22話
通常、極限の緊張感というものは余り慣れるという事は無い。
というのも人生において、そこまで追い込まれる方が稀であるからだ。
確かに人間は慣れる生き物だ。
慣れて、適応して、未知を既知にまで引き摺り下ろす探求の怪物なのである。
然しそれは、飽く迄慣れるまで経験したならばという話。
追い込まれる機会の少ない極限の緊張感が、何度も定期的に訪れる事は先ず無い。
勿論例外は往々にしてあるが-------
息が詰まりそうな緊縛感が肌を刺すように、見えない刺激を幻視する。
静寂とはここまで恐ろしい物だっただろうか?
意味のない自問自答が脳裏をよぎるのは一種の現実逃避であり、そんな事でこの状況を回避出来ることはないのだから全くの無駄な行為であるのだが、それでもそれに縋ってしまいたく成る程に鼓動はそれをヒシヒシと感じていた。
「アハッ。緊張し過ぎですよ?そんなんじゃ、上手く行くも物も上手く行かなくなってしまいます。」
すぐ後でクスクスと場の雰囲気に息を呑む鼓動を笑う美少女。
鼓動は今、芝崎愛花と共に倉庫内の積み荷の裏に隠れている。
「そんな事言っても、こんな状況初めてなんだ。しょうが無いだろ。」
ヒソヒソと小さな声で会話する二人だが、勿論この行動には意味がある。
「・・・・物は持ってきたんだろうな?」
「勿論だ。その為の取引だろう?此方は今日の為に少なく無い金を払って万全を期している。良い商談になることを願っているよ・・・・と言っても、もう腹の探り合いはいいだろ?さっさと取引を終わらせてしまおう。無駄な時間を過ごすのは嫌いなんだ。」
「そうかよ。相変わらずいけ好かねえ野郎だ。」
2つの集団から一人ずつ代表者が出ての何やら不穏な商談。
それは紛うことなき怪しい取引だった。
「今回の私の任務は違法性のある取引の撲滅。全員逮捕出来れば最高ですが、最悪取引をぶっ潰すだけでも大丈夫です。」
「ぶっ潰すだけって、俺みたいな一般人がそんな事出来るわけ無いだろ・・・・」
「そうですか?為せば成る、為さねば成らぬ何事も・・・・という事で、」
鼓動の背中にゴムのような硬い感触が触れる。
驚いて顔だけ振り返ればブーツを履いた片足を鼓動の背中に押し当てる芝崎。
その姿に鼓動の額に嫌な汗が流れた。
「っ!?ちょ、何をっ」
「いってらっしゃ~い、楽しんてくださいね?」
笑顔で手を振りながら足を思いっきり押し出す芝崎に為すすべも無く、鼓動は積み荷の裏から飛び出す形になった。
当然取引中の男達はそれに気づく。
一斉に注がれる視線の山。
「・・・・アハハ、・・・道に、迷っちゃっ、て?」
なんとか絞り出した言葉は、それだけだった。
「・・・・消せぇぇぇ!!!何者か知らなねぇが、見られたからには生きて返すなっ!!!」
取引をしていたリーダー格の男の怒号のような号令で、部下と思われる男達が一斉に鼓動を追い掛ける。
「何でこんな目にぃぃぃぃーーーーー!!??」
裏世界に来てからの経験で逃げ足が鍛えられている鼓動は一目散に手口に走った。
「ッチィ!商談は失敗かっ!一応聞くが、てめぇ等の差し金じゃないだろうな?」
苛立たし気に鼓動を追わせた男が舌打ちをし、取引相手の男へとその矛先を向ける。
「そんな訳無いだろ。そんな無駄なリスクをかける意味が無いし、何より元々嵌めるつもりなら現場に来る訳が無い。」
「・・・・なら良い。今回の取引は止めだ。再度日取りを調整する、異論は無ぇな?」
「構わない。」
男が了承したのを確認して、リーダー格の男も出口へと向かって行った。
それを見届けた男は一つ息を吐き、抓らなそうに顎に手を当てる、それは男が何かを深く考える時の癖だった。
リーダー格同士の話し合いが終わり、相手のリーダーが席を外したのを確認した所で部下の一人が男へと話し掛ける。
