裏路地
第12章:勇者なんて怖くないんだ。
--『裏路地』--
あらすじ:空き地で吹き飛ばされた。
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早朝の露に濡れた爽やかな空気に混じって、スープを温める匂いに香ばしいパンの焼ける匂が漂ってくる。早起きの人の朝ご飯の準備の音がかすかに聞こえてくる中、ジルに手を引かれたボクが薄暗い裏路地に辿り着くと、朝の光が差し込んだ。
「懐かしいなぁ。」
ジルは人間の姿に戻ったから、いつも右手にあったゴツゴツした木の手触りは無くなって柔らかい女の子の手の感触がそこにある。ジルが最後に出会った場所を見たいというから、ここに来たけれど、ボクの心は迷ったまままだ。
「そうだね。」
ジルと出会ったこの場所でボクはずっと占い師の仕事をしていた。あの頃は、勇者になって注目を集めるとは思わなかったし、あんな大冒険をするなんて思いもしなかった。
夢や希望なんて考える暇もない。ただ、その日の食べる物だけを心配をしていて、それすらも儘ならなくて四苦八苦していた。ジルと出会わなかったら、宮廷占い師のお婆さんがジルをアンクスに預けなかったら、ボクは死ぬまでこの場所に座り続けていたかもしれない。
運が悪ければ、裏路地の隅で冷たくなっていてもおかしくなかった。
そんなボクだったのに、今では王都の、いやニシジオリの国中の人がボクを知っていて、街を歩けば色々な人に声をかけられるようになってしまった。探し物の依頼をしてくる人もいれば、ただ握手を求めて来るだけの人もいるけれど、人の多い時間に歩くのが少し大変なくらいになったんだ。
勇者になったボクに王様は王宮の一室をくれて、勇者アンクスに戦士ライダルが付けられたように、ボクが困らないようにと一人の戦士様を付けてくれた。王妃様も侍女としてカナンナさんを付けてくれている。もっとも、相変わらずサボってばかりだけど。
王女様もまた朗読の仕事をしてくれないかと頼んでくださるし、宰相のドゴ様からも図書館に戻って欲しいと依頼がきている。そして、冒険者ギルドのマッテーナさんからも特別冒険者顧問の立場を貰っていて、運営を手伝わないかと言われている。
みんなに望まれているけれど、ボクは王都を出ることにした。
だってボクなんかに勇者が務まるとは思えないもの。
剣だって扱えないし、魔獣と戦える気もしない。もちろん勇気だって無いよ。勇者の力が体の中に入ってきてから、力は強くなっているし足も速くなっている。だけど、それを扱うボクが頼りなくて、剣を振れば地面にめり込むし、走れば足が絡まって地面に転ぶことになる。
勇者になったからと言って、訓練をしなければアンクスみたいに自在に力を振るえないんだ。
勇者の力を無くすために、魔王が人間の誤解を解きに来てくれたり、ボクが色々な人に負け続けたりと色々と努力はしたけれど、結局、勇者の力は弱くならなかった。ボクの頭に響いてくる魔王への憎しみは減ったから、魔王の作戦の一部は成功しているけどね。
魔王は力で解決するだけが勇者の力の有り様で無いのかもしれないと言っていた。そのために、祈りを通じてみんなの願いを聞くのではないかと。
最初は村を魔獣から守るために勇者の力が生まれたけど、魔獣はあちこちの村や畑を襲うから勇者の力をさらに強くする必要があった。
そのために昔の偉い人達はひとつの象徴を利用した。おとぎ話に出てくる魔王と言う象徴を。象徴を魔王に絞った方がみんなに解りやすくて、理解してもらえれば祈ってもらえる。そうして、魔王を悪者にしてパレードやパーティをして勇者のために祈るように仕向けていた。
そうしているうちに魔王を恨む祈りばかりが集まってしまって、今のように呪いのような言葉が多く聞こえるようになってしまったんじゃないかと、魔王は考察してくれた。
だけど、魔獣と争わなくても平和に暮らせるようになれれば一番だよね。魔王と仲良くなれたように。みんなも戦いを望んでいるわけじゃ無いと思う。戦えば誰かが傷つくかも知れないんだ。
勇者の力はみんなの願い、魔王の脅威を争わずに無くしたボクを認めた。そして、そんなボクにみんなは期待をしているんじゃないかと。
