がつくと完全に消え去っていた。
まるで彼らの脳天気さが、それらを押し流してしまったかのようだ。
やや、緊張感に欠けるきらいがあるが……。
「そろそろ勇者の実力を見せてやるぜ!」
「もう十分見た」
「っふん。さっきまで見せていたのは勇者の仮の姿。今度はシン勇者として――フゲラモゲァ!!」
「…………ほら」
赤毛が叩きつぶされ、それを尻目に獣人が攻撃を仕掛ける。
叩きつぶされたはずの赤毛は、恐るべき速度で戦線に復帰し、ボティウスに【挑発】を仕掛けている。
ほとんどなんの装備もしていないのに、何故彼はドワーフ製防具を装備したフランよりも早く復帰できるのか。
何故傷一つ負っていないのか……。
赤毛の強靱さが、フランにはまったく理解出来ない。
理解出来ないのは赤毛だけではない。
獣人もまた、フランが貫けなかった見えない壁を、いともたやすく通り抜けている。
彼女の拳はボティウスに届き、4mもある巨体を大きく傾がせる。
彼女は何故攻撃が届くのだろう?
見えない壁はフォルセルスの加護。世界の天秤を維持するための御業。
人種にとってそれは絶対。
決して超えられない壁である。
彼女が王または王族でない限り、決して攻撃は届かない。
一体彼女は、何者なんだ?
「――アァァァァ!!」
こちらの攻撃は一切が凌がれ、相手の攻撃がすべて体に被弾する。
そんな状況で、ボティウスは突然大声を上げた。
怒り、憎しみ。敵に対する負の、あらゆる感情が詰め込まれたそれに、フランは怖気を感じてうずくまる。
声を聞いただけで、逃れられない暴力が脳を支配してしまった。
【王の威圧】がふんだんに詰め込まれたそれに、彼らは一切動きを乱されない。
しかし直後。
「げ――」
「う――」
ボティウスが見せた変化に、2人の体が止まった。
「ヤバイヤバイヤバイ!!」
ボティウスは体をくの字に折り曲げ、一気に反り返る。
背中から、大量の黒い塊を射出。
それらが一斉に赤毛と獣人に襲いかかった。
「ぬわぁぁぁぁぁぁ!!」
「……っく! っふ!」
赤毛が全力で後方に逃げ、獣人は下がりながら塊を避けていく。
だがそれぞれの回避に限界が訪れる。
赤毛は数発の塊に潰され、獣人は1発の塊に吹き飛ばされた。
塊のすべてが地面に叩きつけられたとき、幸いにも生き残ったフランはしかし、生き残ったことすら絶望にしか感じられなかった。
……終わった。
すべてが終わった。
いまの魔術がなんなのか? 魔術の基礎教養しか持たないフランにはわからない。だがその威力は、はっきりと肌で感じられた。
ボティウスの拳の攻撃など話にならぬほど、恐るべき威力があった。
あの魔術を受けた赤毛も獣人も、ただでは済まないだろう。
折角見えかけた希望が、潰えた。
彼らが戦えなければ、この場でアレを抑えられるものは誰1人として――。
「すみません。少し遅くなりました」
まるで逢い引きの待ち合わせに送れたかのような、のほほんとした声がフランの耳朶に届いた。




