嘔吐
--嘔吐--
あらすじ:アンベワリィのお弁当に泣いた。
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魔王の森を進むうちに日が傾いてきた。青い空に姫様の姿を思い出してしまうけど、赤味がかった空も気持ちが昏くなる。
ジルに頼んで勇者の剣のある方向を『失せ物問い』に尋ねて貰っているから間違いは無いだろうけど、森が深くなるにつれて気持ちがどんどん沈むんで足取りも重い。
それでも、ボクはカプリオから降りて歩いている。魔王の城から飛び降りたり、街をジグザグに走り抜けたり、荒っぽい乗り方をしていたんだ。お尻が痛くなっても仕方ないよね。むしろ、お尻の皮が向けてなかっただけマシかも知れない。もう、治癒の魔法をつかうだけの魔力も戻って無いよ。
深くなる森は太陽の日が当たらないのか草もまばらにしか生えていない。手つかずの森の下草の少ない場所を選んで歩くと、倒木にはキノコが生えて岩には地衣類がこびり付き、ふかふかの腐った落ち葉にまでびっしりとコケが生えている。
(相棒、右の方から音が聞こえる。なんかいるぜ。)
(少し左に巻いて行こうか。)
ジルのお陰で声を出さずに会話ができるから、森の静けさの中で聞き耳を立てて警戒することができた。独りだったら心細いし話していたら聞き耳が立てられないから、とてもありがたい。
ポキッ。
(あっ。)
回り道をのために太い木を迂回しようとしたら折れた小枝を踏んでしまった。小さな枝は腐っていたり、腐った葉に埋もれて音がすることが少ないけど、たまにカラカラに枯れた枝が有ったりするので、なるべく踏まないように言われていたのに。
(大丈夫だ。足音は変わらないから、気づいてないみたいだぜ。)
こわばった顔を緩めて胸をなでおろす。ボクが慌てていてもジルが冷静に音を聞き分けてくれているから本当に頼りになる。魔獣は音に気が付かなかったのか、それとも満腹だったのだろうか。
地面を這いまわる木の根を避けて歩くと、柔らかい地面に地中深くまで潜っているはずの根っこが表まで出ている。下に大きな岩でも埋まっているのだろか。
頭で考えても分からない事に気を取られた隙に、足を捕られた。
ズルリ。
カプリオに乗っていただけなのに、思った以上に体が疲れていて足が上がっていなかったんだ。
転がって茂みに落ちる。
「うわっ!」
ギャギャーギャーギャー!!
バサバサと茂みから鳥が飛んでいく。鳥の巣があったのかもしれない。まったく動物がいる気配すら感じなかった。
(マズイ!ヒョーリ!隠れろ!!)
ザッ、ザッ、ザッ。
ジルの声を聞くまでも無く、魔獣の足音が聞こえて来て青ざめる。
ガゥア!
落ち葉の上を走る魔獣が、腰を抜かして転がるボクに飛びついてのしかかってきた。
「うわぁぁあ!」
間一髪、ボクはジルを魔獣の口に押し当てる事ができたけど、暴れる獲物を押さえつけるように魔獣は前足を動かすし、ボクは逃れようと必死にもがく。
目の前に迫る魔獣の口は、鋭い牙が並んでいて、赤々とした舌がヨダレをまとってぬめぬめと動く。魔獣が食べただろう肉の腐臭が混じった息が顔にかかる。ジルの棒の体の向こうに見える口から、べちょりとボクの頬にキツイ臭いのが落ちてきた。
「ヒョーリィ!」
ドスン!
カプリオが横から体当たりをしてくれると、魔獣がよろけて少しだけ隙間ができた。その隙を逃がさないように体を転がして魔獣の下から抜け出すと、ボクは一目散に走りだす。方向は解らない。
ガサリ。
前の方の茂みから音がした。少し遠い位置だけど、何かいる。
後ろには態勢を取り戻した魔獣が走りだす音が聞こえる。
「ひっ」!
