絶望
第12章:勇者なんて怖くないんだ。
--『絶望』--
あらすじ:『愚者の剣』を抜いた。
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剣を抜いたってなんにもならない。姫様を守れる気もしないし、アンクスを切れる気もしない。切っても切られても痛いんだよ。死ぬんだよ。ボクはこの剣を自分で『薪割りの剣』と名付けたのだから、人を切るために使うんじゃなくて、便利な道具としてだけ使えれば良かったのに。
『愚者の剣』はボクの手の中でカタカタと泣いている。
脅しにだって使えない。勝ち目なんて絶対にない。でも、大切な友人に血を流させるわけにはいかない。自分の体を犠牲にしてまで浄化の魔法を覚えて、塩の精製ができたと朗らかに笑った彼女は、大切な父親を守るために人の力を集めた勇者の前に立ちはだかっているんだ。
「はっ、震えるオマエに何ができるっていうんだ?」
ボクの振り絞った勇気をアンクスが鼻で笑う。確かにボクでは沢山の人の祈りを集めて力に変える勇者の称号を持ったアンクスに勝てるわけもない。だけど、少しくらいの時間稼ぎにはなると思いたい。
本当は逃げたいけれど、姫様はきっと土煙の前を動かないよね。後ろの土煙の中には姫様のお父さんがいる。時間を稼いで土煙が晴れれば、お父さんが娘を助けないわけが無い。魔王は姫様のことを大切にしていた。アンクスを手玉に取った魔王なら姫様を守ることができるはず。
「魔獣達は戻って来られないの?」
ボクは一縷の望みをかけて肩越しに白い姫様に問いかけた。高く舞い上がった土煙を見上げても高さは変わって無くて、まだまだ収まる気配は無い。樹王が根を張り終わるまで、もうしばらくかかりそうなんだ。
でも、『魔脈の澱』を捕まえるために森の中に哨戒に行った白い魔獣と黒い魔獣なら、もうそろそろ戻ってきても良い頃だ。姫様の魔獣がどれだけアンクスに立ち向かえるか解らないけれど、魔獣の姿はボクが握った『愚者の剣』よりも時間稼ぎになると思うんだ。
「カガラシィの調子が悪くて、もうしばらくかかりそうなの。あの子はお父様の魔獣だから、お父様に共感してしまっているのよ。」
姫様の顔が青い。目の前に迫った勇者という驚異よりも、土煙の中にいる魔王の安否の方を気にしているようだ。
カガラシィは黒い方の魔獣の名前で、対になる相手は魔王だ。姫様が2頭の魔獣を連れているのは、体が大きくなりすぎた魔王に代わって姫様が世話をしているからだ。
弱っている黒い魔獣を野生の魔獣がうようよいる魔王の森に置いて行くわけにもいかなくて、姫様と対になる白い魔獣も戻って来られない。
魔王の身に何かが起こっている。
魔王が『魔脈の澱』に触れたら何が起こるか解らないとは言われていたけれど、頼みの綱の魔王も当てにならないかもしれない。いや、ここで魔王を守っても無駄になるかもしれない。
助けを求めて尋ねた問いは、却ってボクに絶望を与えた。
「さて、あの中にいる魔王がいつ出てくるか解ったもんじゃねえ。ライダル、ウルセブ、頼んだぜ。」
アンクスには震える剣を持つボクなんかは相手にならないんだ。ボクの後ろにある土煙の柱に目を向けたまま、アンクスはボク達を遅れてきた2人に任せた。
「弱いヤツに手を挙げるのは気が引けるが、仕方ねえ。」
「やれやれじゃ。」
弱いボクをどかすのに2人も必要も無いと思ってなのか、戦士と魔法使いの2人はやる気も無さそうに返事をする。だけど、勇者といっしょに行動できる2人は凄かった。
一瞬の間にライダルがボクに肉薄して諸刃の斧を振り上げた。
がちぃん!
