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【書籍化】空想力学少女とぼくの中二病 ~転校初日にキスした美少女は、アオハル大好きな人魚姫でした~【発売中】  作者: 雪車町地蔵
第三章 ゆがんだ世界の隅っこで、君は今日も笑ってる

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第二話 そして世界は発狂を始める

「やれやれ。彼にも困ったものだね。もう少し、感情を制御するすべを見つけてほしいところだよ」


 緊張を解きほぐすように、大きく息をついた太上先生が、こちらを向いた。

 温和な表情。

 いつも通りの、先生。


「太上老君、ぼくは」

「ああ、御室戸くんのお父さんとは懇意にしていてね、後継人のようなことをやっているんだ。だから、彼も僕の言うことには耳を傾けてくれる。それと、君はまず、ナイフをしまったほうがいい。ひとを傷つけない刃でも、勘違いされては困るだろう?」

「…………」


 言われるまで、ぼくは気がつけなかった。

 鉱石ナイフを持った手が硬直していて、離すこともできなくなっていたのだ。


「そうだ……友! おまえは、大丈夫だった、か――」


 振り返って、言葉を失う。

 大切な幼馴染みは、見たこともないような顔をしていた。

 いまにも泣き出しそうな、もしくは怒り出しそうな、どちらでもあって、どちらともいえない左右非対称な顔。

 なにかを悔やんでいるようにも、恨んでいるようにも見えて、けれど、その表情は、すぐにクシャリと崩れて。


「……ごめんね、いまひとつ」

「友!」


 夜色の瞳から一条のしずくがこぼれ落ちる寸前。彼女は身を翻し、歩き出した。

 慌てて立ち上がり、あとに追いすがろうとすると、肩に手を置かれた。

 太上老君が、無言で首を振っていた。


「先生……」

「僕に任せておいてくれないか。生徒の心のケアも、教員の務めだ。それに、君は」


 彼は、そっとぼくの隣を見やる。

 澪標乙姫が、なにかを抱きしめながら、震えていた。


「乙姫……」

「真一くん、あのね……私ね、これを、お菓子を買って。みんなで……みんなで食べたら、元気が出るんじゃないかなって。甘いものは、笑顔になれるから――」


 一歩近寄ってくる彼女。

 太上先生はうなずき、ぼくの肩から手を離す。


「いまは、澪標くんのことを頼むよ、海士野くん。澪標くんも、しっかりね」


 彼は乙姫の肩を二度叩いた。

 びくりと、少女の肩が跳ねる。


「あっと……すまない。セクハラだった。ともかく、汀渚くんのことは僕がやっておく。君は君にしかできないことをやってほしい。では、急ぐから」


 言うなり、太上老君は友が消えた方向へと走り出す。

 あとには、ぼくと乙姫だけが残されて。


「えっと……乙姫、変なところ見せて、悪かったな」

「…………」

「なに、抱いてるんだ? ああ、さっき買った〝好きなもの〟か。でも、そんなに強く抱きしめたら、形が崩れて」

「……くるよ」


 え?


「くるよ」


 うつろなまなざしで、乙姫は島の外を――海の果ての地平線を見つめている。


「来るって」


 なにが?

 そう問おうとしたときだった。


 光が、陰った。


 彼女を中心に、影が、闇が、暗黒が。

 世界中から黒色が集まるようにして凝っていく。


 この光景には、見覚えがあった。

 彼女にうろこができるときと同じ、空想力学の作用。

 けれど、これは。

 集まってくるこの〝黒色〟は――


「虹色あくまが、やってくる」


 黒色が、凝縮する。

 闇色のうろこができあがる。

 そして、



 ――世界が、静止した。


§§


 耳の痛くなるような静寂。

 色鮮やかだった世界のすべてが、モノクロームに染まる。

 雑踏を行き交う人々も。

 ぼくらの騒ぎを注視していた人々も。

 波の飛沫も、風の歌声も。

 凍り付いたように、動きを止める。


 寒い。

 吐く息が、真夏だというのに、白い。


 雲の運行も、空の日差しさえも静止した世界で、ぼくと。

 ぼくと乙姫だけが、色彩を保っていた。


「な――なにが起こっているんだ、乙姫」


 たまらずに、少女へと呼びかけるが、答えはない。

 彼女はただまっすぐ、海を睨み付けている。


 メインストリートから海へは、一直線の道のりが続いている。

 だから黒色の海は、よく見通すことができた。

 そうして遮蔽物がなかったからこそ、ぼくは見てしまった。

 直視してしまったんだ。


 海原が、砕け散った。


 モーゼが起こした奇跡のように。黒海が、左右に割れていく。

 そうして、海底から上昇する発光体があった。


 プリズム。

 最初に想像したのはそれだ。

 周囲から光を吸い取って、七色のスペクトラムを放出する泡立つ結晶体。

 海を割って現れたのは、無数の腕を持つ、虹色の結晶体だった。


「あれは」

「あれは、虹色あくま」


 呆然とするぼくに――いや、だれにともなく、乙姫は告げる。


「想い出の淀みが、世界のゆがみとなって現れたもの。この世界を定義する、限界と矛盾(パラドックス)、狂気の具現、既にいないモノの残滓」

「おまえ、なにを言って」

「行かなきゃ」


 彼女は、ちっとも説明してくれなかった。

 それどころか、海へと向かって歩き出す。


 待てよ。

 そんな声をかけようとしたときだった。


『RiiiZeZiiiiiiiiii――!』


 虹色の結晶体が、吠え声を上げた。

 いや、それはほとんど、歌といってもよかった。

 美しく、だからこそ恐ろしい旋律が、島中に響き渡る。

 結晶体の内部に満ちた液体かなにかが、目映く泡立ち、キラキラと、キラキラと輝く。


 海より完全に浮上した虹色が、全身に帯びる無数の腕のひとつを、海岸線へとたたきつけた。

 ばっと吹き上がる大量の土砂。

 轟々と立ちこめる土煙。


 冗談じゃない、あんなやつのところに乙姫を行かせるわけにはいかない!


