一振り
第12章:勇者なんて怖くないんだ。
--『一振り』--
あらすじ:『勇者の剣』と『愚者の剣』が白い火花を散らして交差した。
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『勇者の剣』とギリギリと火花を散らして交差する『愚者の剣』を、ボクは歯を食いしばって両手で支える。じわじわと『愚者の剣』の刃がボクに迫ってきているから何かを考えている余裕なんてない。死にたくない思いだけで滑る足を踏ん張った。
(負けるなよ!相棒!)
「頑張って!ヒョーリ!」
『愚者の剣』を両手で支えるために左手で持っていた木の枝の姿のジルを手放すしか無かった。けど、ジルは地面へと落ちながらも応援してくれて、ズルズルと滑るボクの体を白い姫様が支えてくれた。
ジルが地面に落ちてカランと音を立てた時、『勇者の剣』から力が抜けた。
ソンドシタ様の緑の膜で勇者アンクスの力が凄く弱まっていたんだと思うけれど、彼の体重が乗った剣を押し返すのは大変だった。コロコロとジルが転がっていく先にアンクスが着地した。
「くそっ!」
跳ね返されたアンクスが三度目の悪態を吐く。できればそのまま引き下がって欲しかったけど、彼は寸分の間も置かずに地面を蹴ろうとした。
「させねえよ。」
アンクスの足元に転がっていた木の枝が人の形に変わった。
いやいやいや、人の姿を見せたく無いってずっと言っていたよね。せっかく苦労してソンドシタ様にペンダントを貰って樹王に『魔樹の琥珀』を貰って『木になる指輪』作ったのに、ボクを部屋の外に追い出してまで人間の姿を隠していたよね。
こんな時に人間の姿に戻らなくても良いじゃない。
いや、こんな時だからこそ、人間の姿に戻ってくれたんだ。
木の枝から姿を現したのは、短いスカートを翻した女の子。
ジル。だよね…。
「なっ!」
とつぜん足元から出てきた人影にアンクスは目を見張る。ボクに切りかかろうと足に力を溜めていた彼は止まる事ができずに姿勢を崩している。ジルはアンクスの足元から胸に肉薄して、彼の顎に肘を伸ばした。
ごちぃん。
ジルの肘打ちが決まってアンクスが目を回す。『勇者の剣』を構えなおして地面を蹴ろうとしていた彼はボクの前でたたらを踏んだ。
「今だ!ヒョーリ!!」
『小さな内緒話』を知られるのも厭わずに赤い魔晶石を使った時は、ジルの考えに気付けずに抑え込めるチャンスを逃してしまったんだ。今度は間違えられない。
ボクは『愚者の剣』を手放して、たたらを踏むアンクスに拳を向けた。別に彼に恨みがあるわけじゃない。魔王が戻ってくるまでの間、彼に大人しくしてもらえれば良い。たたらを踏むアンクスを殴って、倒れ込む彼に馬乗りになれば抑えられる。
ボクの拳はまっすぐに宙を行き、そしてアンクスの頬に…。
すかっ。
いやいやいや、ここはカッコよく決める所だよね。ヴァロアとアグドがライダルとウルセブを止めてくれて、ソンドシタ様が守ってくれて、姫様が支えてくれる。ジルが最後の御膳立てをしてくれたから、アンクスは姿勢を崩している。
これ以上の好条件はもう訪れる事はないよね。これを外したらアンクスに勝つ手段なんてもう無いよね。
けど、ボクの拳は虚しくアンクスの頬を逸れて宙に浮いた。いや、アンクスが足掻いて体をずらしたのかもしれない。
アンクスがニヤリと笑った気がした。
彼の剣はまだ手を離れていなくて、避けた勢いのまま振るおうと足掻いている。だけど、ボクは『愚者の剣』を手放してしまった。アンクスが剣を振ることができたなら、ボクには身を守る術がない。ボクは我武者羅に拳を振るった勢いを変えて、アンクスの頭に自分の頭をぶつけた。
ゴン。
音といっしょに目から火花が散った。目の前が真っ白になって涙がにじみ、足元にあった地面の感覚が無くなった。ふわりと空に浮いた気がして、眩しい太陽を見上げた気がして、そして、ボクは頭の後ろから地面に叩きつけられた。
「ヒョーリ!!」
ジルの声が遠くに聞こえる。耳までおかしくなったみたいだ。駆け寄ってくるジルの姿が霞んで見える。
「…じ…る…。」
