ツバサとの出会い①
(……なんの意味があんだろ、これ……)
綾人の人生で、初めての入院生活。
誰にとってもそうであるように、綾人にとっても、やはりそれは退屈で、気の滅入るものだった。
(優しい聞き上手で、おしゃれで清潔感があって仕事ができてモテない奴がいるなら、教えて欲しいんだけど……)
暇つぶしにと差し入れてもらった雑誌を、休憩室で読みふける綾人は、「モテる男はここが違う!」なる特集記事に、そんな感想を抱いていた。
世の中は広く、ときに残酷なもの。そういう男だって、いないわけではないのだ。
でも、その場合に間違いなく欠けているだろう最後のピース、すなわち容姿の点において、綾人は恵まれていた。
177cmの、引き締まった程良い長身に、切れ長の目。それ以外は、特段目立つパーツを持っているわけではなかったが、逆にいえば、ほとんどの異性から、容姿の点で、少なくとも減点されることはない。
だから、綾人がそんな風に思ってしまうのも、無理はなかった。
「性格別フローチャート! あなたを動物に例えると?」
( Yes→Yes→No→Yes→No……君はゾウだぞう、か。つまんないな)
繰り返しになるが、入院生活は、気がふさぐ。
それに綾人の場合、特別な事情もある。
今から約二か月前、昨年の十一月の終わりに、綾人は階段からの転落事故によって頭部を強打し、つい先日まで、一カ月半の人事不省に陥っていた。
奇跡的に意識を回復したが、覚醒後の綾人には、大きな変化が起こっていた。
記憶が、自分のものとして感じられないのである。
記憶を無くしたのではない。それが自分のことだという実感が、完全に喪失してしまっているのだ。
いうなれば、長い映画。起こった出来事も、主人公の喜怒哀楽も、確かに見てきた。ただ、それを自分のものと認識できない。
医師によれば、精神医学でいうところの、解離性障害。その中の、離人・現実感喪失症候群の一種ではないか、とのことだったが、綾人にはどうでもいいことだった。
確かに、その結果として、人格に多少の変化が起こったようだ。ただ、別に綾人本人としては、そのことになんらの苦痛も不便も感じてはいなかったのだ。
病名、などという言い方をされること自体に、違和感を感じているくらいである。
だから、自分が気にもしていない自分の症状について、なぜかとても心配そうに干渉してくる家族。
どこか実験室の動物を見るような目で、自分に接する精神科の医師たち。
そんな周囲の態度には、少々うんざりしていた。
「ゾウのあなたは頭もよく、頼りがいのある人です。仲間思いで、周囲の期待にも応えようと努力します。でもその分、自分に重いプレッシャーをかけてしまいがち」
(性格診断で、頭の良さは分からないだろ)
そんなわけで、別にあまのじゃくではないはずの綾人だったが、なんとなく、雑誌の記事にいちいち突っ込みを入れながら、ページをめくっていたのだ。
『……面白いか、そんなもん?』
そんな綾人の隣に、いつの間にか一人の男が立っていた。
(危ない人かな……)
この場合、綾人の感性は、真っ当と評価されるもの。
病院だって、色んな人がいる。入院患者に限っても、全員が、いかにも病人や怪我人然とした風貌でいるわけじゃない。
それでも、アッシュ系の肩まで伸びるカールした金髪に、同じような色の眉をし、サングラスをかけている患者など、見たことが無い。点滴スタンドを持って歩いていなければ、患者などとは絶対に思わないだろう。
最初、黒のロングコートでも着ているのかと思ったが、よく見ると、それは珍しい真っ黒の、入院用のガウンであるようだった。
「まあ、面白いですよ」
『そうか……』
サングラスのブリッジの上、ぎりぎりみえるかどうかの眉の間に、しわが寄る。
初めて会った人間で、まだ、十五文字も言葉を発していない。
それなのに、なんとなく綾人には、「お前には失望した」などという幻聴が聞こえた気がした。
だからムキになった、というのではない。もともと用意していた言葉を、綾人は続けた。
「反面教師として」
また、眉間にしわが寄った。
綾人の人生に、大きな影響を与えることになる、二人の師。
その一人、ツバサとの出会いだった。