クソったれな世界
寝台の横から声が聞こえ、シトリーはぎょっとした。
いつの間にか自分の部屋に、リオンが入り込んでいたようだ。
「……鍵を掛けいたと思ったんですが」
「勇者の前に鍵はなく、勇者の後ろに鍵はない!」
「……不法侵入ということですわね? 神妙にお縄を頂戴してくださいましッ!!」
「ちょ、ちがっ、オレは悪くない! 少し弄ったら鍵が勝手に開いたんだよ!!」
鍵を弄るところでもう犯罪である。
悪くないはずがない。
「ところで……なんの用ですの?」
「明日からまた迷宮に籠もる。今度は1か月間くらいな」
「……そうですのね」
迷宮に籠もる。1ヶ月。
その言葉で、シトリーの胸がまた苦しくなる。
リオンは仏頂面になってシトリーを睨み付ける。
「嫌なら来なくて良いぜ」
そう言われると、シトリーの自尊心が猛烈に反発する。
いままでなりを潜めていた苛烈な闘争心が、胸の中で首をもたげた。
「い、行きますわよ!」
「無理するなって。アンタ、絶望的に向いてねぇよ」
「そんなことありませんわ! わたくしはユーフォニア12将の1人でしたのよ? 向いてないはずありませんわ!!」
「そんな怒鳴るなよ。アンタがそう言いたくなる気持ちはわかる。一年も旅してたしな。でもな、ここ一週間の戦闘で、アンタ、一度か楽しいって思ったか?」
「それは――」
「ねえだろ? だから、向いてないって言ってんだよ」
おそらく、宝具が使えない今のシトリーでも、リオンが相手ならば完封勝利できる。
そんなリオンに向いてないと言われても、説得力を感じない。
「わたくしより弱いくせに……」
「ああ、弱いな。で、それがなんだ?」
「戦闘に向いてないのは貴方の方ですわ!!」
「……はあっ? 誰が戦闘に向いてないって言った?」
「いま貴方は、戦闘で楽しいって思うかどうかとおっしゃっていましたわよね!? それは戦闘のお話ではありませんの!?」
「おいおい、少し頭冷やせよ。オレが言いたいのは、『師匠式の訓練』に向いてるかどうかって話だよ」
リオンの静かな声が、シトリーの煮えたぎった五臓六腑にすとんと収まった。
そこからじわじわ冷たさが広がり、頭に昇った血液が徐々に落下していく。
けれどすぐに呼吸は落ち着かない。
シトリーは肩で息をしながら、リオンの次の言葉を待った。
「変態と自分を比べんな。変態がうつるぞ」
「酷い言いようですわね……」
「そりゃそうだろ。あんな戦い方、命がいくつあっても足りねぇだろ」
「じゃあ、そのアルトに付いていくあなたも、変態だっていうことになりますわね」
「オレは勇者だ! 変態じゃねぇよ!」
「はあ……」
「勇者ってのは、強くなきゃいけねぇんだよ」
シトリーはそのとき、リオンの目の奥に強い輝きを見た。
彼には強くなるための理由がある。
一体どんな理由なのか、とても気になった。
けれどそれを教えてくれるような雰囲気はない。
「アンタには理由があるか? 師匠の変態式狩りを乗り越えられるだけの理由が」
「…………」
ある。
そう言いたかった。
けれど実際にあの狩りを体験してみると、反骨心だけでは到底ついていけないことがわかってしまう。
「オレや師匠は、戦わなきゃ生きられない。でも、アンタは違うだろ?」
「……わかりませんわ」
シトリーは天井を見上げた。
何故だろう。
自分にとって長く親しんできたはずのものが、たったいま消え去った。
そんな気がした。
大切だったのに、ずっと大事に抱え込んできたはずなのに、失ってしまうと、何故だかそこまで悲しくならなかった。
(なんて呆気ない……)
空虚な気持ちがせり上がり、再び止めどなく涙が溢れる。
その涙は昨日の熱いものとは違い、とても、冷たかった。
戦いに不向きなのであれば、じゃあ一体、自分は何に向いているのだろう?
なにが出来るのだろう……。
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今日も朝から監督官が鼻息荒く、先週ノルマを達成出来なかった奴等をいつも通り、鞭で殴り飛ばしている。
その光景を傍観している男――ハクは、体を震わせながらただ嵐が過ぎるのを待っていた。
ここにくれば月の生活費が稼げるはずだった。
働き次第で報酬が上がるはずだった。
初めは皆、意気込んでここに来る。
だが魔物に追われ逃げ惑い、戻って来たら鞭で殴られ屑だと詰られ、また迷宮の中に戻される。
1匹も魔物を倒せないと、何時間も残業をさせられる。
運良く魔物を倒せても、
『ほら出来ただろ? 気合いが足りなかったんだ!』
『貴様のせいで効率が落ちてんだ!』
『文句を言うな!! さっさと次の魔石を取って来い!!』
さらに残業時間が延びていく。
魔石をいくら集めても、どれほど残業しても、手当は一切加算されない。
銀貨10枚。
税金が引かれて手元に残るのはたったの銀貨6枚。
それが、ハクの値段だった。
安宿に帰る頃にはもうくたくただった。
死んだように布団に入るのが深夜2時。そこから4時間眠り、目をこじ開けてここに来る。
本当なら、逃げ出したかった。こんな生活はまっぴらごめんだ。
だが辞められない。
まず第一にお金がない。
この仕事を辞めてから次に就職までに、お金が底をついてしまう。
本当なら働きながら再就職先を探せば良いのだろうが、そんな暇すらない。
朝から晩までずっと仕事。休みもない。そんな状況ではどうやっても冒険者ギルドに行けない。
第二に辞めようとすると難癖をつけられる。
怒鳴られ、脅され、自分では決して払えない賠償金を支払うよう命じられる。
それが嫌だと首を振ると、仕舞いには鞭が飛ぶ。
どうすれば魔物が狩れるのか聞いても、『そんなことは自分で考えろ!!』と鞭を振るわれる。
考えた末に弱そうな魔物を探して倒そうとすると『なに勝手に判断してんだ!!』と拳が腹に叩き込まれる。
『お前は屑だ!』
『こんなことも出来ないのか!』
『甘えんじゃねぇ!!』
『俺がどれだけ苦労していると思ってんだ!!』
『せめて動物よりまともになりやがれ!!』
なにか失敗すれば、すべての責任は労働者に。
なにか功績を挙げれば、すべてが管理官のものだ。
やりがいがない。残業したって給料は変わらない。業績を上げても同じ。
残業し、死んだように安宿に帰り、死んだように眠り、無理矢理起床して職場に向かう。その繰り返し。やることは一緒。
いつも誰かが怪我をする。
1週間に1度は誰かが死ぬ。
次は自分かも知れない。
ビクビク怯えて、心がすり切れて、今日を無事乗り切れただけでも、幸せを感じてしまう。
ハクにはもう、抵抗する気力など残っていなかった。
抵抗するだけ無駄だと、思い知らされた。
それでも、助けて欲しいと祈りは続けた。
この願いを聞き届けてくれるのなら、たとえ相手が悪魔でも、喜んで崇拝しよう。
「いつか、こんなクソったれな世界がぶっ壊れますように」
翌日、ハクは迷宮に姿を現わさなかった。
逃げたか? 腑抜けめ。
一時、管理官は散々ハクを罵倒し、けれどその夜にはもうハクがいたことも、彼が働いていたことも、その彼をどれほど罵倒したかも、暴力を振るったことさえ忘れていた。
その数日後、ハクは路地裏で遺体となって発見された。
死因は、首つりによる窒息死だった。




