氷の牙
第9章:ドラゴンの里は隠されていたんだ。
--氷の牙--
あらすじ:ヤイヤさんがソンドシタ様に氷の牙を放った。
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「うわっ!ちょ、オマエ。なにしてんだ!?」
飛んできた氷の牙をソンドシタ様は体を逸らせて躱す。足元から放たれた至近距離の一撃は紙一重でソンドシタ様の喉を引き裂く事ができなかった。
「避けないでよ!男らしくない。」
奇襲のような氷の牙を外したヤイヤさんはページをめくって次の魔力を本に込めると、今度は床から氷の柱を伸ばす。氷の牙を躱したばかりで態勢を崩したままのソンドシタ様の黒い背中を、先の尖った氷の柱が滑っていく。
「うお!当たったら痛いだろ?」
仰向けに崩れるソンドシタ様は背中の翼を羽ばたかせて空へと逃げる。ドラゴンなら当たったら痛い程度で済むかもしれないけれど、氷の柱は人間が3人で腕を伸ばして輪になったくらい太かった。ボクが触れたら見えない図書館の屋根まで飛ばされそうだ。
「待ちなさいよ!まだ話は終わって無いわよ!」
ヤイヤさんは白い左手で長いスカートの端をつまんで宙を蹴って追いかけていく。飛んで逃げるソンドシタ様を追って空中を走っているんだ。
「な、なんなんだ?あの女は。」
口を開けたままのアグドがソンドシタ様とヤイヤさんが飛んで行った方を見上げる。「また来るって言ったきり、全然会いに来てくれないじゃない」と叫ぶヤイヤさんの声が遠くなっていき、魔法の氷の柱が飛んでソンドシタ様ががんばって躱している。
「嫉妬ッス。好きな男が知らない女にプレゼントを贈っていたッス。それも、ふたりで1年もかかって修理した物をッスよ。怒って当然ッス。」
眉をひそめるヴァロアは自分がプレゼントを渡された女性だと言う事を忘れているようだ。嫉妬の矛先を相手の女性に向ける人も多いから、少し間違えれば自分が氷の牙に引き裂かれていたかも知れないのに、ヤイヤさんに同情している。
「相手はドラゴンだぜ?」
水色の髪に水色の瞳。珍しい色だけどヤイヤさんは手も足もすらりと整っていてヤイヤさんは背の高い人間の女の人に見えた。ドラゴンでは絶対に無いと思うし、魔族や森の人たちみたいに人間に似ているだけでも無いと思う。
「恋するドラゴンってお話があるッス。」
「その物語はドラゴンが人間に恋をする話だろ。」
恋するドラゴンはドラゴンが人間に恋をして、色々な贈り物をするという話だけど、今は、ソンドシタ様が好かれている方だよね。人間がドラゴンを好きになるなんて事があるのかな?
赤いドラゴンのネマル様は女性だったけれど、ゴツゴツした鱗に尖った爪、優しく微笑んでいても牙が見えていて、ドラゴン以外の何物でも無かった。白い姫様は美しかったけれど、人間とは違う
何より、ネマル様の時は機嫌を伺う事ばかり考えていたし、白い姫様の時はいつも振り回されていた気がする。余計な事を考える暇も無かった。
ボクは4つの魔晶石が輝く白い腕輪を空にかざす。
勇者アンクスが魔王を倒したお祝いの式典の時、ボクは彼を殴った。
アンクスが自慢する赫い魔晶石が、白い姫様の遺した物だと聞かされて頭に血が上ったんだ。
魔族しかいない魔王の城で生きるのに必死だったボクは、好きだとか嫌いだとか考える暇は無くて、楽しそうに笑っていた姫様がいきなり現れたアンクスに理不尽に殺された事実を受け止められなかった、と今まで思っていた。
ボクはなんで、あの時あんなに頭に血が上ったのかな。
白い姫様は人間じゃない。魔族だったんだ。そしてアンクスを殴った結果、ボクはニシジオリの王宮に居られなくなって、ツルガルに行かされて、今は世界の果てにいる。
白い小さな魔晶石の向こうで、小さな人影からいくつもの氷の柱が飛び出している姿が遠くに見える。
音が遮られていたドラゴンの里と違って、今は黒い翼の風切り音が聞こえたり、氷の砕ける音が聞こえたり本棚の隙間から見える。ソンドシタ様はブレスも吐かずに逃げ回っているばかりだ。
「まあ、女の気持ちなんてどうでもいいさ。それより腹が減らないか?」
