夜の海
バルコニーで日が沈むまで海を眺めた二人は室内に戻ると改めて使用人たちに挨拶をした。
アリシアは到着した時の非礼を謝罪したが、彼らの目はなぜか温かく、まるで気にしていないといったようだった。
挨拶が終わるとすぐに夕食の案内を受けたアリシアたちは、部屋に行くこともなくそのまま食堂に足を運んだ。
食堂には海に面して大きな窓があり、二人は夜の海を見ながら食事をすることになった。
「ごめんね。長く外で風に当たっていたから冷えてしまったよね。実はここからでも充分海は楽しめるんだけど、バルコニーの方が風や音、においを感じることができるから好きなんだ」
「いいえ、寒くは……」
フランツにずっと抱かれていたことを思い出したアリシアは、フランツが風よけになっていたことに気がついた。
「申し訳ありません。フランツ様の方が寒かったのでは……」
「僕は大丈夫だよ。むしろ、幸せだったかな。二人でゆっくり海が見られて」
フランツはアリシアに笑顔を向けた。
「幸せ……ですか。フランツ様はとても海がお好きなのですね。景色だけではなく、風も、音も、においも、すべてを感じてそうおっしゃってますもの。そこにご一緒させていただいて光栄でした」
自分が森を感じているのと同じものを、フランツは海に感じているのだろうとアリシアは思った。
フランツにとってはアリシアに抵抗されなかったことの方が価値の高いものだったが、彼女には通じない。
「気にいってもらえたならよかったよ。今日はずっと移動していたから疲れているよね。ここには数日滞在するし、荷物は部屋に運ばせてあるから、食事が終わったらゆっくり休むといいよ。部屋は二階だから、こことは違った景色が楽しめると思う」
「ありがとうございます。お部屋も楽しみです」
そんな歓談をしながら食事を済ませると、フランツ自らアリシアを部屋へと案内した。
この屋敷は窓が多いからか、廊下もあちらこちらから月明かりが入ってきて比較的明るい。
「ここだよ」
フランツに案内されたのは、ちょうどバルコニーのあった場所の真上にあたる部屋だった。
おそらく客室の中でも、一番眺めのよいところをアリシアの部屋にしてくれたのだろう。
ドアを開けて中に入ると、アリシアの荷物が壁側に大量に積み上げられている。
フランツはその荷物を見ながらため息をついた。
「ごめん、たぶんどれが必要なものか分からないから全部ここに運び込んだんだと思う。戻るまで使わないものや、ここでは必要ないものがあったら馬車に戻すように言うから遠慮なく言ってね」
「わかりました。私も分かるようにしておけばよかったです。余計な手間をかけさせてしまいました」
自分の怠慢だとアリシアは反省した。
森の辺境領での積み込みもアニーに任せて見ていなかったし、ここについてからも荷降ろしの指示を出さずにバルコニーで夕日を眺めていたのである。
次の積みこみの際には、何が必要なものかをわかるようにしておき、自分で指示を出そうと決める。
「次に荷物を移動させる時は、最低限で済むように指示を出せるようにしておきます」
「あんまり気にしなくていいんだけど、そうしてもらえると彼らも喜ぶと思う。こんなに荷物があったらアリシアが生活するのに邪魔になるんじゃないかって思っただけなんだ。大丈夫ならいいよ。おやすみ」
フランツはそう言って部屋から出ていった。
フランツはアリシアと同じ階、すぐ近くの部屋を利用しているため、すぐに近くの部屋のドアの開閉の音がかすかに響いた。
その音を聞きながら、
「おやすみなさい」
と、アリシアは一人つぶやいた。
そして自分はまだ眠れそうにないと、窓から真っ暗な海を眺めることにした。
夜の海は森の木々が葉を揺らして波打つ様子とよく似ている。
木が傾いて風の位置を知らせるように、波が音を立てて海岸に寄せている。
違うところといえば、波は風向きに関係なく海岸に打ち寄せては引いていくところと、月が照らしても木々は所々で光を反射するだけだが、海は月そのものを映し出しているというところだろう。
アリシアがぼんやりとしていると、沖の方に盛り上がっては消える影があることに気がついた。
それは同じところに現われては消えているように見えて少しずつ場所が移動している。
規則的な浮き沈みをしているため、とても流されているようには思えない。
そして時々月に映し出されるシルエットでは、その上には何かが乗っているように見えるが、距離が遠くアリシアからはそういうものがあるとぼんやり認識するのが精一杯である。
そもそも海を見るのも初めてだ。
本で読んだり、学校で学ぶことがあったため知識では知っているが、もしかしたら海というところではそういうものが見えるのが当たり前なのかもしれない。
これ以上気にしても仕方がないとアリシアは窓から離れてベッドで休むことにした。
ベッドに入ると、急に旅の疲れが出たのかすぐに睡魔が襲ってくる。
アリシアはその睡魔に逆らうことなく、そのままおとなしく眠りにつくのだった。
朝方、早い時間に目を覚ましたアリシアは、カーテンを開けて窓の外を見た。
海の周辺は夜明けの空を映していて少し明るい。
アリシアがふと下を見ると、昨日フランツと二人で海を眺めたバルコニーがあった。
そしてその横、バルコニーの外側に階段があることに気がついた。
玄関から出て、建物の外側を回りこめば階段に出られるようで、階段から砂浜へ降りられるようである。
海に近付けるとわかると、アリシアは昨夜見た不思議な影の正体が気になりだした。
同じ場所から見ているはずなのに、今確認しようとしても、そのような影になりそうな岩や船、魚などは見当たらない。
幸い、時間が早いためか砂浜を誰かが歩いている様子はなく、船が近くを通る様子もない。
障害になるものが何もない今の時間に海の近くへ行けば、昨日見たものがわかるかもしれない。
アリシアは寝間着から動きやすいワンピースに着替えると、静かに屋敷を抜け出すと浜へ降りることにしたのだった。




