3話
「チッ、逃した!覗きの不審者の癖に素早いっ!」
反対側にあるビルに向け、苛立ちのままに拳を乱打する。
道路を挟んでいるこの距離で勿論拳が届く事は無いが、私の能力がその結果を変え、ビルの壁や柱を破壊する。
双眼鏡を持った不審者を逃したのも勿論腹が立つが、今しがた取り逃がしたフード少女を逃したのも腹が立つ。
只逃げるだけならまだしも、
「アイツ、アタシに一発カマしてから逃げやがった!」
万全な状態だった。
相手には決定打が無いはずで、常にこちらが優位に立ち、先に重い一撃も喰らわしてやった。
なのに-------------
一撃を喰らわしてやった後、アイツは性懲りも無く突っ込んで来て先程の焼き増しの様に一撃を振り切った。
それに対して衝撃でカウンターをした筈なのに、突然アタシの衝撃が弱くなった。
何に当たった訳でもないのに、何かにぶつかり減速する様に衝撃が小さくなった。
「アイツの能力?でも移動に能力の減衰?まるで統一性が無いじゃない。・・・それだけ汎用性のある能力なら、やっぱり逃がしたのは痛い。」
唯でさえ徐々に激化している抗争と、その空気に当てられた血気盛んなメンバー達は気が立っている。
この先起こるであろう大規模な闘いは最早、戦争と言っても良い程の規模になるだろう。
それに備えて優秀な能力者の確保は急務だ、逃しただけで無く他のグループに入られたら目も当てられない。
「ああ、もうっ!苛々する!」
フードはもう逃げた、後は追えない。
ならばせめて、今しがたの不審者達だけでも捕まえる。
「手ぶらでなんて帰れない。」
そんな事をしてしまえば、あの人から失望されてしまうかも知れない。
それだけは駄目だ。
何か変わりの手柄がいる。
4階の窓から飛び降りる。
もう何度もやった事がある事だとはいえ、背筋がヒヤッとするが其れを堪えて落下時の衝撃を減少させ着地する。
アイツらは、ビルの反対側ね。
能力を発動し、跳ぶ様に駆ける。
分かっている、失敗してもあの人が失望する事は無いことは。
でもそれでその優しさに助けられる事は、其れを甘受し続ける事だけはあってはならない。
其処だけは譲れない。
其れがアタシ、金村詩音の唯一の意地なのだ。
それを叶える為に・・・・・落ち着いてアタシ、大丈夫。
能力だって、
失った訳じゃない。
ゼエッ、ハアッヒュッ!
今までの人生の中で嘗て、こんなに走った事が有るだろうか?
汗はかくし、息は乱れて肺と横腹と脚と腕、と言うか全部痛い!
先程までの少女達の闘いを不審者宜しく覗きをしていて、それが見つかり逃走するという完全な犯罪者の様な現状に頭を抱えたい所だが、走っていてそれ所では無い。
横を見れば同じ様に走っている亜久路さんがいるが-------------
「まっずいな、運動なんて何年ぶりだ?・・・あ、横っ腹が痛い。死ぬ死んじゃう、アラサー間近の叔父さんに全力疾走は辛い・・・・・。」
とてもついさっき「叔父さんも少しは闘えるんだぜ?」キリッとキメ顔をしていた人とは思え無い醜態を晒している。
「ふぅ、キッツ。」
「何やってるんですか、休んでたら追いつかれちゃいますよ!亜久路さんも見たでしょう!?あのビル倒壊したんですよ。あんな事できる人に見つかったらミンチにされちゃいますよ!」
「かもね!あの娘めっちゃ怒ってたし。でもま、結構離れたし、大丈夫じゃない?」
「何でそんなに呑気なんですか!?早く行かないと-------------」
そんな俺の抗議は
ドンッ!!
