危難の兆候
馬車の中でもアリシアを抱えたままでいたフランツは、そのまま宿についても彼女を抱えて馬車を降りた。
「領主には帰るように伝えてくれ」
最初に目についた人間にそう伝えるとフランツは宿の中に入っていった。
慌てて迎えに出てきた他の使用人たちの横を素通りし、アリシアを部屋まで運ぶとベッドの上に横たえる。
ベッドの上に体を預けたアリシアはほどなくして目を覚ました。
「アリシア、大丈夫?」
「はい。落ち着きました」
「そうか、よかった」
アリシアは、すぐに我に返って体を起こそうとしたが、思うように動かることができなかった。
安堵の表情を浮かべたフランツが部屋から立ち去ろうとするのを見て、思わず声をかけた。
「あの……明日、やはりあの穴の中に入るのですか?」
「そうだな。明日は隣の穴になるはずだが、穴には入るつもりだ」
「取り止めることはできないのでしょうか?」
「どうして?」
「それは……危険だから……です」
まさか入口で炭坑の岩影に隠れていた動物に中の様子を聞いたとは言えない。
片方からはガスが漏れていて、長くいれば命がないかもしれない。
もう片方も壁面が弱く、これ以上採掘を進めると崩れる可能性があるという。
朦朧とする意識の中でカナリヤが教えてくれたのはガスのことだけではなかった。
それに中に入る前、リスも言っていたのだ、彼は鳥も動物も人間も平気で害すると。
入口で感じたガスは弱いものだったらしいが、アリシアの体調を崩すには充分だった。
もうひとつの場所のことも、大袈裟とは言えないだろう。
「何か気になることがあったんだね。話してもらえないかな」
「……わかりました。恐らくですが、私が体調を崩したのは、あの炭坑からガスが漏れているからです。彼らは交互に穴を掘り進めていると言っていましたから、ガスに耐性があり、その存在に気がついていないのかもしれません」
「つまり、近くにあるもう一つの方も……ということか」
「はい」
「私が先に中毒になると」
「そう思います」
「そうか……」
洞窟の奥が崩れにくくなっているということは、まともに入ることすらできなかったアリシアからは伝えにくい。
とりあえず危険であることを知らせるため、アリシアはガスが漏れている可能性があるという趣旨で伝えることにした。
「あと、ガスが多いところで火を用いて灯りをとるのは危険です。爆発する可能性もあります。ここにいる方々は専門家ですからご存知のはずですし、大丈夫だとは思うのですが……」
そして、動物たちに言われなかったが気になったことも伝えておくことにした。
おそらく真実であろう動物たちからの情報を、そうとは悟られないように交えながら、アリシアの知識から導き出される仮定の話として続ける。
「あと、土に植物の根が生えていなかったのです」
「根……?」
「はい。外で岩盤の側面に手をついた時に、壁が崩れました。そこが土だったからです。普通であれば日が当たり、雨などで水を得ることのできる土の周りには何かしらの植物が生えているはずです」
「掘削しているし、その際に植物も一緒に削れたのではないか?」
「そうだとしても、削っていない土の部分には根が残ります。根が残っていれば、植物は早く息を吹き返しますし、根に引っかかって土が大きく削れることはありません。もしくは削れた部分から根が見えるはずです」
アリシアは上級学校で論文を作成するために調べた知識も活用して説明を試みることにした。
話しているうちに意識がどんどんはっきしりてくる。
「仮に植物がないとして、だからこそ削りやすかったからそこを選んで掘削しているのではないのか?」
「そうだとしたら、地盤が弱いので、あの場所は崩落の危険が高いということになります」
「なるほどな」
「しかし、見せていただいた際に岩を削って鉱石を採取していると説明されました。領地が潤っていることを考えれば、確かにこの土地から鉱石は採れているのでしょう」
「それは間違いない」
領地経営に関してはそれ以外に大きな収益を得ることができない土地である。
この土地で他に鉱石を入手する方が難しいだろう。
経営においてはすでに帳簿で健全であることは確認済みである。
「もしかして、あの採掘場所はすでに使われていないのではないでしょうか」
「どういうことだ?」
「これは推測ですが、考えられることがいくつかあります。まず、同じ岩盤の他の場所からも掘り進めている可能性です。その場合、あの崖の周辺の危険はより一層高いものであることは間違いありません。掘り進めるうちに岩盤を突き抜けて土の部分を採掘した場合、土を支えるものがなくなりますし、弱い土を掘り進めればどうなるか……。あと、あの場所はもしかしたら大きな岩の上に土が降り積もってできた土壌の可能性がありますから、岩を支えている部分がなくなってしまったらと思うと……もし、誰も気が付いていないとすると、とても恐ろしいです」
「他は?」
不安そうな症状を隠さないアリシアに、まだ話が終わっていないことを察したフランツは続きを促した。
「もう一つは、すでにその場所からは採掘を行っておらず別の炭鉱を見つけて採掘を行っている可能性です。その場合はなぜその場所に案内しないのかを考える必要がありますが、先ほどの炭鉱の危険を察知したか、もしくは採掘しても何も採れなくなったかのどちらかではないかと思います」
「わかった。ありがとう。気をつけるよ。アリシアは体調が良くないのだから、まずはゆっくり過ごしていて」
「ですから……」
中止してくださいという言葉を待たずにフランツが言った。
「今日は視察に行かない。とりあえず改めて領主たちに話を聞いてみることにするよ。今日はこの建物の中にいるから安心して。いつでも呼んでくれていいからね」
「はい……。あの……」
「なに?」
「先に伝えられなくて申し訳ありませんでした。危険を肌では感じていたのです。それなのに、その場で違和感をうまく説明できなくて」
アリシアは自分が口にできなかったばっかりにフランツに害が及びかけたことに対して謝罪する。
「気にすることはないよ。もし一人で来ていたら間違いなく僕はあの中に入っていたし、それこそどうなっていたかわからない。アリシアのおかげでこれから最善の方法を考え、整えることができる」
「はい」
「間違えがあれば私が事故に巻き込まれる。それを心配してくれたんだね。わかった。気をつけるよ。アリシアは夕食の時間までゆっくり休んでいて。お昼も軽食をここに運ばせるようにするから」
フランツはそう言って、労るように彼女の肩に触れると、耳元でささやいた。
「できれば、今日、明日は部屋から出ないで過ごしてほしい」
アリシアは黙ってうなずいた。
アリシアは後ろめたさからフランツの顔をまともに見ることができず、顔をしっかりと上げて彼を見ることができなかった。
フランツはうつむき気味に顔を横に向けているアリシアの顔をのぞきこんだ。
「何かあったらちゃんと言うんだよ?」
アリシアは視界に入ってきたフランツに驚いて体を震わせた。
フランツは社交でおなじみの慈愛の笑みを浮かべて返事を待っている。
「は、い……、わかりました」
「ありがとう。おやすみ」
アリシアの返事を確認したところで、フランツはそれに答えるようにうなずいた。
そして、フランツはアリシアの顔を覗き込むためベッドの高さまで屈みこんでいた体を起して立ち上がり、彼はアリシアの部屋を後にすると、用意された自分の部屋に戻っていった。
フランツがいなくなったのを確認すると、気が抜けたのか、アリシアはそのまま再び意識を飛ばすのだった。