痺れた舌を辛うじて動かして、ずっと助けてくれた相棒を見る。初めて見るジルの顔をもっと良く見たくて体を起こしたいのだけど、腕が上手く動かない。
「ああ、良かった。心配したぜ。」
心配そうに覗き込む影は太陽を背負っていて良く見えない。ぼんやりと歪んで初めて見る女の子は気の強そうな濃い紫色の瞳で覗き込んでいた。
「ちくしょう。なんでうまくいかねえかなあ。」
不意に耳元で聞こえたアンクスの声にギョッとした。目だけを動かして声の方を見ると、ボクの頭のすぐ隣に彼が寝ていた。ボクと同じように頭をぶつけた時の衝撃で出たものなのか、ボクなんかにやられて悔しかったのか頬に涙の跡がある。
「魔王が良いヤツでも、悪いヤツでも関係なかったんだ。魔王を倒せれば終われたんだ。オレはただ、さっさとこのおかしな事を終わらせて、畑仕事に戻りたかっただけなんだよ。」
顔を歪ませて嘆くアンクスの首には、ジルの逆手に持った短剣が当てられていた。
石の砦が魔獣の群れに襲われた夜。たくさんの魔獣を退けたあとに独りもくもくと畑を耕していた彼の姿を思い出した。あの時は荒れた畑を直している姿に感心しただけだったけど、彼には何か違う思いがあったのかもしれない。
「どうせ同じように振るなら、オレは剣よりクワが良かったんだ。」
同じ一振りでも剣とクワでは意味が違う。剣は相手を傷つけるけれど、クワなら土を掘り起こして種を芽吹かせる事ができる。なのに、剣での一振りは多くの人に求められるのに、クワの一振りは見向きもされない。と、うわ言のようにアンクスは呟いていた。
アンクスが、『耕す一振り』を『破邪の千刃』と名前を変えて呼んでいたのも、格好をつけるためじゃ無くて、『耕す一振り』の名前を血で汚さないようにしたかったからかもしれない。
「悪いけど、少し寝ていてくれ。オマエが本気で抵抗したらオレには止められねえ。」
ジルは短剣をくるりと回して順手に持つと短剣の柄がアンクスの鳩尾に真っ直ぐに落とした。「げふっ」とアンクスの声が喉から漏れると、彼は白目を剥いて泡を吹いた。
いやいやいや、普通の女の子が的確に鳩尾を突いて気絶させるなんてできないよね。びっくりして体を強張らせると、ジルが慌てて取り繕ったように笑った。
「少し練習したことがあったんだよ。」
いやいやいや、普通の女の子は男の鳩尾を正確に突く練習なんてしないよね。そう言えば、『木になる指輪』を手に入れた経緯も聞いたことが無かったよ。そう言えば、誰かに『盗賊の棒』とか呼ばれた気がする。でも。
「ありがとう。ジル。」
「良いってことよ。」
「いつも一緒にいてくれて。」
ジルが人間の姿に戻ったらちゃんとお礼を言いたいと思っていた。こんな地面に寝転んだ情けない格好で言うとは思っていなかったけど。太陽に背を向けたジルの顔は影になって良く見えないけれど、心なしか光が透けて見えるジルの耳が赤くなった気がする。
「でも、良かったよ。僧侶様までアンクス達に手を貸してなくて。」
最初にアンクス達に会った時は4人がいた。勇者と戦士と魔法使い。それに僧侶様。ヴァロアとアグドがライダルとウルセブとを足止めしてくれたからアンクスだけを相手にするだけで済んだけど、僧侶のモンドラ様が居たら手に負えなかった。あの人も机の脚を簡単に折ってくれたからね。
「ああ、モンドラな。アイツはコソコソと裏で色々やってくれていたから、王妃に報告しておいた。今は牢にいるんじゃないか。」
最初にボク達がカプリオの村に向かう時に、モンドラの書き物の手伝いをさせられたことがある。あの時のボクは気づかなかったけど、手伝わされた資料に不審な点があったのだそうだ。ジルは『小さな内緒話』でモンドラと役人の話しを盗み聞いて流れを把握すると、王妃様に報告した。
その結果、モンドラは捕まったのだそうだ。
「もともと、教会が勇者に絡む利権を求めてねじ込んできた男だからな。王宮としてはずっと失脚ささせる理由を探していたのさ。」
あっけらかんと笑うジルの耳はやっぱり赤い気がした。
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次回:魔王の『報酬』




