司書
第9章:ドラゴンの里は隠されていたんだ。
--司書--
あらすじ:アグドが絵を描き始めた
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こつ、こつ、こつ。
こんこんこんこん。
乳鉢に入れられたキラキラと赤く光る鉱石の粉をボクは細かく砕く。コツコツコリコリと奏でられる音は単調だけどボクの額には汗が流れる。見た目以上に力がいる仕事で腕が攣りそうだ。
大部分の鉱石はソンドシタ様が粉にしてくれた。だけど、ソンドシタ様の作った顔料は粒のサイズが揃いすぎていてアグドは不満を漏らした。粒が揃うとのっぺりとした色合いになり奥行きが無くて、不揃いな顔料の方が面白みが出るらしい。
ネマル様の絵の出来上がりがボクの腕にかかっている…。
いや、そんなに大げさな仕事じゃないけどね。ボクにはアグドのこだわりがまったく解らないんだもの。
黄味がかった下地を塗った木の板は下書きも消えて乾くのを待たなければならなかった。アグドは別の板に木炭で何かを描いていて、手の空いたヤイヤさんは目を輝かせてヴァロアといっしょにネマル様の記憶を見ていた。
「小さいネマル様も可愛いわよね。こんな子がずっと図書館に居てくれたら楽しいのに。」
「小さい手をいっぱいに開いているのが可愛いッスね。」
ソンドシタ様が空中に映し出した絵には、幼い赤いドラゴンが小さな大冒険をしている。新しい発見を探して新しいドアに手を伸ばしている。ネマル様の弱点を探している時には早すぎて見えなかったから、ゆっくり見ていると微笑ましい。
「ところで、ヤイヤよ。記憶の本にプロテクトがかかっている箇所があるのはどうしてなのだ?」
たくさんの顔料を作って、ひと仕事を終えたソンドシタ様は膝をついてあくびを噛みしめていた。走り回るネマル様の姿には興味が無いみたいだけど、眠りはしないでじっと様子をうかがっている。ヤイヤさんが居なくなる隙を探していたりするのかな。
「あら、誰だって見られたくない記憶くらいあるでしょ?」
記憶の図書館に来れば誰だって記憶を閲覧する事ができる。現にボク達も勝手に来てネマル様の記憶を覗き見している。
でも、誰にだって秘密にしておきたい記憶はあるよね。
失敗をして嗤い物になった記憶、格好をつけて池に落ちた記憶に、悪戯をしてお母さんに怒られた記憶。特別な記憶じゃ無いけれどトイレに入っている記憶だって見られたくない。
ヤイヤさんによると流れてくる記憶を本にする時に映っている人が無意識にでも見られたくないと思った記憶にはプロテクトがかかるらしい。
「それはそうだが、ワレでも解けぬプロテクトをかける必要があるのか?」
世界の果ての図書館に来ることができる存在は珍しい。だからヤイヤさんは長く図書館に居てくれたソンドシタ様に好意を持っているんだよね。
「かけたのは私じゃないわ。」
ヤイヤさんは図書館を管理するために作られた人形で、ヤイヤさんが出来上がった時にはすでに図書館は稼働していた。
「ふむ。神の力か。」
この図書館を作ったのは神様だから、神様がプロテクトをかけている。
ドラゴンに魔法を与えたのは神様と伝えられていて、ドラゴンは最初の魔法を長い時間をかけて解析して自由に魔法を使えるようになったと伝わっている。だけど、やっぱり神様の力は偉大みたいで、ドラゴンよりも強い力が使えるらしい。
ソンドシタ様でも十分にスゴイと思うのだけど、人間に『ギフト』を配れる神様はもっとすごいんだよね。ソンドシタ様はアグドの『ふわふわりんりん』を真似る事はできたけれど、ボクの『失せ物問い』を真似することができなかった。
もしも真似ができていたら、ボクは世界の果てまで来なくても良かったのに。
「で、無理やり見ようとしたの?」
ヤイヤさんの水色の瞳が吊り上がると、ソンドシタ様はたじろいて緑の瞳を伏せる。
以前にソンドシタ様がヤイヤさんとドラゴン殺しの剣を復元する時にはプロテクトがかかっているような記憶を見なかったらしい。隠された記憶を見無くたって剣の形を知ることができるからね。だから、ソンドシタ様はプロテクトがあるとは知らなかったんだ。
そして、プロテクトをソンドシタ様の魔法で解けないと知るためには、プロテクトを解除しようと試してみるしかない。ドアの鍵だって外から見ただけじゃ中の構造は解らないのと一緒だ。
「あ、いや、ちょっと気になってな。」
「なにが?」
「そこに隠された記憶があれば気になるだろ?」
「乙女の秘密なのよ?」
女の子なら隠しておきたい秘密の1つや2つは必ずある。いや女の子だけじゃ無いと思うけど。そして、記憶の中にはトイレの風景も当然ある。ドラゴンと言えども、トイレを覗かれるのはイヤだよね。いや、ドラゴンにがトイレに行くのか知らないけれど。
「本気で解こうとしたわけじゃない。少し気になってイジってみただけだ。」
プロテクトを解こうとはしたけれど、すぐに諦めたとソンドシタ様は嘘を吐く。実際には何度も黒いモヤを赤い本にけしかけて長い時間をかけてプロテクトを解こうとしたことをボク達は知っている。
「そう。」
ヤイヤさんは頷いてソンドシタ様から視線を外すと、ボクの方に向き直ったから乳棒を握る手が止まる。
「ねえ。今日のソンドシタ様の本を探してくれる?」
「へ?」
ヤイヤさんの問いかけに『失せ物問い』の妖精が反応してボクの乳鉢の上に黒い本が現れる。その黒い本には緑の文字でソンドシタ様の名前と今日の日付が刻まれていた。
「私には本の管理をするために、いくつかの力が与えられているわ。」
神様が欲しい本は普段から整理されて1か所にまとめられているし、整理の途中で必要な本は覚えている。ヤイヤさんは図書館を管理して本を探すために作られた存在。司書さんだ。
広い図書館で本を扱うために空を飛ぶ力や本や本棚を移動させる力に、本にイタズラをしようとする相手を追い出すための力を神様にもらったらしい。
その中には本の状態を知る力がある。
本のプロテクトを無理に解除しようとすれば、神様に与えられた力がヤイヤさんに伝わって、ヤイヤさんは本の危機を知る事ができる。つまり、ソンドシタ様がプロテクトを軽くいじってみただけだと言う言葉が嘘だと、ヤイヤさんは知っている。
赤い本を覆っていた黒いモヤモヤはずっと蝕んでいた。何度も何度もソンドシタ様はプロテクトを解こうとして失敗していたんだ。
白い指がボクの手の黒い本を摘まみ上げると、本棚の山の風景が現れた。現れた風景は1つだけだけどヤイヤさんもソンドシタ様と同じように空中に記憶を浮かべる事ができた。これも神様に与えられた力なのかもしれない。
ボク達はゴクリと唾を飲む。
それは、見覚えがある光景。
赤い本棚の山に囲まれた黒いドラゴンと3人の人間。
さっきまでのボク達の光景。
『プロテクトが掛けられた場所に姉上の弱点があるのではないか?』
記憶の絵の中でソンドシタ様がはっきりと口にした時、ヤイヤさんの白いこめかみはっきりと青筋が浮かび、ソンドシタ様の黒い鱗に覆われた顔は青ざめた。
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次回:世界の果ての『孤独』