という音で掻き消される。
突然の音に驚き固まる俺の横を物凄いスピードで通過した者は壁を突き破り、その向こうに甲高い何かが割れる音共に消えていく。
目の前にいた筈の亜久路さんの姿は無い。
冷や汗が吹き出て、気の所為か寒気を覚える。
突然の出来事に驚き固まる俺の耳に、コツコツという足音が入ってくる。
「見つけた。手間掛けさせるんじゃ無いわよ、まったく。」
その犯人は一歩一歩ゆっくりとした足取りで路地裏の暗がりの中から姿を表した。
その顔に凶悪な笑みを浮かべながら、獲物を追い詰める様にゆっくりと歩き、一定の距離の所で立ち止まる。
少女、金村詩音は掌に軽く拳を打ち付けて真っ直ぐと鼓動を睨みつける。
「不審者共、覚悟は良いわね?・・・良く無くてもやるけど。」
次の瞬間。
まだ幾らかあった距離が無くなり、詩音の細腕と言っていい程の華奢な拳が目前に迫り、
途轍もない衝撃が鼓動の頭を撃ち抜いた。
パラッ、パラパラパラ、と黒い革の本が独りでに開く、その本は奇妙な事にその一枚一枚が全て白紙で出来ており、本と言うには何を伝える訳でも無く、その空間には書き手も読み手もいない事から全く意味を成さない。
内容も無ければ存在意義も何もかもが無いその本は然し、止まることなく裏表紙から順に開き、その殆どが捲れ上がった所で動きを止める。
ただ白紙のページを開き続ける。
それに意味はまだ無い。
衝撃が来る。
脳が揺らされるどころでは無い、頭の中を突き抜ける様な衝撃が走る-------------
華奢な細腕が目の前に迫る。
あぁ、あの衝撃が来る!またあの衝撃が頭を打ち抜いて-------------
目の前に現れた少女が深い笑みを浮かべて拳を掌に打ち付けている。
きっと、その女の子らしい体躯からは想像もつかない踏み込みで跳ぶように、接近してくるに違いない。
そして、その拳を俺の-------------
-------------あれ?
今のは、何だ?
「不審者共、覚悟は良いわね?・・・良く無くてもやるけど。」
詩音は深い笑みを浮かべて一歩大きく踏み込み、そして-------
------その先を思い出し身を竦ませて、鼓動はバランスを崩しよろける。
「死ねぇ!!」
「うおあぁぁっ!?」
その直ぐ横を先程見た様に拳が通り過ぎ空振った。
逃げた鼓動達を追って裏路地を走る詩音は、苛立ちのままに強く踏み込む。
能力によって地面が凹むが、音は能力で消している。
流石に追跡を態々知らせる様なヘマはしていない。
何度目かの路地を曲がった所で二人の男の話し声に歩みを止める。
(見つけた。)
曲がり角から身を出さずその様子を伺う、草臥れた男と自分と同年代の若い男がいた。
間違い無くさっきの不審者達だ。
話している様子からどうやら草臥れた姿の方が上の様だった。
(なら、)
暗影から身を乗り出し、呑気に雑談する草臥れた男に向けて衝撃を飛ばす。
男は直前に気づいた様な素振りを見せたが抵抗する暇は無かったのか、あっさりと壁を突き破りその向こう側に姿を消した。
もう一人の男はその状況を理解出来ないのか唖然とした顔をしながらアタシの方に目を向けた。
「見つけた。手間掛けさせるんじゃ無いわよ、まったく。」
掌を拳で軽く叩き、半身で腰を深く落とす。
何時も通り、殺してしまわないように注意して軽く構える。
「不審者共、覚悟は良いわね?・・・良く無くてもやるけど。」
飛ぶ様に、男とアタシの間にあった距離を駆ける。
未だに呆けて見る事しか出来無い男の顔面に拳を叩き込む。
身体では無く顔を狙ったのに他意は無いし、身体の方が的がデカいけど決して他意は無いから。
大丈夫、しっかりと手加減はしてるからっ!
能力を使わずにあくまで素手で、抉り込むように、
「死ねぇっ!!」
「うおあぁぁっ!?」
避けられた?
でも特に能力を使った様にも見えなかったし、避けたのもよろけた結果偶々そうなっただけよ。
少し衝撃を与えてやれば直ぐに倒せる、もう一人は既に倒したし此れで終わらせる。
情け無く尻餅をついた男に多少鬱憤が晴れたアタシは何時もどおり慣れ親しんだ能力に働きかける。
肌が空気に当たる衝撃を増幅させて、男に当たる様に発動す、る?
