別れ
第10章:魔王の森が広がっていたんだ。
--別れ--
あらすじ:ジルが暗号でドラゴンの事を報告していた。
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天井の高い部屋にはまた、たくさんの物が増えていた。インクのビンが乗った机には大きな印章を押す道具が転がっていて、色とりどりのドレスの隣には姿見と着替えのためのカーテンで仕切られた区画ができていた。もう、この部屋に住んでいるのかも知れない。
「そうか、ニシジオリに帰るのか…。」
ツルガルの王妃、ツラケット様と王女様たちはドラゴンの里に行く前と変わらずカプリオに横たわって、ボクを迎えてくれた。突然の訪問にも嫌な顔をしないで、ボクのために貴重な時間を割いてくれた。
ちょうど重要な会議が終わったばかりだと言う事で部屋にはヴァロアはいない。彼女にも一言いいたかったのに。
「はい、ツラケット様には大変にお引き立て頂き、本当に感謝しています。」
大まかな話はジルの『小さな内緒話』を通して、ずっとツラケット様の傍に侍っていたカプリオに伝えてもらっている。ボクはジルに言われるままにお別れの言葉を口にするだけで良かった。
「……」
良かったんだけどね。
「……」
美しい顔のツラケット様が憂いを帯びた瞳がボクに語りかけてくる。こういう時は身分の低い人が王妃様の言いたいことを推し量って返事をしなければいけないんだろうけど、ボクもジルもツラケット様の瞳の言いたいことが分からない。
「……」
ボクが何かおかしなことを言ってしまったのかな?だんだんと不安になる。
「……」
ボクには見当もつかない。ただの占い師のボクに言いたい事なんて無いよね。それとも、何か探し物が残っていたのかな。それなら言ってくれればすぐにでも探す事ができるのに。
「ダメなの?」
「なにがですか?」
「貴方がこの国に残ってくれたら私も嬉しいのですけど。」
ただの占い師のボクを王妃様が引き留めるとは思っていなかったからボクは戸惑った。アズマシィ様のオデキを治す事に貢献したことを高く評価してくれていて、ボクを召し抱える事を正式に検討していたらしい。
だけどそれは占い師としてではなく、浮揚船の船員として。まだ試作品しか作られていない浮揚船は風に流されやすく運航が難しい。ボクの『失せ物問い』が有れば浮揚船が目的地を見失うことが無い。
それに、ソンドシタ様に気に入られたボクはツルガルがドラゴンと交流を持つきっかけになるかもしれない。
「もったいないお言葉です。」
ヴァロアとアグドもいっしょにドラゴンの里まで行った。ヴァロアは剣聖の孫娘としてソンドシタ様に認められていて、ボクより楽しそうにソンドシタ様も話をしていた。アグドだって絵を描いてソンドシタ様に喜ばれていたよね。
ボクには自信がない。
浮揚船だって海を行く船と同じようにボクが居なくても飛ぶ事ができる。
「それなら、この子だけでも置いて行かないかしら?」
ツラケット様がカプリオのもこもこの毛を撫でる。もしかしたらツラケット様がボクに残るように言ってくれたのは、カプリオが目的だったのかもしれない。カプリオはツラケット様のお気に入りで、ボクがドラゴンの里に行っている間中、ずっと王妃様といっしょにいた。
王妃であるツラケット様のそばに居れば、どこよりも大事にされて不自由なく暮らせる。街に出た時に魔獣の魔道具として恐れられる事も無くて、広い王宮の庭を自由に駆け回れる。侍女の人たちに毎日櫛も入れてもらえるよね。ボクといっしょにいるよりも、ずっと良い暮らしができる。
ボクもカプリオといっしょに居たいけど、カプリオは魔王の森の奥にある廃村に住んでいたから、ニシジオリの国とは関係ない。ボクが戻るように言われたからって、カプリオまで強要される命令じゃない。
彼が望めばお別れになる。
「え!?ボクも行くよ。」
勢い良くカプリオが立ち上がって、ツラケット様が宙を舞う。天井近くまで飛んで行って、立ち上がったカプリオのもこもこの背中にポスンと落ちた。
「それとも、ボクが一緒じゃ嫌なの?」
ボクは目を見開いたけど、侍女の人たちは平然としている。カプリオが王妃様を宙に飛ばすなんて日常になっているのかも知れない。
「ううん。すごくうれしいよ。」
カプリオがボクに頭を摺り寄せてくる。
「あ~もう。カプリオも行っちゃうなんて!それで、いつ出発するの?」
「急いでとのことですので、すぐにでも発とうと思います。」
「そうね、アズマシィ様もニシジオリから離れている今は、早い方が旅程も短くなるわ。」
ゆっくりとツルガルの広い大地を歩いて進むアズマシィ様はつい数日前にニシジオリに最接近していたという。今はニシジオリの国境から離れて行っている最中で、1日出発が変われば3日は旅をする距離が変わってしまうらしい。
「ツラケット様の増々のご活躍を願っています。お世話になりました。」
ボクは退席の言葉を口にする。遠く離れたツルガルの国に来る事も、厳重な警備の王妃様の部屋に来る事ももうない。一介の街の占い師なんかが煌びやかな王宮に迎えられる事なんてないよね。
最後のつもりだった。
「まあでも、もうすこしくらい遅くなっても構わないわよね。」
最後まで間違えないで言葉を紡げたとホッとしたのも束の間、ツラケット様の言葉に、ボクの言葉は空回りした。
ツラケット様は目を白黒させているボクを待たせて次々と指示を出し始めた。
ボクはツラケット様が書いたニシジオリの王妃様に宛てた手紙を受け取ってようやく王宮を出る事ができた。ニシジオリの王妃様がボクを派遣してくれた事へのお礼を綴っているらしい。
その後も知り合いと会うたびに足を止めていたからもっと遅くなったけど。みんな、ボクとのお別れを惜しんでくれて嬉しかった。
オイナイ様の屋敷に戻ると、屋敷の人たちがボクの馬車にたくさんの荷物を詰め込んでいた。オイナイ様からニシジオリの王宮への報告書に、ツルガルの特産物。
ツルガルの王宮からニシジオリの王宮への贈り物も載せる。ボクを待たせている間に、ツラケット様は贈り物を運ばせていたんだ。
ツルガルの王都を支える巨大な魔獣、アズマシィ様から降りると、ツルガルの広い大地が広がる。見上げればアズマシィ様の大きな体が陰になって遠い。
ボクを必要としてくれた人たちにお別れを言わなきゃならなくて、すごく寂しい。
でも、ボクにはジルもカプリオも居てくれるんだ。ニシジオリに戻ればカナンナさんに、王妃様、王女様。冒険者ギルドのみんなだって気になるし、孤児院のコロアンちゃんだって大きくなっているよね。
気を取り直して、ボクは遠くの地平線を見る。
『失せ物問い』の妖精に聞いてもニシジオリの国境はあの地平線から遠くない。ボクはゆっくりと歩み去っていく王都をまるごと背負った魔獣、アズマシィ様に背を向けた。
「ニシジオリまでお願いするよ。カプリオ。」
「任せといて!」
カプリオはいつも通り、重い馬車を軽々と牽き始めた。アズマシィ様の見上げるほどの巨躯が一段と早く遠くなっていく。
「待つッス!自分も行くッス!置いてくなんて酷いッス!」
青く広がる空、逆光の黒い点が落ちてくる。
ビスが飛べない翼を精いっぱい広げて降りてくる。
マティちゃんに乗ったヴァロアが、アズマシィ様の背中から飛び降りてきたんだ。
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次回:黒い『ドラゴンの記憶』