思わず目をつぶったボクにいつまでも刃は落ちてこない。目を開けるとライダルの重い諸刃の斧を一振りの剣が弾いていた。重くて頑丈な諸刃の斧を弾いた剣の名は『剣聖の剣』。
「なっ!」
「ダメッスよ。兄さんが傷つけられたら新しい歌を聞く旅が終わっちゃうじゃないッスか。」
ライダルの重い諸刃の斧を弾く力が、ヴァロアの白く細い腕のどこにあったのか解らないけれど、『剣聖の剣』を持った彼女は何事も無かったかのようにへらりと笑った。
「くっ!面白い。オレの斧を弾くというのか!!!」
「兄さんを傷付けるなら自分が相手になるッスよ。」
『剣聖の剣』を無造作に垂らして、へらりとしていた彼女の鳶色の瞳に険がこもる。鋭い瞳で睨みつけられたのにライダルは愉しそうに斧を構えなおすと、今度は横薙ぎに次は斜めに下からとぶんぶんと振るった。その度にヴァロアは軽やかにステップを踏んでひらひらと紙一重で躱す。
いやいやいや、重い諸刃の斧を軽々と振り回すライダルも凄いけど、それを紙一重でもよけ続けるなんヴァロアもすごいよね。はらはらと彼女の茶色の髪が切られて舞うたびにボクの心臓は落ち着かない。
「まったく、力ばかりの筋肉馬鹿が…。」
魔法使いのウルセブが呟くけど、ライダルって王宮でもすごい強い人だったんだよね。だから勇者のお供に選ばれたんだ。ヴァロアだって最初の一撃こそ弾いたけれど、その後は剣を交える事もできずに躱す事しかできていないんだ。
「料理の手伝いをしてくれた男じゃから、ワシが手を下したくは無かったんじゃが仕方ない。悪いが、ワシは加減できんぞ。」
魔法使いのウルセブが魔道具の魔獣のアラスカに乗ったまま雷鳴の剣に手をかけた。前は勇者アンクスが持っていた一振りだけど、その力は凄くて相手に雷を落とすんだ。
ウルセブが雷鳴の剣に魔力を込めると轟音と共に空が割れた。
ごおおぉおん!
「あれ?生きている。」
「なっ!」
青空に雷が光った時には死ぬことも覚悟したけれど、いつまで経ってもボクの体は焼かれる事も無かった。雷はボクの方へと向かってこないで、遠くの地面に吸い込まれるように向かっていき、大きな穴を穿った。
「オレはオマエの護衛だからな。」
アグドの声に振り向くと、彼の瞳のそれぞれに水の魔法陣と土の魔法陣を宿していた。その瞳を見て驚いていたのはウルセブだった。
「魔法でできた水は雷を通さないハズじゃ!」
ウルセブ様はたとえ狙いが外れても雷が落ちやすい鉄の剣をもったボクが黒焦げになると考えていたようだ。だけど、雷は想定を外れてアグドの作った水の柱に落ちたんだ。水の柱は長く伸びていて、さっき穿たれた穴に続いている。
「ふん。魔法で作った水は真水だから雷を通さねえが、塩を混ぜてやれば、これくらいはできるんだぜ!」
「それでも鉄の剣の方が落ちやすいはずじゃが?」
「そのために生成しにくい金属を使わずに、扱いやすい塩水にして距離を稼いでいるんじゃねえか。まあ、ソンドシタ様の受け売りだがな。」
よく見るとアグドの作った塩水の柱から細い糸のような塩水が張り巡らされている。雷が流れやすい道筋を作る事で、鉄の剣に落ちる雷を誘導したとアグドは言った。
アグドが魔法を操作すると、糸のような塩水が膜になった。雷が落ちた時は膜だったのに雷の力に負けて糸のように細切れになっていたらしい。
アグドはボクが旅の途中で語った雷鳴の剣のことを覚えていて、黒いドラゴンのソンドシタ様に興味本位で対策を尋ねていたらしい。何枚ものネマル様の絵を描いたアグドに気を良くしたソンドシタ様は、報酬の代わりにといくつかの面白い話を彼にしてくれていたようだ。
そして、アグドは雷鳴の剣と敵対する見込みなんて全くなかったのに、土と水の魔法陣を両目に映すという、魔法使いでも苦労する魔法を身に付けたんだ。
「こんな事もあろうかと、練習しておいて良かったぜ。」
いやいやいや、ヴァロアもアグドも2人とも、もの凄く頼もしいんだけど!
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次回:『白い火花』を散らす剣




