山沿いの栽培地
翌朝、予定通り視察が行われることになった。
二階で休んでいる人たちよりも早く起きて、自分で準備を整えると、部屋から改めて外を眺めた。
日が昇って明るくなった街は静かで、その奥の山の緑が朝露に濡れているのか太陽の光を浴びて輝いている。
窓を開けると澄んだ空気が部屋の中に入り込み、少しひんやりとして心地よい。
しばらく風に当たっていると、フランツが部屋に訪ねてきた。
「おはよう。早いんだね。昨日はゆっくり休めた?」
「おはようございます。フランツ様。昨晩はぐっすりと眠ることができました」
「よかった。窓を開けていて寒くないの?」
フランツは自分の部屋に比べてひんやりとした空気に思わず言った。
「空気を入れ替えるために今開けたばかりですから。お食事の時間ですよね。窓、閉めますね」
そう言ってアリシアは窓を閉めた。
そして二人は一階の食堂へ行き朝食を済ませるのだった。
朝食は夕食と同じようにフランツとアリシアの二人が食べて部屋に戻ってから、旅に同伴しているメンバーが一斉に食べるということになっていた。
フランツと部屋に向かいながら、アリシアは言った。
「この旅の間に是非、彼らとも一緒にお食事を楽しみたいです。王宮に戻ってしまったらそういうことはできないですよね……」
「そうだね。アリシアが一緒でいいって言うなら、そう伝えておくよ。全員一斉には無理かもしれないけど、交互にでも一緒に食事をする機会を作るようにするから」
「はい。ありがとうございます」
あっさりと意見が通ったことに拍子抜けしながらもアリシアはお礼を述べた。
「でもどうしたの?彼らと食事だなんて……」
「いえ、なんだか昨夜、下から聞こえてきたお食事の会話が大変楽しそうでしたから、ご一緒したいと思ったのです」
「そうか……。アリシアは家族が多いから、会話の多い食事の方が落ち着くのかな」
「懐かしく思ったのもありますが、長くご一緒しているのに、彼らのことを名前しか知らないというのは申し訳ないように思えてしまったものですから」
森の辺境領ではそもそもアリシアが異質な扱いを受けていたため、誰かと食事をするということは考えなかった。
王都上級学校に行って、さまざまなお茶会や夜会に出てから、直接話して相手を知ることがいかに大切なことかを学んだ。
この視察の旅が終わるまで、同じメンバーで行動するのだ。
彼らのことを分かっていた方が、話しかけやすい。
「そうだね。いいと思う」
フランツは言葉でそういいながら別のことを考えていた。
今の王宮内でアリシアの味方が少ない。
彼らとアリシアがこの視察の間に親交が深まれば、彼女も少しは生活しやすくなるのではないか。
フランツはその考えに至ると、できるだけ早くセッティングし、できるだけ多くの回数、彼女との交流の場を設けようと決心した。
部屋で待っていると、見慣れない馬車が宿にやってきた。
一階の様子をうかがっていると、領主が案内のために馬車を用意して迎えに来たということらしい。
その様子をそれぞれの部屋から眺めていた二人は同じタイミングで廊下に出た。
思わず顔を見合わせた二人だったが、フランツがすぐにアリシアの元にやってきて手を取り、一緒に一階へ降りることになった。
一階では領主が二人を待っていたが、手を取り合って階段を下りてくる二人が見えると微笑ましいものを見ているかのように笑顔を向けた。
「おはようございます。フランツ様。お初にお目にかかりますアリシア様。山の辺境までようこそお越しくださいました。どうぞ本日はよろしくお願いいたします」
「おはよう。忙しい中領主自ら申し訳ない」
フランツの言葉でアリシアは彼がここの領主であると理解した。
おそらくそのために言った言葉だろう。
「こちらこそよろしくお願いいたします」
アリシアは領主に頭を下げた。
自分の親と同じ辺境領の領主、アリシアより彼の方が立場は上になる。
「では早速ご案内いたしますからどうぞ馬車にお乗りください」
彼はそう言って二人を馬車へと誘導した。
最後に領主が乗り込むと馬車はゆっくりと走り出した。
馬車は森の中を通り、少し広い場所に出ると、目の前を流れる川沿いを進み始めた。
周囲には木も多いが、川の近くは馬車が通れるように整備されているようだ。
「まずは、穀物の栽培地からご案内いたします」
「山の中で農業を行っていらっしゃるのですか?」
アリシアが驚いて声を出した。
「そういえば、森の辺境領では、農業って見かけなかった気がするな」
フランツがアリシアの言葉を拾った。
「はい。あの土地は農業には適さないので……」
「そうなんですか?」
今度は領主が驚いたように尋ねた。
「はい。こちらは山から湧き出た水が川となって街を潤していますが、森の辺境領は平地の森なのです。地下に水脈があるので水をくみ上げることはできるのですが、広大な田畑を潤すほど水が豊富ではないのです。水は湧いていますから、泉や沼地のように溜まっているところはあるので、そこでは作物を育てやすいのですが……」
実は森の辺境領に川はない。
地下の水脈から溢れだした結果できあがった泉と、掘削してくみ上げることのできる場所からしか水を手に入れることができないのだ。
それでも他の土地に比べたらきれいな水が豊富なため、人々が生活する場所には生活用水を供給することができる貴重な土地である。
「なるほど。では折角ですから、農地をご覧いただいた後、水が壮大に落ちる場所を御覧いただきましょう。川の上流になります。途中までは馬車で行けますが、その後少し森の中を歩くことになりますがよろしいですか?」
「はい。かまいません。お願いいたします」
フランツはその様子をただ慈愛の笑みを浮かべて眺めているのだった。
「こちらでございます」
馬車はほどなくして、森を切り開いて作られた階段状の畑に到着した。
すでに水が張られているため、水面には空が映しだされている。
そして、風が吹くたびに水面が揺れて光が反射して輝きが変わり、水面が静まるとまた空を映すという情景が広がっていた。
「山を切り開いて、平らにならしたところで穀物を栽培されているのですね。ここまで切り開くのは大変だったのではないですか?」
水の張られている栽培地の広大さと、その美しい景色に感動してアリシアは言った。
「はい。木を切り、切り株、根を取り除き、栽培できるよう土地を平らにして作りました。最上部から水を流して全体に行き渡らせる仕組みとなっておりますので、平らと申しましても、水が栽培地の中、全てに行きわたるように畦の所々に溝をつけ、全体は山の下に向かって傾斜を残しております。畦道から上り下りできるようにすることで、細かく区切った土地の行き来がしやすくなるよう工夫しているのです」
この栽培地に流す水は、すぐ横を流れる川から引くのではなく、流れを分岐させることで、上から下に流れるようにしているという。
自然の摂理に逆らうことなく水を引くことができる良い方法といえるだろう。
「収穫の際には水は入っていません。一年に一度、最初に水を入れるときはお祭りのように盛り上がります。ぜひいつか見ていただきたい」
乾いた土地に水が流れていく光景はさぞすばらしいだろう。
「そうですね。私も見てみたい」
フランツがすぐに同意を示して、アリシアのほうを見た。
アリシアもフランツの視線に気がついてそちらを向く。
「一緒に見られるといいね」
「はい」
そんな中むつまじい光景を領主が温かく見守っていたが、二人はそのことに気がついていない。
「そろそろ参りましょうか。先ほどご紹介した場所までは少し時間がかかります」
しばらく時間が過ぎた頃、領主が二人に声を掛けた。
その声掛けに応えて、彼らは川の上流に向かうため、再び馬車に乗り込むのだった。




