分隊長フラン
黒縁の眼鏡を押し上げながら、フランはボティウスと対峙する。
「で、犬コロが俺に何の用だよ」
「貴方は口の利き方がなってないようですね」
「なってないのは貴様だ!! 俺を誰だと思ってやがる? 国王ボティウス・ウル・アドリアニだぞ! 身の程を弁えろ!!」
ボティウスが吠えると、隣にいる兵士がそれぞれ硬直した。
連れてきた兵士はかなりの上役だが、王の威圧には抵抗出来ないらしい。
分隊長であるフランはなんとか抵抗できるが、それでも気を抜けば相手の威圧に呑まれてしまいそうだった。
「立場を弁えるべきは貴方ですよ、ボティウス王。現在、殺生与奪の権利は我々が掌握しています。もし機嫌を損ねれば、我々はいつでも貴方の首を落とせるのですよ?」
「ああ? 貴様、国王の首を落とすだ? なにを戯けたこと言ってんだ。そんなこと、一介の兵如きが出来るわけねぇだろ」
ボティウスは余裕の表情でふんぞり返る。
捕縛されていることを無視すれば、まるでこの天幕の主が自分であるかのような雰囲気を放っている。
そして、それが当然だとフランは感じてしまう。
もちろん錯覚なのだが。
この雰囲気こそが覇者。王者の証。
ただの人では超えられない、神から頂く絶対的な階級を持つ者の存在感なのだ。
彼の強烈な気配に当てられて、フランの尻尾の毛がチリチリと広がっていく。
「何故貴方はアヌトリアに侵攻したんですか?」
「貴様の国が邪神に乗っ取られたからだ」
「それは誰の言ですか?」
「んなもん、フォルセルス神に決まってんだろ」
「フォルセルス神はそのようなことを、本当に啓示されたんですか?」
「てめぇはフォルセルス様の言葉を疑うってのか!?」
フランが聞いているのは、啓示の有無だ。
だが彼はそれを啓示の真偽にすり替えている。
引きずり込まれてはいけない。主導権を握られれば、彼は良いように話を転がし、いつしかフランらが悪の烙印を押されてしまう。
だがそれをフランが対策を取る前にボティウスが口を開いた。
「テメェの国は、邪神に操られてんだ。きっとテミスが邪神の手先なんだろ?」
「――――」
冷淡な瞳で見下し、フランは腰に付けていた鞭をボティウスに振るった。
「がぁぁぁぁぁぁ!!」
「皇帝陛下を愚弄する言葉は慎んでください」
その言葉に、隣にいる兵士達も同調する。
彼らだって、陛下に忠誠を誓っているのだ。その陛下を愚弄されたとあっては、腸が煮えくりかえる思いだっただろう。
「貴様ぁぁぁぁ!! この王に! この俺にぃ!! 一体なにをしたぁぁぁ!!」
「我々は、貴方を殺すだけの武力を有しています。さあ、答えてください。一体誰が、貴方にそのような嘘を吹き込んだのですか?」
「殺す……殺す……殺す!!」
「民を惨殺し、強姦し、金品を奪ったことは、正義を司るフォルセルス神の教えに反していませんか?
相手が邪神の手先であれば許されるのですか?
貴方は教皇ですら持たない民を裁く権限をお持ちなのですか?
