牢屋
--牢屋--
あらすじ:アンクスを殴った。
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剥き出しの岩の壁、上の方にある小さな明り取りの隙間から入って来る陽の光が黄色く翳り、牢屋のまだら模様の鉄格子が断絶を主張するように輝いて、ボクはまた下を向く。
騎士たちの使う牢屋は街の人が入れられるモノよりも立派だった。街の場末の酒場で聞かされた物は地下にあって、魔法が使えないようになっているそうだ。浄化の魔法も使えないからもっと薄暗くて汚くて汚物や汗の臭いがあふれている場所だと聞いていた。
ここはお城の中にあるからなのか魔法が使えるから水にも困らないし、浄化の魔法を使う事もできる。
でも、ボクは浄化の魔法も治癒の魔法も使わずにいる。
アンクスの『破邪の千刃』を止めた影響だろうか、体がズキズキと痛むのに。吹き荒れる嵐のような風をまとった勇者の剣が地に落ちた影響だろうか、体中が埃だらけなのに。やる気も無くて、呆けたように冷たい石の床で膝を抱えている。
土と埃の匂いに混じった血の匂いと、体中のあちこちにある痛みがボクを罪人だと感じさせてくれる。ボクにはもう何もない。口の中が血の味でいっぱいだ。
牢屋に入れられる前に、王妃様にもらった鎧もカナンナさんのマントも、そしてジルまでも取り上げられた。
ジルがいてくれたら元気づけてくれるのに。
カプリオが居てくれたら、安心して眠れるのに。
カプリオはボクを助け出そうとしてくれたんだけど、剣を突き付けられたボクのせいで動きを封じられた。アンクスの剣を躱すのが精いっぱいで騎士の動きまで把握できてなかったと悔やんでいた。ボクが悪かったんだから、そんなに悔やまなくても良いのに。
無理をしてカプリオに乗って逃げ出せば良かったんだろうか。いや、勇者を殴ったんだ。きっとボクは指名手配されてこの国では生きていけない。魔族の街に逃げれただろうか。いや、きっとボクは魔族の街でも捕まってしまう。
他の国ではどうだろうか。行ったことも無い場所で、また裏路地で占い師を続けられるのだろうか。冒険者ギルドのマッテーナさんのような人に出会えなければ、ボクは今度こそ飢えてしまうかもしれない。
どうせ、逃げられなかったんだ。王様の目の前で勇者を殴ったんだから重たい罰を受ける事になるだろう。奴隷になる…程度じゃ済まないかも知れない。
けど、ボクは殴ったことを悔やんではいない。
ジルは元の宮廷占い師の所に戻ってしまうんだろうか。
牢屋の冷たい石の床が黄色から赤く変わり、ゆっくりと暗くなっていくのをぼんやりと見つめていた。静かな闇にコツコツと足音が響いて、牢屋の外の重たそうな扉が開いた。
「そこのヒモを引っ張るとベルが鳴ります。何か有った時には遠慮せずに引いてください。」
「部屋から出る時は2回。2回でなければ緊急呼び出しだったわよね。」
「すぐに駆け付けます。今は、おとなしくしていますが、魔王の手下かもしれないので、気を付けてください。」
「尋問にも答えなかったのでしょう?」
「ええ、黙ったまま抜け殻の様でしたよ。でも、ああいう輩は何をするか解ったもんじゃ無いから、か弱い女性を人質にとる可能性もあります。」
「大丈夫よ、ありがとう。そんなに時間はかけないわ。」
陽が落ちて暗くなった牢屋に魔道具の燭台の明かりが差し込んできた。男の説明を確認したのは意外にもカナンナさんの声だった。
ゴロゴロと押されるワゴンからは良い匂いが漂ってきて、ぐぅっとお腹が鳴った。こんな時でもお腹が空くんだと自嘲する。
「お~い!大罪人!!ご飯だよ~。」
茶化すように明るい彼女の声が重苦しい牢屋の雰囲気には似合わない。いっそのこと『なんて馬鹿な事をしたの?』と問い詰められたり、『魔族の手下だったなんて信じられない!』と罵ってくれた方が気が楽だと思う。
「カナンナさんは、どうしてここに?」
ボクは冷たい鉄格子をはさんでカナンナさんの前に立った。
王女様付きの侍女、それも行儀見習いで侍女をやっているだけで本当は伯爵家のご令嬢だ。罪人が入る牢屋に来るような人じゃない。罪人相手なら、もっと身分の低い人が食事を持ってくるはずだ。
「差し入れよ。ヒョーリはこんなご馳走食べた事もないでしょ?」
ウィンクするカナンナさんの手がワゴンの上の丸い銀色のクローシュを開けると、ほかほかと湯気が上がって美味しそうな匂いが一段と強く漂い、最後の晩餐という響きが頭に浮かぶ。
「…やっぱり、死刑かな?」
王様の前で暴力を振るった事。大事な凱旋式典を途中で止めてしまった事。魔族の肩を持ってしまった事。思い当たる罪状はいくらでもある。カナンナさんは優しいから、死刑になるボクのために最後に美味しい物を食べさせようとして、ワザワザ来てくれたに違いない。
「そうね。最後の食事かも知れないから、ちゃんと味わってくれなきゃダメよ。」
足元からへなへなと崩れ落ちる。死刑かも知れないと思っていたけど、面と向かって言われると立っている足に力が入らなくなったんだ。目の前が涙で歪んで見える。『ほら見ろやっぱりだ』と言うジルの呆れた声が聞こえるようだ。
「あ~!ウソうそ。どこに居たって突然死ぬことになるかもしれないんだから、いつだって最後の食事と思って、大事に食べなきゃダメって事よ。死刑に決まったわけじゃないのよ。ホントよ。」
「決まったワケじゃ無いって、決まってないだけで死刑かも知れないんでしょ?」
慌てて慰めてくれる彼女の揚げ足を取るようだったけど、貴族の前で暴力沙汰を起こしただけで死罪も有りえるのに、貴族よりも上の立場の王様の前での暴力沙汰を起こしたんだ。貴族だったとしても重たい罰になるに違いない。
「そりゃ平民が起こした騒ぎで式典が中止になって王様の面子が潰れたとなれば普通は死刑よね。でで、なんであんなことしたの?もしかして魔族のお姫様に恋でもしてた?かわいかったの?それとも、恋人だったりした?」
ニヤニヤと笑う彼女は噂好きのオバちゃんと変わらない。ボクが暴力を振るったのが、アンクスが姫様の魔晶石を王女様に献上する時だった。だから姫様に懸想をしていたとカナンナさんは思ったらしい。
ボクは姫様に恋をしていたのだろうか。
「恋、なのかな。」
姫様の事を考えるとドキドキするけど、好きって気持ちが分からない。熱いお風呂でのぼせたボクを助けてくれたから気になっているのかもしれないし、姫様がアルビノで辛い人生を歩んだのに明るく振舞っていたのを知っているから気になるのかもしれない。
燭台の明かりが届かない部屋の隅をじっと見つめる。
「あの魔晶石が私の命でできた物でも、ヒョーリは勇者を殴りに行ってくれたの?」
カナンナさんの頬が少し赤い気がする。それは揺れる燭台の魔道具のせいかもしれないけど。
「きっとね。」
きっと、カナンナさんが殺されても、ボクは同じようにアンクスを殴っていたと思う。
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次回:王妃様の『凱旋パーティー』




