人形
第9章:ドラゴンの里は隠されていたんだ。
--人形--
あらすじ:赤いドラゴンが帰りを待っていた。
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ソンドシタ様の住む大樹の洞の中央に、見上げるほど大きな赤いドラゴンがどでんと鎮座していた。
ソンドシタ様のお姉さんだ。
キラキラ光る赤にゆらゆら揺れる炎のような赤。暗く濃い赤に青みがかった深い赤。赤と言う色がこんなにあるなかと思うくらい色とりどりの赤であふれていて、これでもかと言うくらいに真っ赤だ。
強く燃える炎を閉じ込めたような赤い鱗に覆われた体はソンドシタ様よりも大きくて、自由に空を飛べる赤い翼を優雅に纏い、羽の先だけ扇のように揺らしている。宝石のように磨かれたように艶々の赤い爪がトントンと大樹の床を叩き、赤い尻尾がそわそわと落ち着きなく揺れていた。
ずっとソンドシタ様の帰りを待っていたんだろう。柔らかなクッションに横たわり背筋を伸ばすように首を上げている姿は、人間とは違うけれど姿勢を正しているように見える。
だけど、赤い瞳は硬直して動かないソンドシタ様を見ていない。
「帰ってきたら『ただいま』でしょう。貴方の家よ?」
「ああ、ああ、家に誰も居ないと思っていてな。」
「言い訳しない!誰もいなくても挨拶はするべきよ。」
ソンドシタ様に理不尽な説教をしている姿は人間のお姉さんと変わらないように思える。
いや、そんな事より赤いドラゴンが支配するピリピリと緊張した空気を換えて欲しいんだけど。2頭のドラゴンがいつ喧嘩を始めるかと思うと胃がキリキリする。洞の中で暴れられたらソンドシタ様の加護があっても無事で済むとは思えない。
逃げ場のない洞の中でボクの上にドラゴンの体が飛んで来ただけで死んでしまうんじゃないかな。
ボク達の隣では木の巨人に乗ったダハンデさんが洞の外の方を伺っている。昨日と違って今はボク達もその視線の意味が解っている。
逃げるつもりだ。
ダハンデさんがソンドシタ様に赤いドラゴンの相手をするように言っていたから、ボク達もドラゴン姉弟の会話に参加しなくて良いよね。ボク達はダハンデさんが淹れてくれた苔のお茶を頂いて、甘いジャムの乗ったクラッカーを食べていれば良いんだよね。
ソンドシタ様が赤いドラゴンを相手にしてくれるんだよね。
尻尾を丸めたソンドシタ様の背中は頼りになりそうになくて、儚い言い訳に希望を託して、そっと洞の外に向けてじりじりと足を動かしはじめた。
「そうそう、お客様がいらしていたのよね。いつ紹介してくれるの?」
足を動かし始めたタイミングを見計らっていたように、赤いドラゴンがソンドシタ様を覗き込んだ。ボクは悪い事をしていた訳じゃないのに背筋を伸ばして足を止めるしか無かったんだ。
そうだよね。そうだよね。ドラゴンが姉弟喧嘩した理由って、ボクが白い姫様にもらった腕輪の魔晶石の並びだったんだ。ただ順番に並んでただけなのに、ソンドシタ様が死ぬほどの大事になったんだ。いや、死んで生き返ったけど。
「おお、そうだった。ヒョーリ。ヒョーリだ。」
洞の出口の前に黒くて太い尻尾が立ち塞がってそのままボクを赤いドラゴンの前へと追い立てる。ボクはソンドシタ様に裏切られて赤いドラゴンへの生贄にされたんだ。
「はっ、はじめ…。」
満足げに輝く赤い瞳の前に押し出されて、ボクは言葉を絞り出そうとしたけれど、言い終わるより早く赤い鱗に包まれた腕が伸びてきてボクは人形のように捕まった。捕まえられる時こそ素早かったものの、ソンドシタ様に掴まれて空を飛んだ時よりも優しさを感じる。
大切な物として丁寧に扱われている感じはするけど硬い鱗がびっしり生えた手の中は怖いんだ。ソンドシタ様とケンカを始める時の赤いドラゴンの変わり様を見たからね。いつ機嫌が悪くなって握りつぶされるかと思うと声も掠れて出てこないよ。
「かわいい!緊張してるのね。」
