海の友情
視察の最終日となる朝、日が昇り始めたころアリシアの部屋の窓をコツコツと叩く音がした。
音に気がついたアリシアが静かにカーテンを開けると、そこには前にアリシアの腕の中から離れようとしなかった鳥がいた。
どうやらくちばしで窓を突っついて音を出していたようである。
アリシアが窓を開けると、その鳥は何のためらいもなく部屋の中に入ってくると、アリシアの腕に飛びついて止まった。
そして、撫でろと催促するようにじっとアリシアを見ている。
来客の態度に思わずクスクスと笑いながら、アリシアはお客様の要望に応えるべく背中をやさしく撫でた。
「おはよう。今日も朝早いのね。遊びに来てくれたの?」
アリシアが声をかけると腕に黙って頭を摺り寄せてくる。
「このままだとお出かけできないわ。着替えるからお外で待っていてくれるかしら?」
アリシアが言うと、擦り付けていた頭をあげて、おとなしく開けっぱなしになっていた窓の外に自分から出ていくと、窓を叩いていた位置で振り返った。
どうやらここで待っているらしい。
アリシアは一度窓とカーテンを閉じると急いで軽装に着替えた。
着替えが終わると再びカーテンと窓を開ける。
「おまたせ」
アリシアが声をかけると、再び鳥はアリシアの腕に飛び乗ってきた。
「今日もどこかに案内してくれるの?」
上に飛び乗った鳥を抱え直しながら聞くと、キューという鳴き声が返ってきた。
そして窓の外を見るように首を振って促す。
促されるままアリシアが窓の外を見ると、遠くの岩場に少女が経っているのが見えた。
「じゃあ、玄関から外に出るから、外に出るまで静かにしていてくれる?」
鳥の背中を撫でると、今度は声を出さずに頭を摺り寄せてきた。
アリシアはその様子を確認すると、鳥を抱えたまま静かにドアを開けて外に向かうのだった。
アリシアは外に出ると砂浜を通って少女を見かけた岩場に足を向けた。
アリシアに抱えられて腕にすり寄って一向に飛び立つ気配も指示する気配もないので、おそらくこの子が案内したいのは岩場で間違いないのだろう。
目的の岩場についたアリシアは、足を滑らせないよう少女に近づいた。
「おはよう」
「また一人でいたら彼に怒られちゃうんじゃないの?」
彼女はかわいらしい笑顔をアリシアに向けた。
「大丈夫よ、近くだもの。わざわざこの子が呼びに来てくれたからお誘いに乗ったのよ。それよりここは目立つ場所だと思うけど、こんなところにいてよかったの?」
腕に抱えた鳥を撫でながら、なぜ少女が自分の部屋の窓から見えるところにいたのか気になって聞いた。
アリシアの部屋から見えるということは、同じ通り沿いにある家々の窓からも見えるということである。
「ええ。今日は広い場所の方が良かったから」
少女がアリシアの腕の中の鳥に手を伸ばす。
鳥は指で頭を撫でられると、首をすくめて目を閉じてキューと気持ちよさそうに鳴いた。
「そうなのね。呼ばれていることに気がついてよかったわ。実は今日、朝食の後にこの街を発つのよ」
「そうだと思った。視察も一通り終えたみたいだったから、そろそろじゃないかって。私はこの子たちとしか一緒に生きられないけれど、あなたは違うわ。森の子たちとも海の子たちとも仲良くなれるんだもの。どこへ行っても大丈夫。私とは違う」
「そう言ってもらえると心強いわ。ありがとう」
「今日が晴天でよかったわ。それじゃあ始めるわね」
少女が手を振り上げて合図をすると、海の奥の方で大きなしぶきが上がり始めた。
四方八方に飛び跳ねては沈む海の生き物たちが、自分のできる最大のジャンプでしぶきを高く大きく上げていた。
「海の方を見ていてね。そろそろ見えてくるわ」
彼らが飛び回ってしぶきを上げた場所にはきれいな虹がかかっていた。
「どうかしら?」
「ありがとう。とてもきれいだわ」
彼らの作り出したしぶきが、さまざまな大きさの水滴のカーテンのようになって反射しているのだろう。
「どうしてもこれを見せたかったの。この時期はスコールも少ないし、虹がなかなかかからないけれど、こうすると虹を作ることができるの。みんなが頑張ってくれたのよ」
気がつくと頑張って飛び跳ねていた一頭が彼女たちの側に来て頭を出していた。
すると先ほどまで腕の中でおとなしくしていた鳥がその子の頭に飛び移った。
そんなことには動じず、その子はまっすぐにアリシアの方を見ている。
まるで感想を求めているかのようである。