 ぼくは、反射的に立ち上がっていた。

 忌部のことはあんなにも恐れていたのに、いまはそれすらも忘れて。

 走る――走れない。


 ……走ることは、できない。それだけは許されない。


 だから、早足に乙姫を追う。

 停止した人々をかいくぐって、メインストリートを抜けて。

 運がいいことに、乙姫はまだ、そう遠くには行っていなかった。


「おい、乙姫、しっかりしろ!」


 なんとか追いつき、彼女の肩をつかむ。

 だが、


「熱っつ!?」


 彼女の全身は、燃えるような熱を有していた。

 肩からは、陽炎すら立ち上っている。

 その熱の所為だろうか、服が、あの涼しげな色合いの服が、燃え始める。

 あっという間に、上着は焼け落ちて、肩やへそが露出する。


 そこで、ぼくは初めて気がついた。

 彼女の全身の、あちらこちらにあるうろこ――想い出の結晶。

 そのうちのひとつが、真っ黒に変色していることに。


「乙姫、そのうろこは」

「……空想力学は、想い出の科学。それは、私が忘れたくない想い出を――そして、忘れられない想い出を、強制的に記憶する。よい想い出でも……悪い想い出でも」


 ――まさか。

 さっきのことか?

 ぼくが、忌部に対して臆したから? あんな険悪なムードを作ってしまったから?

 だから彼女に黒い想い出が集まって。


 だとしたら、ぼくはとんだ馬鹿野郎だ。

 ヒーロー失格以前に、世界の敵じゃないか!


「そうじゃないよ。そうじゃないんだよ、真一くん」


 乙姫が、微笑んだ。

 少しだけ悲しそうに、諦めてしまったように。


「想い出は一期一会、ほんとはね、いいも悪いもないんだよ。でも、世界は限界に達しているから」


 彼女は歩みを止めない。

 まっすぐに、未だ暴れ続けている虹色の怪物へと向かっていく。


 土煙は晴れた、怪物は砂浜を横断し、海に面する丘陵地に至ろうとしていた。

 そこには、空へとまっすぐ伸びる灯台があって。


『EeeZeeeBuLeeZuuuuuu――!』


 振り下ろされる巨腕。

 それが、灯台を引き裂く。


 さらに、辺り一面を、見境なく壊す。

 不思議なことが起きた。


 虹色の腕に引き裂かれた灯台は、瓦解するようなことはなかった。

 ただ、まるで空間そのものが破り取られてしまったように、奇妙な〝傷〟になって。

 傷痕が、残ってしまって。


「……あんなふうにされるとね、もう元に戻らなくなっちゃうんだ。ひとがそんなことになったらたいへんだし、この島が壊れるのも、私はすごく嫌だなぁ。外の世界が虚無の海に沈んでしまって、今はこの島しか残ってない。だから、やっぱり行かなきゃ」

「行かなきゃじゃねーよバカ! あんなバケモノ相手になにができるんだよ!」

「ねぇ、覚えてる?」


 こんなときに、なにを。


「私が死ねば、世界は元通りになるんだよ?」

「――――」


 彼女は、笑っていた。

 ひとが生きている間にしていい笑顔じゃなかった。

 死を悟ったものだけが浮かべる、凄絶な覚悟そのものが形になった笑顔だった。


「ふ――」


 ぼくは立ち止まる。

 もう、バケモノまでの距離は、それほど離れていない。

 なのに、彼女は歩き続ける。

 ぼくは、追いつけない。追いすがれない。


「ふざけんなよ……っ!」


 叫んでいた。

 血が出るほど両手を握りしめて、ボロボロと悔し涙を流しながら。


 どうすればいい、海士野真一?

 いますぐ彼女の前に飛び出して、バケモノの注意を引くか?

 それで? それでどうなる?

 おまえにはあれをなんとかする力が、理不尽にあらがう力があるのか?


 ――ない。


 じゃあ、せめて、走り回っておとりにでもなるか?


 ――ぼくは二度と走らない。


 だったら、この場から逃げ出すか?


 ――そんなこと、できるわけがない。


 勇気を振り絞り、知恵をひねり出し、不思議なパワーに覚醒して戦うことも、ただの中二病患者には荷が重い。

 夢も希望もありはしない。

 誰も彼女を救えない。


「乙姫……!」


 だから。

 結局ぼくにできたのは、彼女の名前を呼ぶことだけで。

 彼女は。


「うん。いまはこれでいいんだよ、真一くん。きみは」


 くるりとこちらを振り返り、優しい顔で笑った。


『BeeZiiiiiiii』


 虹色が咆哮する。

 巨大な腕が、空からまっすぐに降り注ぐ。

 そして。


「おとひめぇえええええええええええええええええ!!」


 そして――



「きみはいつか、きっとヒーローになってね」



 巨大質量が、彼女を押しつぶした。

 そして少女は。

 人魚姫は、また死んだのだった。



 ……楽しい日々は、ずっと続くのだと思っていた。

 この日常は、いつまでも終わらないのだと勝手に思っていた。

 けれどこの日、それが間違いだったことをぼくは、これ以上なく思い知った――


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