夜中に起こされたボク達が図書館に着いたのが朝焼けの頃だった。朝食の時間には早いけれど、ソンドシタ様の空気の球に乗せられて、びっくりしたりドキドキしたりと忙しすぎて確かにお腹が減っている。
「ソンドシタ様の事が心配じゃないの?」
「人間相手にソンドシタ様が負けるわけ無いだろ?」
「うん。まぁ。負ける事は無いよね。」
『心臓』を隠していて死ぬことのないソンドシタ様はネマル様に焼き殺されても生き返っている。ヤイヤさんは見た事も無い氷の魔法を使ったけれど、それでもドラゴンの硬い鱗を傷付けることはできないと思う。だって、氷だよ。
ソンドシタ様の硬い鱗には氷なんて刺さらないよね。
ちょっと不安だけど、どうせボク達にできる事はソンドシタ様を応援する以外はできない。
「だろ?肉はねえか?」
「自分の分は?」
「最初から持ってねえよ。」
「自分の袋も空ッス。」
ドラゴンの里に着いてくる予定の無かったアグドはともかく、ヴァロアも非常事態に備えて少しだけ持っていた保存食を食べつくしていた。浮揚船から出る時に分けてもらった食料の袋を開ければ、中にはモンジの団子ばかりで干し肉はすべて無くなっている。
(ちっ。コイツがコソコソと居なくなっていたのは干し肉が目当てだったのか。)
ボク達がネマル様に頼まれて色々な話や歌を披露している間にアグドがたびたび居なくなっていたらしい。白い姫様の話に興味もなく、ヴァロアの歌も聞き飽きたアグドは、暇を持て余してアグドは部屋に戻ってボクの袋を勝手に開けたんだ。夜だったらジルが見張っていてくれたのに。
「もう団子しかないよ。」
「けっ!オレは肉が食いたいんだ。ずっと野菜ばかりで飽き飽きしていたんだ。他に持っていないのかよ?」
ダハンデさんが振舞ってくれた料理にお肉は無かった。森の人は野菜や果物しか食べないから、お肉にするような家畜を飼っていなかったんだ。
「団子だけだよ。干し肉を食べたのはアグドでしょ?」
ソンドシタ様の尻尾に貼りついて勝手に着いてきたアグドの分の食料は考えに入っていなかった。浮揚船の人たちに分けて貰った食べ物だから独占するつもりも無かったけれど、独りで食べつくすなんて酷いよね。
「固いことは言うなよ。オレ達仲間だろ?なぁ、ここには人間が居たんだぜ。『失せ物問い』とやらで、食べ物を探す事はできないか?後で金を払えば許してくれるさ。」
ジルの指摘をそのまま口にしたボクに、アグドはソンドシタ様の緑の魔晶石を見せながら悪びれもせずに提案してくる。
ヤイヤさんが住んでいるなら、この図書館にも食べ物があるはずだ。
ソンドシタ様の望むネマル様の弱点探しは思った以上に時間がかかる。ソンドシタ様とヤイヤさんがドラゴン殺しの剣を探した時の様に1年もかからないと思うけれど、何十、いや、何百の本を探さなきゃならないか解らない。100年前の記憶だって本棚が1台現れたものね。
浮揚船で分けてもらった2人分の食料が減っているのに、アグドが増えて3人になってるんだ。ボクが持っている団子が無くなれば食べ物が無くなる。
「食べ物は探せないんだ。」
木から落ちた実なら見つかる事はあるけれど、誰かが作った料理を見つける事はできない。失くした物でも落とした物でもないからね。それができればボクは街で食べ物に困らなかったよね。念のためにジルに質問を作ってもらうけど、反応はない。
「食堂の場所ならどうだ?ドラゴンの里だって見つけられたんだろ。」
ボクもアグドの誘惑に耐えられなくなっていた。場所なら探すことができる。魔王の城へ行く時もツルガルへ行く時も『失せ物問い』の妖精は答えてくれた。目的地を見失ったとして探してくれるんだと思う。
(ジル。お願い。)
アグドがお肉を食べ尽くしたのを知って、ボクも久しぶりにお肉が食べたくなったんだ。ボクはずっとお肉を食べるのを我慢していたんだ。それなのに一切れも食べずに干し肉は無くなっていた。ヤイヤさんには悪いけれど、少しだけ先に分けてもらえないかな。
お腹がグゥグゥと騒ぐ。
(まぁ、仕方ないな。ここの厨房はどこだ?)
ジルの問いかけに『失せ物問い』の妖精がボクの耳元で囁いた。
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次回:世界の果ての『厨房』




