イカダ
--イカダ--
あらすじ:川に落ちた。
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じゃっぱーん!
きらきらと輝く気泡が水面に上がっていく。
冷たい川の水が、皮の鎧の下、王宮で貰った服の下に浸み込んできてボクの肌を触るり、水の底へと引きずり込んでいく。
川の流れに押されて昏い水の底をゴロゴロと転がると水の中を土煙がもうもうとあがり、水面がきらきらと太陽の光を反射させるのを見て綺麗だと思う間もなく、鼻に水が入り込んできてツーンとする。
「ごぼっ。」
水が入った鼻が痛くなって口を開けてしまったら、口から大きな泡が出て行って、代わりに大量の水が喉に押し寄せてくる。空気を求めてもがいてみても、マントが絡まって上手く手足が動かせない。すぐそこに有る水面が遠く感じる。
ボクは泳げない。
ボクの生まれた村にも小さな川は有ったのだけど、泳ぎ方を知らないんだ。小さな頃に暑さをしのぐために水浴びをする事は有っても、川の浅い場所で溺れる訳もないので泳ぎ方を習う事は無かった。川魚を獲る友達の中には泳げる人もいて見た事はある。
どうやって友達が泳いでいたのか思いだせずに、夢中で腕を伸ばしてみるんだけど、木の棒の体を持つジルを握る右手は、なぜかまったく動かない。
(ヒョーリ!オレを手放せ!)
焦った声でジルが『失せ物問い』で話しかけてくる。
真っ白になった頭の片隅で、水の中でも会話ができるんだと感心するけど、手を離す事は考えられない。ジルは木の棒にしか見えないんだ。飾り布やら占い師の旗やらで飾られていて他の木の棒とは違って見えるけど、もしも手放してしまったらどこまで流れていくか分からない。
ジルを握る手に力を込める。
(違う!体の力を抜くんだ!)
溺れた時は無理にもがこうとしないで、体から余計な力を抜いた方がいい。人間の体は水に浮くようにできているらしい。けど、耳に入ってくるジルの言葉は聞こえているのだけど、ボクの頭を何も考えられずに真っ白になっていて、ジルを力強く握りしめて動かない腕を懸命に動かし続けている。
息が続かない。口を開ければ水が入ってくるから固く閉じていて、つられるように目もぎゅっと閉じて手足だけを無暗やたらに振り回す。
目の前が白くなったと思うと、唐突に黒くなった。
「がぽっ。」
口から最後の空気がこぼれた。
ジルの声が聞こえるけど、何を言っているのか分からない。
意識が途切れると思った時、ボクの手を何かが突いた。最後の力を振り絞って手首だけを動かすと、ジルよりも太い棒のようなものをつかむことができた。
ぐんぐんと水面に持ち上げられているのが分る。体に纏わりつく水が流れていっているんだ。
「ぶはっ!げほっげほっ!」
顔に感じていた水の冷たさが無くなった時、無意識に大きく息を吸い込んだ。水を吐きながら咽るけど、新鮮な空気が肺に満たされていくのが解る。太陽が温かい。
「大丈夫か?」
ボクがつかんだ棒は丸太のイカダを操作するための竿だったらしく、長い竿の持ち主のオジサンは心配そうに、でもどこかのんびりしたようにしていた。大人にしては少し小柄なオジサンは、太陽に焼けた顔に白髪が多く混じった髪を束ねていた。
ゼイゼイと息をしながら首を縦に動かすのが精いっぱいだったけど、オジサンの人にはそれで伝わったようだ。
「体の力を抜きな。」
竿を脇に挟むようにしてしっかりと体を固定させると、オジサンに言われたように体から力を抜こうとする。
溺れている時にジルが体の力を抜けば人間の体は浮くようにできていると言っていたのを思い出すけど、どうやったら力を抜く事ができるのか分からない。不安定な水の中で水面に顔を出し続けようと思うと、どうしても体に力が入るし。水が入って痛む鼻をどうにかしたい。