無関係と思われる住民まで殺せと、フォルセルス神はおっしゃったのですか?」
次々と訊ねるが、ボティウスは泡を口角に溜めながら、こちらを呪い殺さんばかりに睨み付けている。
少しでも気を抜くと、フランでさえ動けなくなりそうだった。
横にいる兵士達は既に体を震わせ腰を落としてしまっている。
王の憎悪に、フランの尾が警戒を促す。
「……どイつもコイつも、おお、俺を見下しやがって。俺は王だ。蚊とんぼみてぇな平民とは違う高貴な存在だ。なのに、まともに扱わねぇ。こんなのは、絶対にまま、ま間違ってる。俺は、神から許サれた存在だぞ? 神も同然だ。その俺にサ、サササササ、サ逆らうなど、万死に値するのだ。そうだ。コ奴等は死ねば良イイイイイ。死ぬのがふサわしイ。コの神の俺を、ココまで、見下しやがる……ココ、コ、コ奴等は……」
吃音が混じり、声の調子が乱れていく。
その雰囲気に尻尾が、硬直する。
天幕内の空気ががらりと変わった。
ボティウスの体から僅かに黒いなにかがにじみ出ている。
フランが見ても、その正体が分からない。
だが、これだけは感覚が察知する。
これから起る変化は、危険である。
「皆殺しだ」
ボティウスが呟いた瞬間、天幕が吹き飛んだ。
尻尾や腕を動かし空中で姿勢を整え、地面に落下。
体3点を用いて受け身を取り、さらに何度も転がる。
幸い、フランの体には怪我は無かった。
どこも痛いところがない。
だがほっと息をつくことも出来なかった。
前方から、強烈な殺気を感じる。
フランは即座に抜剣。
前方を眺めながら、注意深く剣を構える。
砂埃が風に押し流されると、その中心に黒い影が佇んでいた。
全身を墨で染め上げたような黒い体。唯一、目だけに白と赤が見られる。
絵画を人型にくり抜いたような黒が、こちらに振り返る。
「…………」
「――ッ!?」
言葉はない。
だが、感じた殺気に反応し、フランが剣を持ち上げる。
瞬間、
目の前でなにかが交わった。
激しい衝撃。
軽い目眩。
浮遊感。
あ、と思った瞬間には、もうフランは後方へと吹き飛ばされていた。
地面を転がり、何度も跳ねて、やっと彼女は態勢を整える。
……油断していた。
相手が攻撃を仕掛けてきたとき、偶々前に剣を掲げていたおかげで助かった。
相手の脅威度を最高まで引き上げ、再びフランは剣を構える。
この人物は、おそらくボティウスだろう。
王なのか? という疑問はもちろんある。
だが全身が黒くとも、身長や体型が彼と同じである。
おまけに匂いも彼のと変わらない。
その黒は、ボティウスである。
ボティウスなのだがあまりに毛色が変わりすぎて、直感的な理解が難しい。
彼は拳を叩きつけるように振りかざす。
それを剣で【受け流し】して、【斬り返し】する。
だが、遠い。
まるで目に見えないなにかが阻むように、フランの剣が彼の体の手前でピタリと停止した。
「っく!!」
「……タリナイ。ウメアワセ、タリナイ」
喋った彼はおもむろに、地面にある千切れた兵の腕を持ち上げ、噛みついた。
「な――!?」
信じられない光景に、フランは呆然とした。
人間が人間を食うなど……常軌を逸している。
「タリナイ。マーダー……」
腕を食べ終え、さらに近くに落ちていた足に手を伸ばす。
やっと自失状態から意識を取り戻したフランが、全力で彼の懐に飛び込んだ。
「人外め!!」
「――ン?」
だがその攻撃も、やはり彼の体の前で停止する。
「っち……」
傭兵として活躍し、皇帝陛下に見いだされ、分隊長まで上り詰めた。
間違いなく、フランは帝国屈指の戦士である。
その彼女がドワーフの武具を装備してもなお、この黒いボティウスには僅かなりとも攻撃を当てられない。
……そう、当てられないのだ。
いみじくも彼が言った通り、フランに王は殺せない。
その概念が、エアルガルドの絶対的法が、王ならぬ兵士のフランを束縛していた。
決して覆せない事実。
世界の法則。
概念。事象。
それこそが、秩序を保つフォルセルスの、絶対の魔法。
攻撃が当たれば。
当たりさえすれば!!
強く願いながら攻撃するも、刃は途中でピタリと止まる。
まるで羽虫を退けるかのように、ボティウスがフランを払いのける。
戯れるような、攻撃ですらないそれに、フランが激しく吹き飛んだ。
「がはっ!!」
地面を数度回転し、ようやく止まる。
「ダリナイ……マーダー……アァ」
フランが地面に這いつくばるなか、まだ息のある兵士が狙われた。
「や、やめ――!!」
兵士めがけてボティウスが拳を振り下ろそうとした、その時だった。
「ひとぉつ!」
瞬間、目の前に赤毛がふわり飛び込んだ。




