炭鉱の街
山の街にある宿を早朝に出発したアリシアたちは、夕方に炭鉱の街に到着した。
街に入った時点で連絡が入ったのか、宿に着くとすぐに領主に笑顔で迎え入れられる。
「ようこそお越しくださいました。ぜひ夕食は我が家にてお召し上がりください。いついらしてもいいように準備は整えてございますので」
領主はフランツが馬車を降りるなり話しかけた。
「お気づかいはありがたいのですが、私たちは移動で疲れておりますので宿で休もうと思っているのですが」
フランツは応対しながらアリシアの手を取って馬車から降ろす。
「私なら大丈夫ですよ」
アリシアはフランツにお礼を言ってから小声で伝えた。
フランツは悩んだ末、領主に告げた。
「では少し休んでから彼女と伺うことにする。荷物の運び込みがあるのでご自宅でお待ちください」
「はい。ではお待ちしております」
言質が取れると、領主は機嫌よく家に引き返していった。
押し掛けてきた領主のせいで、フランツとアリシアは宿に荷物を置き、着替えを済ませると、誘いを受けていた領主宅での晩餐に向かうことになった。
先ほどまで乗っていた馬車を入口につけたままにしていたため、そこに二人は乗り込んだ。
「ゆっくり休めないけど大丈夫?」
「はい。先ほどまで座っていただけですから」
「あのね、さっきのを見ていればわかるかもしれないけど……ちょっと常識が足りない人たちなんだ。もしかしたらアリシアの気分を害することがあるかもしれない。こんな予定を入れることになってしまったことを先に謝っておくね」
「視察ですから仕方ありません。領主全員が良い方とは限りませんから」
アリシアはあっさりしたものである。
フランツからすれば婚前旅行に近い視察の旅という認識だが、アリシアからすれば視察と挨拶がメインの旅という認識で、二人の間には随分と考え方にズレがあるようだ。
しかしフランツがそれを正しても、今の状態ではアリシアを困惑させるだけだと判断した。
「……そうだね。でも、何かあったらすぐに言ってね」
アリシアは何かあっても言ってくれないかもしれない。
また一人で何かを抱え込んでしまうかもしれない。
浜辺での一件があってから、フランツはアリシアが必要以上に抱え込んでしまう性格なのではないかと考えるようになっていた。
フランツはできるだけアリシアから目を離さないようにしようと心に誓う。
実際のアリシアは人間からの言葉の暴力に心を閉ざしているため、フランツが考えるほど思い悩んではいないが、心に傷がつかないわけではない。
なかったように振る舞うことができるくらい、たくましい精神力を持ち合わせているだけである。
先ほどの失礼な振る舞いをされる程度なら、見て見ぬふりをしてしまうだろう。
「わかりました」
アリシアはフランツに心配をかけまいと、とりあえずそう答えた。
そんな話をしているうちに馬車は炭鉱の街の領主の家へと到着したのだった。
領主の家の前に馬車がつくと、領主とその娘がすでに家の前に立っていた。
やはりフランツが馬車から降りると、アリシアの降車を待たずに領主が話し始めた。
「先ほどは失礼いたしました。お待ちしておりました。どうぞ、ご案内いたします」
フランツがそれを聞き流しながらアリシアが馬車から降りるのをエスコートしていると、降りるのを見計らって領主が先頭を歩きだした。
そして娘がその後に続く。
二人が立ち止まってその様子を見ていると、彼女は少し進んだところでドレスを翻して振り返りフランツを呼んだ。
「フランツ様、遠慮なさらず、早くいらしてくださいませ」
フランツが歩き出すのを見て、娘は嬉しそうに自分の近くに来るまでその場で待っていた。
年はアリシアより少し若いだろうか、無邪気な笑顔を向けながら跳ねるように歩いている。
半歩下がって歩いているアリシアの前を、フランツとその横にぴったりとくっついている領主の娘が歩くことになった。
アリシアはその様子を伺いながら、邪魔をしないようについていく。
「折角ですもの、ゆっくりしていっていただきたいですわ」
「ええ、ゆっくりしたいので今日はすぐに帰りますよ」
「そうだわ、今からでも当家にお移りくださいませ。荷物などは運ばせますわ」
「いいえ、結構です。宿泊先で準備は整えていただいていますから」
「それでは滞在中一泊だけでも……」
猫なで声を出しながら体に触れようとしたり腕に絡みつこうとする娘を、フランツは触られることもなくスムーズにかわす。
「アリシア、疲れていないかい?」
フランツは領主の娘をしばらく構ったところで、半歩後ろを歩くアリシアの隣にフランツは寄り添った。
「ええ、大丈夫です。特に疲れるようなことはしておりませんから」
「長い移動の後だし、今日はこちらでの晩餐が終わったらすぐに失礼して二人でゆっくりしよう」
フランツは他人に有無を言わせない美しい慈愛の笑みを浮かべている。
「そう……ですね……」
彼女がそう答えると、フランツは急にアリシアの肩とひざ下に手をまわして彼女を横抱きにした。
「フランツ様、歩けますから……」
フランツは慌てて降りようとするアリシアの顔に自分の顔を寄せて耳元で言った。
「両手が空いていない方が都合がいいんだ。少しの間だけだから、捕まってて」
アリシアはそう言われてフランツの胸元に手を添えて、自分の顔が見えないように。自分の手の上に額をつけた。
領主の家でなぜこのようなことになっているのか分からないが、領主やその娘からは冷たい視線を浴び、すれ違う使用人たちも驚いた様子でこちらを振り返る。
アリシアからすれば恥ずかしくて居たたまれない行為だが、フランツには何か考えはあるのだろうとおとなしく従うことにした。
フランツはというと、この領地の人間、特に領主の家の人間に仲睦まじい光景をできるだけ多く焼き付けておきたかった。
これくらい目立つことをしていればさすがに二人の仲を疑わないだろうと考えたのである。
結局フランツは晩餐の会場に繋がるドアの前まで、アリシアを下ろすことはなかった。
ドアの前で降ろされたアリシアは、抱きあげられたことによって崩れたドレスを急いで元に戻す。
「あの……」
アリシアがフランツに話しかけようとすると、それを遮ってアリシアのドレスの乱れを確認したフランツが言った。
「うん。大丈夫だよ」
そして目の前が会場のため、そのままエスコートの態勢に入る。
アリシアは、とりあえず自分の言葉を飲み込んで、フランツのエスコートを受け入れた。
晩餐会場のドアが開かれるとすでに夜会が始まっていた。
フランツが来るからと領主がたくさん人を集めたようである。
決して大きい会とは言えないが、それなりの人数が集まっているということは、フランツたちが立ち寄ることが決まってから大急ぎで招待をかけたに違いない。
宿まで押し掛けてきたのも、フランツたちが現れなければ領主のメンツがつぶれるため、何が何でもここに来てもらう必要があったということのようだ。
ドアが開くと共に着飾った有力者と思われる人たちの視線が一斉にこちらに注がれた。
「皆さま、大変お待たせいたしました。王都から第二王子のフランツ様と、婚約者のアリシア様が到着されました」
領主自らが声を大にしてフランツとアリシアを紹介した。
その様子を見たフランツとアリシアは、作られた笑みを崩すことなく顔を見合わせる。
それを合図に、フランツが慣れたようにリードしながら、アリシアと共に会場の中に入っていくのだった。