「厄介な事になりましたね。私達も追いますか?」
その提案に数瞬だけ間をおいてから口を開く。
「いや、良い。」
「宜しいのですか?」
「ああ、何処の差し金か分からないが、こんな所まで来るぐらいだ。何か裏がある可能性がある、深追いする必要はない。・・・それに余り騒ぎすぎて【犬】が出できたら厄介だ。」
「それでは・・・・」
「ああ、撤退だ。長居する必要はない。」
部下が直ぐ様撤退の意思を全体に伝え、速やかに撤収作業に移る。
撤収作業と言っても今回は取引だけ、痕跡なども無い事から後は各々が車に乗るだけ。
後数分後にはここをおさらばしている事だろう、何も妨害が無ければ、だが。
「ええ〜!?もう帰っちゃうんですか?色々とお話し聞きたかったのに〜!」
この空間には場違いな程の明るい声。
コツコツといやに響く足音と共に堂々と姿を表すのは自らの絶対の自信からくるものか否か、何方にせよその声の主に一切の気負いなどは見られなかった。
「おや、【アークス】幹部様のご登場か。こんな所で珍しい御仁と会うものだ。普通では中々出会う事は出来ない、これも日頃の行いが良いからかな?」
「そ~ですね。日頃の活動の賜物じゃないですか?」
お互いに軽口を叩きながら、男は視界の端で逃走経路を確認し、芝崎は逃さないように一定の距離を置いて注意深く男の行動を観察する。
隙の無い芝崎の姿に薄い笑いを浮かべながら、男は一歩後退した。
「人聞きの悪い事を言う。私は何時も堂々と生きているつもりなのだがね?」
「だから尚悪いんでしょう、よっ!!」
「っ!?後ろかっ!!」
ガキィッ!!と鈍い音が盾にした右腕から鳴り、僅かに骨が軋む。
初撃を回避した事で生まれた隙を逃さず、袖に隠していたナイフを芝崎に向かって振るうが、其処に既に芝崎の姿は無く、その姿は既に手の届かぬ距離にある。
「成る程。噂には聞いていたが実に厄介だ。それが君の能力、あるべき状態にする力か。」
「正解。私の能力は【歪な完璧主義】正確にはあるべき正しい状態にする、だけどね。ちなみに今のは貴方を攻撃する為に、一番当てやすい私がいるべき正しい場所に移動したの。お分かり?」
「成る程、実に小賢しい。」
「アハッ、褒め言葉ですか?それ。」
「とうとう追い詰めたな。チョロチョロと逃げ回りやがって、此処から無事に逃がす訳無いだろうが。」
「-------ですよね〜。因みに此の後、俺がどうなるのかって聞いても・・・・」
「明日の朝日が拝めると良いな。」
「絶望しか無いな、こん畜生!!??」
ナイフを片手に雪崩込むように襲い掛かって来る男達を前に、鼓動は冷静に己の能力を発動する。
パラパラパラ--------------
視界から色が薄まっていき男達の動作が緩慢になり、次第に動きを止めてゆっくりと逆再生のように全てが巻き戻る。
退院後、改めて定義した俺の能力の能力は既に起こった出来事を繰り返す能力。
やり直すのでは無く、繰り返すこれがこの能力の根幹だ。
俺の能力は発動すると、紙をまくるような音と共に逆再生するように時間を巻き戻す。
この時俺はその場面を俯瞰的に見渡す事が出来、相手は時間が巻き戻った事に気付かない。
これだけならば時間に関わる能力のように見えるが、そこで俺は一つの疑問を抱いた。
唯巻き戻しだけで、果たして敵の攻撃をああも簡単に避けれるものなのか?と。
これがそこら辺にいる野良の能力者ならば良い、だが俺はこの裏世界でも【怪物】と恐れられている西条嘉邦にも能力を使ったのだ。
あの西条が避けようとする俺を見て攻撃の起動を変えない、なんてどう考えても不自然過ぎる。
だからこそ俺はこう考えた、変えなかったんじゃなく、変えられなかったのだとしたら?
詰まり未来で俺が見てきた一連の動作は巻き戻っても変わる事はなく、必ずその通りに動く事を強制するのではないか?
