逃亡
--逃亡--
あらすじ:姫様が目を閉じた。
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晴れ渡った青い空の下、姫様が目を閉じた。
白い姫様の赤い瞳は優しく閉じられているけれど、いくら声をかけても揺すっても起きはしない。
(ヒョーリ…、もう止めておけよ。)
ジルが声をかけてくれた時にはボクの声は枯れ疲れ果てていた。治癒の魔法に魔力も使いすぎてフラフラする。
(でも…。姫様が…。)
巨大な魔王の体はずぶずぶと溶けて地面に消えていっている。姫様の体もこれから消えてしまうんだろうか。訓練場の隅の日の当たる木の根元に彼女の体を預けると、優雅に日向ぼっこをしているようにさえ見える。その胸の傷が無ければ穏やかな表情だった。
ボクに心配をかけないように微笑んでいると思うと更に辛かった。
(可哀そうだが、城の中が騒がしい。魔王が殺されて殺気立っているぜ。)
長いあいだ叫んでいた気がしたけれど、それほど時間は経っていないらしい。
姫様が崩れていく姿を見たくなくてボクはのろのろと背を向けて愚者の剣を拾うと後悔がまた押し寄せる。姫様に何かあった時に守れるようにって剣を振る練習をしていたけど、結局、役に立たなかった。アンクスに軽く絡めとられて終わりだった。
愚者の剣の鈍色で傷だらけの刃に映る歪んだ自分の姿に耐えられなくて剣を腰に戻すと、訓練場の向こうから魔獣に乗った魔族の兵士たちが隊を組んでボクの元にやって来て白い槍の穂を向けられた。
「オマエも仲間だったのか!?」
「…ボクは…何も…してないよ。」
黒い毛むくじゃの魔族達。背の高い彼らに囲まれていると、まるで大人の男たちに囲まれた小さな子供のように思える。
何もしていないとは言ったけど、実際にはカガラシィに言われてアンクス達を魔王の部屋に誘導した。でも、言ったら余計に話がこじれそうだし、枯れた声は震えて、かすれたようにしか返事ができない。
突き付けられた槍の先には城の食堂で食事をしていた魔族が何人も見えた。大切な物を無くした人。くだらない探し物の占いを注文した人も、それに横からチャチャを入れながら聞いていた人もいる。あの時は笑い合えていたのに、今は大きな口に生える牙を剥いてボクを睨みつけている。
助けを求めて辺りを見回すけど誰もいなかった。風さえも静かだ。アンクス達はボクが声を枯らしている間に逃げてしまったらしい。ここに残っていれば今のボクみたいに魔族に囲まれておしまいだからね。
「警備が手薄になっているのを知って、アイツ等を手引きして城に入れたんじゃないか?」
セナ達が大軍を引き連れてヤンコの人たちと戦いに出て行っているのは知っていたけど、アンクス様達が魔王城に来ていた事は知らなかったんだ。ボクが手引きして城に入れたなんて事は無い。
体が震えるのを押さえて、黙って首だけを振る。
その姿に納得できないらしく魔族が視線を動かした。質問を変えるために考えるように視線がボクから離れて宙をさまよう。そして、一点を見つめて目を見張った。
「その後ろに居らっしゃるのは姫様か!?キサマ!」
魔族の黒い目が赤い色に揺れると、ボクに向かって槍を振るう。
「ぐわっ!」
叩きつけるように振られた槍に殴られて体中の空気が開ききらない喉から一度に漏れる。ボロ屑のように吹き飛ばされた先で、白いモコモコの毛皮にぶつかった。
「ヒョ~リ~。つかまって~!」
白いモコモコは頭を低くしてボクの体を掬いあげると流れるように走り出した。モコモコの長い毛に何とか腕を絡めて背中にしがみつくと、カプリオは訓練場を斜めに横切って城の壁を駆け上がる。屋根の上でカチャカチャと音を立てる頃にボクはやっと身を起こす事ができたんだ。
「…どうして…ここに?」
屋根の上を駆けるカプリオの背中で喋ると強い風が口の中で暴れまわった。槍で殴られたお腹に治癒の魔法をかけようとするけど、魔力が足りないのか発動しない。
(どうしてって、食堂に行ったらアンベワリィが教えてくれたよ。)
ジルが気を利かせて『小さな内緒話』で中継してくれて、カプリオは事も無げに答えるけど、聞きたかったのはそう言う事じゃない。
(なんでボクを助けてくれるの?)
