朝霧
第6章:手紙を届けるだけだったんだ。
--朝霧--
あらすじ:山賊の野営地を突破。
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しばらく月夜を走って逃げて山賊が追いかけてこないと確認してから、ボクはカプリオにランタンを付けるために馬車の速度を緩めた。追いかけられたりヴァロアが大声をだしたりするかと思ってドキドキしていた鼓動は静まり、山賊を出し抜くことができた喜びがボク達の気を緩めて笑いあった。ヴァロアもいっしょに。
山賊が泊まっていた小屋の前から山は迫ってきて、山際の切り立った崖に道は狭くなり大渓谷が傍に寄った。カプリオの頭に取り付けたランタンにヴァロアの案内もあって幌馬車は危うげなく進んでいくけど、ランタンの灯りが山裾の崖面を照らすほど迫ってきている。
「冷えてきたっスね。」
ヴァロアが青いだぶだぶのマントを体にまとわせて白い息を吐く。道は少しずつ登っているけどカプリオは苦も無く進む。耳からはヴァロアの弱ったような声が入ってきて脳裏にはカプリオと話すジルの『小さな内緒話』の声が聞こえるのでちょっと混乱する。
「眠くない?寝てても良いよ?」
ヴァロアはずっと走って追いかけてきていたので、疲れも溜まっていると思う。ヴァロアが寝ていても夜中に起きて旅をする人とすれ違う事もまじかに迫った崖から動物が飛び出して来ることも無い。
大渓谷が近くて怖いけど、ランタンで照らせるほど迫った崖面に沿って進んでいれば落ちる事も無いんじゃ無いかな。ジルとカプリオも見張っていてくれているし。
「大丈夫ッス。まだまだやれるッスよ!」
朝まで酔客を相手に歌っていた事に比べれば楽勝だと力を込めて笑うヴァロアだけど、山賊の野営地を抜けてからは口数が減って、たまに頭が揺れている。
「ハンモックを掛ければ横になれるから。交代で寝ようか。」
幌馬車の柱の間にハンモックを掛ければ体を休めることができる。カプリオに幌馬車を止めてもらって、遠慮するヴァロアを新しく買ったハンモックに押し込んだ。
交代で寝る事を提案したけど、ボクはもうしばらく眠るつもりはない。山と渓谷の狭い道を抜ける間はもう少し気を抜かないようにするつもりだ。山を抜けたらヴァロアと交代して少し寝かせてもらえば良いよね。隣に立てかけてある薪割りの剣をちらりと見た。
ガタゴトと鳴る車輪の音に混じってすぅすぅと寝息が聞こえる中、『小さな内緒話』でジルとカプリオといっしょに、どうやってヴァロアに諦めさせるかと頭を痛める。良い考えが何も浮かばないまま坂道を登っていると辺りが白んできた。
間際に流れる大渓谷の底の川の水が、夜の間に冷やされて朝霧となった。辺りをモヤが包んで光のもとになる朝日は見えなくて、ぴぃぴぃと囀り始めた朝鳥の姿も隠してしまう。ランタンの灯りが役に立たなくなったのでカプリオから外すためにまた馬車を止めてもらった。
(まったく前が見えないな。こんなに霧が深くなるのかよ。)
朝日を浴びた真っ白な霧のせいで、夜よりも見通すことができなくなった。川の流れに沿うように行く手から朝霧が流れ込んできてどんどんと視界が悪くなっていく。
(しばらく進むのを諦めた方が良いかな?)
まとわりついた白い霧が顔を濡らす。日が昇って足元の轍は見やすくなったけど、道の先の方は全然見えない。圧迫感のある崖の迫った街道をさっさと抜け出したいのに。山賊が襲ってくるならこういうところだよね。
「真っ白ッスね。」
役に立たなくなったランタンを外すために幌馬車の足を止めたからか、ヴァロアもハンモックから身を乗り出してきた。『帆船の水先守』といい、揺れる船の上でしか寝れてないと言う船乗りの性質をヴァロアも持っているのかもしれない。揺れていないと眠れないとか酔っ払いの冗談だと思っていた。
「おはよう。少しはスッキリした?」
「寝てしまって悪かったッス。」
昼寝程度の時間しか眠れていないと思うけど、トンガリ帽子を抱えて瞼をこするヴァロアの鳶色の瞳には生気が戻っていた。手をふって応えて、余計に諦めさせるのが難しくなったと心の中でため息を吐きながらランタンを外した。
「ヴァロアなら、この霧の中でも案内できる?」
右を見ても左を見ても白い霧の中。道がどちらの方向に進んでいるか判るだけでもカプリオがかなり楽になるハズだ。
「余裕ッス。そのための『水先守』ッスから。」
入り組んだ海岸線だと特に深い霧が出る事があるそうだ。入り江で船を岩にぶつけないために見通す『帆船の水先守』の力を存分に発揮するとヴァロアは鼻息を荒げてハンモックを降りて御者席に立った。
だぶだぶの青いマントはボクの皮のマントとは違って布でできているようで、霧を含んで色が濃くなっている。布のマントの方が染めた色が鮮やかで軽いけど、雨の時は染みて大変そうだ。皮のマントだと濡れた後の手入れが面倒だけど。
「…足音がするッス。」
深い霧の中、幌馬車の上でヴァロアは振り向く。幌の後ろを覗きこんで集中しているようだ。
夜の間に追い越してきた山賊が後を追ってきたのだろうか。いや、山賊だって追って来なかったし、夜中の間中歩いてかなりの距離が開いているハズだ。
「足音は4つ。」
声を殺して伝えられた情報に息を呑む。野営をしていた山賊は2人だった。それも馬に乗っていたんだから足音といっしょに蹄の音が聞こえてくるはずだ。
「ヒョーリ!早く乗って!!」
「ヴァロア、受け取って。」
ランタンを外すために幌馬車を降りていたボクにカプリオが小さな声で叫んだ。足音の主を推測している間にボクの耳にも足音が聞こえてくる。手に持ったランタンをヴァロアに預けると、ボクも幌馬車に手をかける。足音は歩いていない。走っていたんだ。
「ひゅ~。車輪の音が聞こえないから嘘だと思ってりゃ、おあつらえ向きに止まってるじゃねぇか。」
白い霧をかきわけて大柄な男と追従するような影が揺れる。ひとり、ふたり。足音は4っつだとヴァロアは言っていたから、幌馬車の影にもいるのかもしれない。
「でしょでしょアニキ。オレが言ったことは嘘じゃ無かったでしょ。」
御者席に登るために片足を上げたボクの横、幌馬車の後ろから余裕の表情を見せた山賊が現れた。だけど、言葉とは裏腹に頬はコケて血走った目の下に濃い隈を作っている。野営をしていた2人の山賊とは違う。
彼らはボロボロになった皮の鎧を着ていて、ボロボロの鎧に見あうようなボサボサの髪の毛を晒している。彼らに追いつかれる前にさっさと馬車に乗っていれば良かったと後悔する。考える前に逃げ出していれば良かった。
「ああ、まさか夜中に馬車を出そうなんて商人がいるとは思わなかったぜ。役人が来ないか見張るための夜警が、こんな所で役に立つとはよォ。」
彼らは商人を襲うために見張りを立てていたんじゃなかった。彼らを取り締まりに来るかも知れない衛兵たちから逃れるために見張りを立てていたんだ。
「動くんじゃねぇぞ!久々の獲物だ。楽しませてもらうぜ。」
幅広の刃こぼれだらけの山刀をだらりと下げて、怒鳴りつける山賊にボクの足は動かなくなった。
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次回:赤錆びの浮く『山刀』