ボクならそのうち魔獣とも仲良く暮らせる未来を作れるかもしれないと魔王は笑っていたけれど、どうやったらそんな未来が作れるのか考える糸口さえ見つからない。
勇者の力がボクから離れない理由は何となく分ったけれど、だからって祈りの言葉が頭に響いてくるのはうんざりしている。王宮の廊下を歩いている途中に不意に頭の中に聞こえてくるんだ。
祈りの言葉が聞こえるのは一方的で、ジルの『小さな内緒話』みたいに相手の様子を見ながら会話をしてくれるような優しさはない。寝ている時に聞こえたりして泥棒を疑ってしまったりね。
なので、ボクは魔王が教えてくれた最後の手段を取ることにした。
ボクがみんなの前からいなくなれば、みんなはそのうちボクを忘れてくれる。
ボクを忘れれば祈ることも無くなるよね。
もしかすると、古の勇者グルコマ様も魔族の子供を連れていたからだけじゃなくて、この頭に響いてくる祈りの言葉から逃げるためにカプリオの村を拓いたのかもしれない。魔王はそれを知っていたのかも。
その魔王もすでに白い姫様を連れて王都から去っていた。王様から良い返事は貰えなかったみたいだけど、樹王から魔王が戻らないとどうにもならないような事件が起きたと連絡が来たらしい。だから王様の答えを待っている時間は無くなってしまったんだ。
魔王が帰ってからは、ボクが勇者の力を扱えるようになるようにと訓練の時間が増やされてしまった。暇を持て余したヴァロアは酒場に歌いに行ったまま戻らなくなったし、アグドはツルガル国に報告すると言って去ってしまった。
そして、勇者の力を失ったアンクスも旅立った。
この間の空き地でのやり取りの通り、アンクスは色々な人に恨みを買っているようで、勇者の力を失った事で命まで狙われることになったみたいだ。
なので、王都を出て誰も居ないカプリオの村に行ってのんびりと暮らす事にしたそうだ。魔王の森の中にある勇者グルコマ様の拓いた村なら滅多に人も来ない。あの村の荒れた畑を耕して暮らすだと、目を輝かせて言っていた。
戦士ライダルと魔法使いウルセブもアンクスに付き合ってカプリオの村へ行ってしまった。ライダルは最後までアンクスの面倒を見るのが仕事だと言っていたし、ウルセブは『魔脈の澱』を研究して新しい魔法を作るんだと意気込んでいた。
「ほんとうに良いの?」
ジルを巻き込んでも良いのかな。
ボクの行き先はアンクスが先に行っているカプリオの村のつもりだ。勇者グルコマ様も勇者アンクスもそうだったように、ボクもあの村に行った方が良い気がする。
あそこなら魔王の森と魔獣に阻まれて普通の人は来られないから、アンクス達や樹王や魔樹の人たちの手伝いをしながらカプリオとのんびりと暮らしていれば、そのうちボクの事なんて忘れてくれる。そうすれば祈る人も減るよね。
最初に相談したのはボクだけど、やっぱりジルを連れて行くべきじゃないかもしれないと不安になる。ジルは王妃様から正式な侍女にならないかと打診されているんだ。ジルの『小さな内緒話』は王妃様の役にたつので、高いお給料を提示されて是非にと乞われている。
王都を出てカプリオの村に行ってしまえば、ボクみたいな人間に部屋を与えてくれたり人を付けてくれたり仕事をくれたりと、色々と良くしてくれる王様や王妃様を裏切ることになる。
だからこっそりと王宮を出たんだ。
それに、ジルは賑やかな場所の方が好きなんだよね。むかし、木の枝の姿で動けないまま、何十年と谷底に独りでいた恐怖が蘇ってくるから独りで暗い場所にいるのが嫌なのだよね。
だけど、ジルの好む王都の賑やかさに比べればカプリオの村は寂しい。
「ああ、もちろんさ相棒。さあ行こうぜ!」
ジルは躊躇いも無くボクの手を引いて朝日に向かって歩き出した。ボクは薄暗い裏路地が明るくなっていく様子を胸に刻む。王様や王妃様を裏切るんだから、もうこの街にも、この路地にも戻ってくる事もないと思うんだ。
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次回:冒険者ギルドの『見送り』