答えはご覧の通りだ。
何処にどんな攻撃が来るかが分かれば、俺でもある程度対処は出来る。
刺突を潜り抜け、蹴りをスピードが乗る前に抑え、パンチを避け、相手どおしの動きをぶつけさせる。
よし、いい感じだ。
俺でも戦える。このまま何とか押し切って-------
「ッ!?」
ヒュンッという風切り音と共に、鈍い光が頬の直ぐ側を横切った。
「チッ!・・・・感が良いな。」
「っ危っぶねぇ。」
真っ直ぐ飛んできたナイフが避けた鼓動の先にある壁に当たり鋭い音を立てた。
慌てて背後を確認すると其処にはもう目前まで迫るナイフが、-------不味い、--------------避けれない。
「・・・・だが、二本目は無理だ、」
パラ、パラパラパラ--------------
「っ!?」
ナイフを避けた姿勢のまま身を沈める。
二度目の輝きが通り抜けたの確認して振り返る。
其処には苦々しい顔をしたリーダー格の男が、ナイフを玩びながら立っている。
ナイフを投げたのか?クソッ、油断した。
能力を発動しなかったら今頃、眼にその武骨なナイフが突き立っていた。
「感が良い、なんてレベルじゃないな。感知系、それとも未来視か?まぁどっちも眉唾もんだが、殺ることに変わりは無ぇわな。」
「・・・・と、取り逃がしてくれても、良いんですよ?」
「馬鹿言うなや。見物料だ、その命、ここに置いてけよ?」
「グッ!?ッ!!」
振り切った腕が空を切る。
狙っていた対象は其処に無く、ジリジリと此方の体力が削られているのが分かった。
芝崎愛花は既に手の届かない安全圏から、油断無く此方を見据えている。
軽い態度とは裏腹に堅実な攻撃をして来る芝崎に、男は舌を巻く。
少しでも慢心があればまだ遣り様はあるが、見る限りその兆候もない。
これはお手上げだ、このまま時間をかけても彼女の応援が来るか、私が彼女に敗北して捕まるかは時間の問題でしかない。
「全く、厄介ですね。攻撃的な派手さはないが、常に優位な立ち位置に立って攻撃してくる。したい事が何も出来ないとは、こうもやり辛いものですか。」
男の愚痴のような言葉に芝崎は、飽く迄も冷静に投降を促す。
簡単に捕まえられるのならそれに越したことは無い、無理をして此方が怪我をするのはナンセンスだ。
「さっさと降参してくれて良いんですよ〜?私は余り汗をかきたくないし、貴方はこれ以上疲れない、winwinじゃないですか。」
「それが出来たら苦労は無いんですがね。だが、やはり私では荷が重いようだ。」
案外あっさりと荷が重いと認めた事に芝崎は顔には出さないが、驚きを感じていた。
こういう取引をする奴は大抵往生際が悪いのが定番だったからだ。
更にそれに応じてやや傲慢な傾向があり、自分と他人の優劣を素直に認める事など非常に珍しい。
妙な胸騒ぎを感じながら、芝崎は真意を探るように口を開く。
「あら、投降ですか?賢い選択ですよ?」
「まさか。そこまで潔ければこんな事はしていない。・・・・という訳で、後は頼みました。」
男の掛け声の後にタッ、と駆けるような音が背後から鳴る。
伏兵!?不味い、挟まれた。
一瞬にして己の失態を悟るが、芝崎も伊達に【アークス】の幹部をしている訳では無い。
不意をつかれた形になったがしっかりと対応する。
【歪な完璧主義】を即座に発動し、間に挟まれた位置から離脱すると共に奇襲犯に対して優位を取る。
(これで一先ずは大丈夫。後は伏兵に一撃入れて、可能ならば即座に離脱-------)
迅速な判断に行動、それをあの一瞬で行った芝崎は流石の一言だ。
然しその直後に大きなミスをしてしまう。
能力で移動して直ぐ、芝崎は予想外のものを視界に収め硬直してしまったのだ。
能力で移動してから初めて視界に収めた伏兵はフードを目深に被っており、それは良い。
伏兵がどの様な容姿だろうと攻撃するのみだ。
問題なのは伏兵のその拳が、既に芝崎の方へと繰り出されていたという事。
(嘘、あの一瞬で?私が能力を発動してから既に動いていた?そんな事-------)
芝崎の思考はそこで途切れる。
それはこの戦闘が始まって初めて、芝崎に一撃が入った瞬間だった。
「ッ゙!?クッ・・・・痛っ!」
床に叩きつけられる痛みと、身体の芯をとらえられた一撃に思わずうめき声が出てしまうが、流石にそれでやられてしまう程ヤワでは無い。
即座に身体を起こし追撃に備えるが、相手は追撃をせず此方を見据えるだけ。
「ククク、貴方ならばやはり大丈夫のようですね。彼女は私には荷が重い、後は頼みます。宜しいですね?」
男が不気味に笑い、踵を返す。
成る程追い込まれているのに妙に余裕があったのはそういう事か、と納得がいく。
大方金で雇った能力者といった所か。
未だ余裕を持ってその様子を見る芝崎は、既に取引の妨害と言う任務を遂行している。
ならばせめて、この伏兵の正体だけでも暴いてから引きたいというのが正直な所だ。
然しその企みは直ぐに無に帰すことになる。
徐ろにその伏兵は目深に被っていたフードを取り外す。
「・・・・頼みましたよ、【空欄】幹部、緋美狗飛鳥さん。」