魔王の名前を知っていたんだ。親しげだった魔王の知り合いだから、彼はボクなんかよりも魔族の方の味方になるって思っていたんだ。
(友達だからぁ?)
考えるようなフリをしながらカプリオは城から飛んできた矢を器用に躱す。のんびりとした口調とは裏腹に魔族達とは激しい追いかけっこをしているんだ。命がけの。前を向いていて見えない彼ののっぺりとした顔は、きっといつもと変わらず涼しげなんだろう。
「ヤツを逃がすな!きっと他のヤツ等の場所を知っているハズだ!」
「姫様が血を流されたんだ!八つ裂きにしろ!」
「人間を殺せ!」
後ろを追いかける魔獣の上の魔族達の声もどんどん過激になっている。
カプリオはのんびりと疑問形で返事をくれたけどボクには心当たりがない。セナに捕まった時に助けてくれて、いつの間にか一緒に居ていっしょに薪割り小屋で暮らしていたけど、いつの間に友達になったんだろう。
(友達って…?)
今まで彼に何かをしてあげた事は無いし、それどころか廃村でもセナ達に捕まった時も、そして今も助けてもらってばかりだ。のんびりとした彼にイライラして邪険に扱う事もあった。
(いっしょに寝たのに、今さらぁ~。)
彼のからかうような軽い口調に、薪割り小屋で初めて寝た時に食堂の喧騒から逃れるように身を寄せ合って寝た事を思い出して顔が赤くなる。独りの夜が寂しくて心細くて、彼のモコモコの毛皮に抱きついて寝たんだ。
(でも…。)
彼のモコモコの毛をぎゅっと握りしめる。
(ボクにも目的があるのさ。それに、ジルと一緒だと夜も退屈しないしねぇ。)
そう言って、またひらりと矢を躱す。
夜通し眠ることができないジルと話し込んでいる事は知っていたから、結局はジルを助けるためにボクを助けてくれたんだと感じた。だけど、ジルのついででも助けてもらってばかりじゃ気が済まない。
(目的って?)
(ん~。ご主人様の言いつけでね、その剣を見守ってくれってさ。)
いつか、彼の助けになれるようにと質問をしたのだけど、意外な返事が返ってきた。腰の愚者の剣に目を落とす。カプリオといっしょに有ったんだからこの剣の事だろう。
(アンクスの持っている勇者の剣じゃ無くて?)
ボクの腰に刺さっているのは愚者の剣。姫様を守れなかったボクのような愚か者の剣だ。カプリオのご主人様が見守るように言いつけるなら、アンクスの持っている勇者の剣だと思うんだけど…。
(カプリオ。アンクス達も逃げきれたようだぜ。)
不意にジルが会話に入ってきた。
(勇者も逃げきれたみたいだし。そろそろ良いかな。それじゃヒョーリ、飛び降りるよ!)
槍を持った魔族に追いかけられて矢が飛んでくる中、いつの間にか魔王の城の端の高い所まで来ていた。眼下には大きな体の魔族の街が小さく並んでいて、うっそうと茂る広い魔王の森がその後ろに遠くまで見える。
そんな中、彼らはアンクス様達の事まで気にかけていたんだ。跳ねるように駆け回りボクと話をしながらでも。
(無理だよ!高すぎる!!)
魔王の背丈よりも高い魔王の城の屋根の上。遠くまで見える景色から目を逸らして後ろを見ると、高く青い空を背景にした訓練場を見下ろす塔に黒い魔獣がいた。その隣には白い魔獣が寄り添っている。
2匹の遠吠えが重なるように響いた。
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次回:アンベワリィの『お弁当』