足が止まる。
逃げられる場所を探して目だけを動かして見るけど、運悪く右には大きな木があって、左は登り斜面になっている。逃げ足は落ちるけど左へ逃げるしかない。
もつれる足で這いつくばるようにして斜面を登る頃には、後ろから走ってきた魔獣が襲い掛かってきた。前から聞こえていた音も近く大きく聞こえている。
「うりゃぁぁぁ!」
ザンッ!
背後まで迫った足音を避けるように頭を抱えて丸くなると、重たい音といっしょに魔獣の首が落ちた。
「おい、大丈夫か?」
大きな戦斧を構えたライダル様がそこにいた。
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「ありがとうございます。」
戦斧に浄化の魔法をかけるライダル様に、震える声でボクはお礼を言った。彼は手を差し伸べてボクを立ち上がらせてくれる。
「大丈夫か?って~か、いっしょに来て大丈夫なのか?」
何のことか良く分からないので聞いてみると、ライダル様は頭を掻きながら答えてくれた。
「いや、魔族の姫さんと仲良くなったみたいだし、もしかしたら魔族の街に残るのかも知れんと思っていてな。」
魔王の城でボクは姫様を抱きしめて泣いていた。ライダル様達はボクがそのまま城に残って姫様の遺体を弔うのかと思っていたそうだ。もしかしたら、他の魔族とも仲良くなってお墓を守って住み着くんじゃないかとも。
魔王はずぶずぶと消えていった。姫様もきっと同じように遺体が残らないんだろう。だけど、彼らはそんな事は考えていない様だった。
「人間だから、人間を引き入れたんじゃないかって、魔族に疑われて逃げる事になりました。」
魔王も姫様も人間に殺されて兵士がみんな殺気立っていたのに、人間のボクが安穏と魔王の城で暮らせるものか。人間だからってひとくくりにされてボクも疑いをかけられた。でも、助けてもらったばかりで厭味を言えるはずもなくボクは俯いたまま事実を答えた。
「もしかして、オレ達を恨んでいるのか?」
もしかしなくても恨んでいる。でも、戦いは魔王も望んだ事だったんだよ、多分。だって、ボクにアンクスを自分の部屋に通すように伝えて来たんだもの。アンクス達を捕まえるためなら、兵士たちがたくさん待ち構えている部屋でもボクに言わせればよかったんだ。
「どうせ、もうしばらくしたら人間の街に戻されそうでしたから。」
俯いたまま不貞腐れてボクは言う。姫様は人間の街へ帰る事を勧めてきた。セナ達がヤンコの民の討伐から戻ってきたら、森の端まで送ってくれるつもりだったんだ。戻りたくは無かったけど。
今言うのは八つ当たりかもしれないけど。
ボクの杞憂をよそに、ライダル様は深く考えずに話題を変えた。
「まぁ、いいや。いや、オレ達も廃墟の時にオマエを置き去りにしてきたとか見捨てて来たとかさんざん言われてなぁ。かなり探したつもりだったんだが、他にも魔族が居るかも知れんしな。」
アンクスの言った通り王妃様やウチナ様に散々文句を言われたそうだ。どう見ても戦いには向いていない、ひょろひょろのボクを置き去りにしたロクデナシと。どうしてもっと近くで守ってやれなかったのかと。ウチナ様はそれを理由にアンクスを遠ざけてもいたみたいだった。
まぁ、本当に他にも魔族は居たし、危険を感じるのも無理ないのかもしれない。
「まぁ、生きてて良かったさっ!」
ボクの苦悩に気遣いの無いライダル様は二カッと笑ってドンッとボクの背中を手加減無しで叩くから思わず咽てしまう。
「ゲホゲホッ。」
「ふははははっ。だらしねぇヤツだな!」
涙目になって文句も言えないライダル様を振り返ろうとした時に、思わず魔獣の死骸が目に入った。さっき首を撥ねられた魔獣だ。
頭の無い魔獣がずぶずぶと腐っていく。
ずぶずぶと溶けるように。
2つに別れた魔王のようにずぶずぶと。
ずぶずぶと。
ボクは姫様を思い出して、少ない胃の中の物を吐き出して止まることは無かった。
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次回:木に揺れる『ハンモック』