人間の女の子が人形に優しく語りかけるように鱗に包まれた頬を近づけてくる。細められた大きな赤い瞳は喜んでいて、熾火になって燻る炭の匂いがした。
「人間よね。人間なんて久しぶりに見たわ。」
ボクの頭の中は真っ白になった。
涙を浮かべた横目にダハンデさんを始めヴァロアにアグドも大樹の洞に造りつけられた家へと逃げていくのが映る。いや、それは仕方ない事だけど、ソンドシタ様もそろりそろりと大樹の洞から出て行こうとしてないかな?赤いドラゴンを止められるのはソンドシタ様だけだと思うんだ。
…ソンドシタ様でも無理かもしれない。
「変わった服を着ているのね。魔獣の皮を細工していのかな。」
途切れた挨拶の言葉の続きが、どうやっても思い出せない。
赤いドラゴンは挨拶の続きなんて気にして無いようで、人間の女の子が初めてもらった人形をぐるぐる回して観察するように、長い首を動かしている。人間の女の子だと、この後おもむろに服を脱がしたりするんだよね。好奇心から。
ゴクリと唾を飲む。
「そうよ、腕輪よ。腕輪をもっと良く見せて。」
どうやら服は脱がされずに済んだらしい。ドラゴンだとしても見られるのは恥ずかしい。
ボクが動きやすいようにと緩めてくれた手の平でボクが左腕を恐る恐る差し出すと、赤いドラゴンの鼻がぶつかりそうになるくらい引き寄せられた。
「やっぱり姫ちゃんの魔力ね。もう、あの娘ったらがんばってこんなに魔力を注いじゃって。」
興奮した赤いドラゴンの熱い鼻息が顔を炙る。ドラゴンの吐く炎の息って鼻からも出たりするのかな。
服を脱がされる事は免れたけれど、人間の女の子と同じようにドラゴンも行動するのなら、ボクは次の瞬間に死ぬかもしれない。
頬ずりとするよね。
感激して人形に頬を寄せて愛情を表現する。かわいらしい女の子がしているのを見る分には微笑ましいけれど、今、ボクの前にあるのはドラゴンのゴツゴツの鱗に覆われた赤い頬だ。
すりすりとなんて可愛らしい擬音は聞こえなくて、ゴリゴリと肉と骨が削れる音だけが頭の中に響いてくる。
悪い想像しか浮かんでこない。
「ソン!」
赤いドラゴンがソンドシタ様を愛称で呼ぶと、黒いドラゴン尻尾がびしりと空を向く。それはまるで悪いことをしでかした子供が、呼び止められて直立不動になるかのように。まぁ、赤いドラゴンから逃げ出そうとしていたソンドシタ様だから、心当たりはあるよね。
「なにかな?姉上。」
「約束通り魔晶石を動かして。」
「約束などしとらん。」
ぴりりと緊張が走る。
なんで尻尾を丸めてお姉さんに反抗するのかな。赤いドラゴンの鱗の生えた手がかすかに動いて、ボクの体が締め付けられる。ドラゴンが倒れてきたら死ぬと思っていた時以上に、死を身近に感じた。
喧嘩を始める原因になったのは確かに魔晶石の位置だったけれど、ケンカに勝ったら魔晶石の位置をずらすとは約束してないとソンドシタ様は言い張った。
「もう1回死んでくる?」
見上げる赤い瞳は炎のように揺れている。今はボクに向けられていないけれど、いつその瞳が自分に向けられるか分からない。せめてドラゴンの手の中にいる時だけは止めて欲しいかな。
「…。」
赤いドラゴンはもう一度ゆっくりとソンドシタ様に緑の魔晶石を動かすように命令する。もごもごと口を尖らせながら、しぶしぶとソンドシタ様が指を振ると、緑の魔晶石はするすると腕輪を回って黒い魔晶石の隣に移動する。たったこれだけのために死んでまで抵抗するのかな。
赤いドラゴンがウインクして白い魔晶石の隣に赤い魔晶石を浮かべると、満足げに頷いて再びボクに問いかけてきた。
「ねえ、姫ちゃんは元気だった?あ、どうやってあの娘と会ったの?というか、彼方ってどうしてここに居るの?」
赤い魔晶石をくれた理由を聞く暇も無く、赤いドラゴンの質問攻めが始まったんだ。
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次回:ドラゴンの点鼻薬の『レシピ』




