バケツの水
第12章:勇者なんて怖くないんだ。
--『バケツの水』--
あらすじ:魔王と樹王の板挟みで吐きそうだった。
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バケツの中身をぶちまけると、キラキラと光る水滴が虹を作った。ちょっとしたコツが要るんだよね。虹を作るのって。ゆっくり眺めてみたいと何度も水滴を水の魔法で空中に固定したことがあるけれど、虹が現れるのは一瞬で成功したためしはない。
「ヒョ~リ~。埃が飛ぶよぁ。」
もこもこの毛をヴァロアに櫛で梳かれていたカプリオが顔をしかめていた。向こうでは筆を止めたアグドも目を吊り上げている。ふと、虹が見たいと思い立ってバケツの水をぶちまけてしまったけれど、人の行き来がある薪割り場は地肌が出ていて埃が立ちやすいのを忘れていた。
「ごめん、ごめん。砂時計は?」
「まだ残っているよ。」
魔王と樹王の間に挟まれて『魔脈の澱』の場所を探す作業は、白い姫様が魔王といっしょに朝食を食べようとやって来た所で終わることになった。
それから10日ほど。
最初は考えていた通り薪を割りながらやろうと思っていたけれど、向こうに見える薪割り小屋はすでに薪がたくさん詰まっている。前にボクが寝泊まりしていた薪割り小屋の2階にも薪がびっしりと積まれていて足を伸ばせる場所もない。
塩を精錬する魔道具ができた事で薪に余裕ができたらしく、アンベワリィの食堂にも運び込まれた。すぐに薪を置く場所が無くなって、ボクができるのはアンベワリィの手伝いだけになった。
今ぶちまけた水も食堂のテーブルを拭いて床を掃除した汚れた水で、その意味でもぶちまけない方が良かったかもしれない。
薪割り台の上に置いた大きな砂時計を見ると、カプリオの言う通り砂はもう少し残っている。10日前よりも余裕があるのは少しだけ掃除が上手になったからかな。最初はカプリオに呼ばれて慌てていたからね。
砂時計の残りからすると、机を並べ直しに戻っても中途半端になってしまう。少し休憩を挟もうとボクは背を伸ばして椅子代わりに置いてある丸太に座った。
砂時計の下に敷いた地図には、赤い点がいくつも描き込まれている。『魔脈の澱』の位置をずっと観察していた結果だ。赤い点は弧を描いていて3日くらいの時間をかけて振り子のように同じ場所を繰り返し動いていた。今も変わらず観測しているのは、監視的な意味合いの方が強い。
(もうすぐ人間に戻れるんだね。)
すでに結果は樹王と名乗る少年に伝えてある。もうすぐ『木になる指輪』の材料になる魔樹の琥珀を手に入れる事ができるんだ。
(ああ、やっとだぜ。)
最初にジルに会った時は、本当に人間に戻してあげられるなんて思っても見なかった。だけど、ジルはずっとボクを支えてくれて色々な事を教えてくれて、それどころか旅が楽しいとも言ってくれたんだ。
ジルを自由に歩かせてあげたい。いっしょにご飯を食べて笑い合いたい。木の枝の姿のままじゃできなかった事がたくさんある。すごく時間がかかったけど、それももうすぐ終わるんだ。
食堂に続くドアのノブがまわりガチャリと音がした。小さな手がドアを押し、長い耳を持った緑の頭が覗いた。
「おお、ここにいたか。」
少年の姿をした樹王はボクを見つけると濃い琥珀色の目を輝かせた。
「どうしたッスか?」
魔王の城の中は、当然ながら魔族の人たちでいっぱいだ。だから、人気の無い薪割り小屋の周りはボクたちの息抜きの場になっていて、その事を知っている人は多い。
「ああ、今後の方針が決まってな。ヒョーリに手伝ってもらいたいんだ。」
いやいやいや、もう、『魔脈の澱』の場所も判っているよね。振り子のように移動するのは厄介だけど、同じ場所を定期的に移動しているから、ボクが居なくても探せるはずだ。
「そう嫌そうな顔をしないでくれ。これが必要なんだろう?」
細い人差し指と親指に支えられたモンジの団子くらいの大きさの魔樹の琥珀は、太陽の光を浴びて綺麗に光った。ランプの灯りで見るとゆらゆら光って綺麗だったけど、太陽に透かすと明るくなって雰囲気が変わるんだ。
返事をしようと立ち上がると、ヴァロアがボクの前に割り込んだ。
「その琥珀は兄さんが『魔脈の澱』の場所を占った報酬ッスよね。ちゃんとした仕事したのに約束の報酬を払わないで、それどころか仕事を追加するなんておかしいッス!約束は守るッス!」
ボクの占いの結果を疑って、魔王の所まで連れて行ったのもそうだけど、何度も繰り返し占って、『魔脈の澱』が振り子のように動いている事まで突き止めた。最初はすぐに終わると思っていたのに気が付けば10日もずっと『魔脈の澱』を追っている。
最初の約束を破っているとヴァロアは目を吊り上げた。
「これを手にすれば指輪を作っても、十分な金が手に入るんだろう?」
確かに魔樹の琥珀は必要で、このままずるずるといつまでも琥珀が手に入らないのは困る。いつまで経ってもジルを人間に戻してあげられないし、終わりが見えないのは気分的に疲れる。
けど、今のところ樹王から手に入れる以外方法がないし、ケンカしても良いことも無いよね。
「それひとつで、いつまで兄さんをこき使うッスか?」
「もう少しくらいサービスしてくれてもいいじゃないか。」
「最初の約束はどこ行ったって話っス。次の仕事が最後だと言う保証もないッスよね?」
「解った。解った。次の頼みを聞いてくれたら、コイツを指輪の形にしてやろう。どうだ?」
『木になる指輪』を作るためには、魔樹の琥珀を指輪の形に整えてから、ソンドシタ様に貰ったペンダントの魔石に魔力を通す必要がある。
宝石職人さんに頼んでも良いかも知れないけれど、宝石の中でも柔らかいと聞いたので自分でコツコツと削り出しても良いかもしれないと思っていた。
それにこれだけ大きな宝石を下手な人の目に入ると、要らない厄介事に巻き込まれるかもしれない。削り出してもらうのにもお金がかかるし、幸いにして、失敗してもやり直せるくらいの大きさもある。実際に、狂想の魔女は爆発する男に指輪を作らせていたからね。何とかなるとおもうんだ。
樹王はボクの目の前で子供の頭くらいの大きさの琥珀から、団子くらいの大きさの琥珀を取り出していた。それも粘土のように簡単に。削りカスをもったいないし、樹王に頼んだ方が綺麗に仕上がるかもしれない。
せっかくボクのために口を挟んでくれたヴァロアには悪いけれど、ボクはちょっとした手伝い位ならいくらでもしても良いと思っている。それで、丸く収まるならね。
ボクが同意の返事をする前に、またヴァロアが先に飛び出していた。
ヴァロアは剣聖の剣を抜くと、樹王に向かって振るう。
樹王の指に摘ままれていた魔樹の琥珀が宙を舞って輝いた。
ヴァロアは剣先が見えないくらいの速さで何度も剣を振るう。
いやいやいや、大事な琥珀なんだよ。簡単に手に入らないんだよ。
「指輪にするってこんな感じッスか?」
「ふふ、ははは!良いなオマエ!気に入ったぞ。」
目を丸くするボクの前に突き上げられた剣聖の剣の切っ先に、指輪の形になった魔樹の琥珀がぶらぶらと揺れていた。
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次回:『魔樹と木』と人間と動物と。