「・・・ねぇ、アンタ何したの?」
「・・・・・え?」
自分の右手をマジマジと見ながら男にそう問い掛ける。
然し男は私の問いに不思議そうな顔をするばかり、その姿に先程晴れたばかりの苛立ちが再度沸き上がる。
「今アタシはアンタに対して能力を使おうとした。何時も通り。そう、何時も通りに使った筈よ。」
昂るわけでもなく、只々重い、気持ちの悪い何かが溜まるようなあの感覚。
あの日あの人に救われてから蓋をした物。
「なのに何で、アンタは・・・いや、そっか。アンタもなんだ。アンタもアタシから、そう、そうなのね。・・・・本当につくづく嫌になる。」
頭が真っ白になる、あの時みたいに全部全部どうでも良くなって、只、今は-------------
「え、いやちょっと待-------」
「アタシはアタシから何かを奪う奴が一番嫌いなのよっ!!」
能力は相変わらず発動しない、でもそんな事もうどうでも良い!
固く握り込まれた拳が再度迫る。
能力は変わらず発動していないが、生まれてこの方喧嘩すらした事の無い鼓動は只々それを見続ける事しか-------------
「はい、ストップ〜!そこまで。」
相変わらずの気の抜けた声で亜久路は鼓動を殴り付ける筈だった拳を受け止める。
「・・・何よ、アンタ。壁の向こうで延びてた奴が今更登場?何、ヒーロー気取り?反吐が出るんだけど。」
「・・・・・。」
受け止められた詩音は、機嫌悪く亜久路を睨みつける。
それに対して亜久路は何も言わずに只々それを聞くのみで何も言い返さない。
その様子に詩音は更に苛立ちを滲ませ、更に言葉を重ねる。
「何時まで手を握ってるつもり?オッサンと手を繋いで喜ぶ趣味は無いんだけど?」
何を言われても微動だにしなかった亜久路さんはそんな罵詈雑言にも余裕を崩さない。
「酷いな、そんなに言われたら叔父さん傷付いちゃうよ。」
「てか早く離しなさいよ、加齢臭がつくでしょうが。」
「・・・・・・・・・。」
微動だにしなかった亜久路が突然膝から崩れ落ちる。
先程までの余裕そうな様子から一転した姿に鼓動と詩音は驚き、詩音は慌てて距離を取っている。
「あ、亜久路さん!?どうしたんですか!?まさか、何らかの攻撃を?」
尋常では無い様子にさっき迄の恐怖も吹き飛び、ブルブルと震える亜久路さんに慌てて駆け寄ると、漸く俯いていた顔を上げ何事かボソボソと呟いている。
慌てて耳を澄ませてそれを聞き取る。
「年下女子から体臭の事言われるのキッツぃ。」
「気にしてたんですね。」
心配して損をした。
じゃなくて。
「今はそんな事を言ってる場合じゃ・・・」
「まぁまぁ、落ち着きなよ。大丈夫だからさ・・・・・さて、冗談はこの位にしておこうか。」
「何よ。どうするつもり?アタシはアンタ達を逃がすつもりは全く無いんだけど?あと序でにソイツは絶対殴る。」
詩音の指差しに鼓動は怯み小さく悲鳴を上げた。
「あはは、それをさせる訳には行かないんだよね。彼はまだ今日ここに来たばっかりだし荒事に慣れてないからね。だから、叔父さんと少し遊んで行くかい?」
鼓動を背に庇い敵意を剥き出しにする詩音に相対し、相変わらずの軽口を叩く亜久路の言葉に詩音のギリリッと奥歯を噛み締める音が響く。
詩音の感情の昂りに能力が呼応し足元に罅が入る。
(!能力が使える。さっき迄は使えなかったのに、能力が解除された?そんな様子は無かったけど・・・・・でも。)
「遊びで済めばいいけどっ!!!」
「お手柔らかにね。」
「何処までもベラベラと-------------【拡収衝撃】!!」
詩音の突き出された拳から衝撃が飛ぶ。
その威力は先程亜久路が吹き飛ばされた事とビルの壁を破壊していた事でどれ程強力なのか分かる。
「亜久路さん!」
「・・・・・【見間違い方程式】」
迫りくる衝撃に亜久路はただ掌を向けるだけで回避する様子は無い。
詩音は亜久路のその様子に額に青筋を浮かべ、鼓動は起こるであろう事態に青褪める。
然し亜久路は至って冷静に能力を発動する。
「私はそう理解した。」
キィィンと耳障りな金属音の様な音に耳を塞ぐ。
突然の事態に混乱するがそんな場合では無いと亜久路さんを見ると、其処には拳を握り込み悠然と佇む姿が有る。
その何処にも傷は愚か乱れも無い。
「証明、完了。」
亜久路は不敵な笑みで呟き、突き出していた掌で軽く肩を払った。