「とてもきれいなものを見せてくれてありがとう。他の子たちにもよろしくね」
身を乗り出して海から頭を出している子を撫でようと手を伸ばすと、その子がキュッっと小さな声で鳴いて少し体を持ち上げるとアリシアにキスをした。
アリシアはその子に頬を寄せようと、どんどん身を乗り出していった。
「それ以上頭を乗り出したら体ごと海にまっさかさまよ?」
少女が強い口調でアリシアを止めた。
その声に驚いてアリシアは体を起こした。
そして我に返って自分の周りを確認する。
「本当だわ、いつの間にこんなところまで来ていたのかしら……?」
アリシアは海に迫り出した岩場の先端に膝をついた状態で手もつかずに体ごと前に乗り出していた。
「海には人や動物を引き込む魔力があるって言われているわ。魅了されていつのかにか海の中なんてころもあるのよ?」
からかうような言い方ではあるが、おそらく彼女は海に魅了された一人なのだろう。
冗談に聞こえなかった。
「私はこの子達といられて、海で生活ができて幸せよ。でもあなたは違う。私のように引き込まれてはいけないわ。あなたの幸せはここにはないもの」
「それって……」
おそらく館で聞いた話のことだろう。
アリシアは話しの続きに耳を傾ける。
「これは、私が望んでしまったことなの。私はね、海沿いにある家に住んでいたの。水害のあったある日、家に水が入ってきて、海の妖精が一緒に来たわ。そして一緒に行こう、私たちと一緒に暮らそうって言われて、私はそれを自ら選んだの。それから気が付いたらこの生活になっていたわ。覚えているわけではないけれど、水に入ることを怖いとか、苦しそうとかそういうことも感じなかった。今のあなたのように、無意識に海の方に引き込まれていて、いつの間にかそうなっていたのよ」
少女は一度海に目を向けて何かを確認してから、表情を曇らせて俯いた。
「海の妖精たちは、もしかしたら私の側に友達を置いてあげたいって考えたのかもしれないわね。私のせいかもしれないわ……」
「そんなことはないわよ。気にしすぎじゃないかしら?それにあなたは止めてくれたでしょう?」
「もし仮に、私と同じ立場になるとしても、あなたが生きるべきところは海ではないわ。それにもし今後、自然と生きて行く道を選ぶことになるとしても、あなたはきっと森を選ぶでしょう?」
「そうね、自分で生きて行く場所を選べるのなら、私は生まれた時から一緒にいた森の家族たちと暮らしたいわ」
実は一度、自分が彼女と同じように森で生きることを選択しようとしたことは言えなかった。
彼らが無理にアリシアを森に引き込んだわけではない。
自分で家を出て森に頼んだ形なのだ。
そんなことを思い返していると、少女がぽつりと言った。
「私、一つだけ後悔していることがあるの」
「え?」
「離れたくないと悲観せずに、一度でも王都に行ってみればよかったのかもしれない。私のことで、相手の方を深く傷つけてしまったと後から知ったの。もう取り返しがつかないけれど、私は相手の方が嫌いだったわけではないのに……」
「そう……」
アリシアが森に入った時、まだ相手のことは知らなかった。
でも、フランツは相手がアリシアであることを知っていたと言っていた。
アリシアもフランツのことが嫌いなわけではない。
あの時、自分が自然と共に生きることになっていたら、同じようにフランツを傷つけていたのだろうか。
「ねぇ、私、あなたは彼にものすごく愛されていると思うの。あなたを探しに来た彼を見ていて思ったわ。だからね、同じことになったら、私が相手の方に負わせてしまったものより大きな傷をあなたは彼に与えることになると思うわ」
「そうかしら……」
「ええ、きっとそうだわ。だってほら。またお迎えにくるみたいだもの」
アリシアが少女の見ている方に視線を向けると、フランツらしき人が砂浜を歩いてこちらに向かってくるのが見える。
「じゃあ、私はお暇するわね。また遊びに来たら、その時またゆっくりお話ししましょう」
「ええ。きっとくるわ。楽しみにしているわね」
動物の上に乗っていた鳥はいつの間にか空を旋回し、海の動物は背びれを向けて彼女が乗りやすいように準備している。
少女はその背中に乗って背びれにつかまると、海の方に去っていった。
アリシアは少女と海の動物たちを見送りながら、初日の夜、月夜の中に見たのはこの光景だったのかと納得するのだった。