四苦八苦しているボクに声をかけ続けてくれるオジサンは、太くは無いけど、しっかりと筋肉が付いた腕でボクを引き寄せてイカダにつかまらせてくれた。遠くに新しい砦を建てている村が見える。川の流れが速いようには見えないけれど、だいぶ流されてしまったようだ。
「ほれ、乗っかれるか?」
オジサンはボクを丸太のイカダに乗せようとして手を差し伸べてくれた。声をだして返事をするほど力は無くて、うなずいてオジサンのゴツゴツした手を取ろうとした時、声が聞こえた。
「ひょ~~~り~~~~!」
後ろからカプリオの泣きそうな声が聞こえてきた。目の前のオジサンの驚いたように固まった表情に、何事かと振り返るとカプリオの巨体が宙に舞っていて、ボクは目を見張った。
太陽の輝く空を青い空に手足を、めいいっぱい伸ばしたカプリオの黒い影が浮かんでいる。
魔王の城で縦横無尽に走り回ったんだから、カプリオが走って大きくジャンプする事は不思議ではない。不思議ではないけど今は非常にマズイ。ボク達めがけてカプリオの巨体が瞬く間に落ちてくる。
丸太のイカダの上へ。
ざっぷ~ん!
カプリオがイカダの前の方に着地するとイカダが斜めに傾いた。王都へと丸太を運ぶために結ばれただけの簡素なイカダが傾いて、川下へつんのめるように突き刺さる。
オジサンがイカダから落ちる。
どっぼーん。
オジサンは綺麗な弧を書いて川下の方へ飛ばされて大きな水柱を上げるし、ボクも傾いたイカダが起こした渦に巻き込まれて再び水の中に吸い込まれてしまった。
ごちんっ!
水の中を鈍い音が聞こえてくるとオジサンが流れてきた。ワラをもつかもうと、もがくボクの手が流れてくるオジサンの服をつかんで引っ張ると、今度は楽に水面へと顔を出すことができる。
でも、泳げるようになったわけじゃない。
水面で満足に息をすることができないまま、今度はオジサンの重さで水の中に押し戻されてしまう。オジサンとボクが水面で行ったり来たりしているんだ。
ようやく暴れ疲れたイカダが水面で落ち着いた頃、カプリオの真っ赤な長い舌が伸びてきてジルをからめとった。右手にしっかりと握ったジルが引っ張られてボクがイカダに手をかける事ができる。
ボクが左手につかんだオジサンもいっしょに引きずられてきたので、オジサンもイカダの上に上半身を乗せることができた。
助かった。
ゲホゲホと水を吐いて荒い息を整えると、オジサンの様子を見た。気絶しているようだった。水の中で聞いた鈍い音はオジサンの頭をイカダが打ち付けた音だったようで、コブには血がにじんでいる。慌てて治癒の魔法をかけた。
「ごめんねぇ。」
カプリオが謝りながら赤い舌でボクをイカダに乗せてくれると、次にオジサンをいっしょに引っ張り上げた。見た目以上に筋肉の付いているオジサンはがっしりとしていて重たくて、濡れた服が動きにくくてキツイ。
イカダの上でぐったりとしたまま、ボクとオジサンを濡らしている水を魔法で操って服を乾かす間、謝り倒すカプリオの顔はいつも通りのっぺりしていて表情が見えない。
すごく疲れたから倒れ込んで辺りを見回すと、すでに村は見えない。
「どうやったら村に戻れるの?」
ジルからもカプリオからも返事は無い。
鳥の声がチチチと長閑に聞こえてくる。
泳ぎも知らないし、イカダの操り方なんてもっとわからない。幸いなことにカプリオがオジサンの持っていた竿も回収してくれたけど、使い方はさっぱりわからない。細い竿では水を掻いてもイカダは動かないよね。
オジサンは気を失っている。
ボクはイカダの上で途方に暮れた。
イカダはゆっくりと川を流れて行った。
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次回:槍を持った『門番』




