婚約発表と環境の変化
王都上級学校に進学して二年目の春を迎えて間もなく、王宮で行われた夜会でフランツとアリシアの婚約が発表された。
春に発表とは言われたものの、本人がその場にいない状態で発表されると思っていなかったアリシアはこの話を聞いて驚きを隠せなかった。
「アリシア!おめでとう!」
ノックの音に気が付いたアリシアがそっと部屋のドアを開けると、マリーはアリシアに飛びついてそう言った。
その夜、夜会にアレクとともに参加していたマリーが、寄宿舎に戻ってきたその足でアリシアの部屋を訪ねてきたのだ。
「な、何の話をしているの?……マリー?」
アリシアに抱きついたままなかなか離れないマリーに中に入るように勧め、部屋のドアを閉めた。
「お茶を入れるわ……」
「ありがとう」
お茶の準備をしながら、着替えて戻ってくることを勧めたが、マリーは興奮冷めやらぬ様子ですぐにでも話がしたいと夜会のドレスのまま椅子に腰をかけた。
お茶の準備を終えるとアリシアもマリーと話すため、椅子に座った。
「マリー、どうしたの?」
「今日、フランツ殿下の婚約発表があったのよ!アリシアがフランツ様の婚約者になったなんて、びっくりしたわ!この間領地に戻ったのもそのことだったのね!」
勢いがおさまらないのか、マリーはどんどん話を進める。
「夜会で交流なんて忘れてしまうほど驚いたんだから。それでアレク様に聞いたら、アレク様は知っていたって言うのよ?私だけ知らなかったなんて、ちょっと寂しくなってしまったわ」
ここまで話しきったところで落ち着いたのかマリーはアリシアの用意したお茶に手を伸ばした。
「ごめんなさい。私も先日領地に呼び戻されてから知ったの。でも、正式な発表をしていない間は他言無用と陛下からも厳しく言われていて……。あと、アレク様が知っていたということは、私は初耳だわ……」
アレクは今夜発表ということであればその準備で知ったのかもしれない。
アリシアはこんなに早く発表されるとは思っていなかったので欠席したのだが、少々気まずくなってマリーから目をそらした。
「フランツ様はアリシアが来ないことをわかっていて今日発表したみたいだったわよ?」
「えっ?」
マリーの言葉にアリシアは顔を上げた。
「発表直後、フランツ様を狙っていた令嬢たちが殿下を取り囲んだり、娘を持つ領主たちが詰め寄ったりして荒れに荒れてたから……。アリシアが横に立っていたら確実に巻き込まれていたはずだし、危害を加えられかねなかったから、いないところで発表して正解だったと思う」
「そうなの……」
本当はそのような騒動も受け止められなければならない立場になるはずだが、アリシアがいないところで婚約発表をされたことで、フランツに守られる形となってしまったらしい。
「そんな感じで結局、近衛騎士たちが出てくる事態になったから、アレク様が早く帰るようにって。それでこんなに早く戻ってくることになったの。アレク様は私を送ってすぐに会場に戻られたのよ。まだ早い時間だったし、早く知らせたかったし、アリシアはまだ起きてるんじゃないかと思って……」
「ありがとう……私、全然知らなくて」
「たぶん、明日はこの話で持ちきりだと思うわ。アリシアも覚悟した方がいいと思う」
「ええ、覚悟しておくわ」
マリーはこの話を終えると、そろそろ着替えて休むとアリシアの部屋を出た。
アリシアはマリーを見送ると、そのままベッドに入って休むことにしたのだった。
翌日、授業に向かうためマリーと校舎に向かうと、アリシアは多くの視線を集めることになった。
王都上級学校の大半は夜会に参加していたようで、アリシアはフランツの婚約者として注目の的になっていたのである。
初等学校と違うのは、悪意のある噂ではないことと、クラスメイトや講師たちが普通に接してくれるところだった。
「このクラスは貴族ばかりだから、みんな学生の中から王族に嫁ぐこともあり得るということは頭の片隅にあるわよ。それがたまたまクラスメイトだっただけね」
昨夜の興奮はどこへ行ったのかと思うくらい冷静にマリーは言った。
「でも、昨日は……」
「あ、あれは……突然だったし、友達がって思っただけよ。他の子だったら取り乱したりしなかったと思うわ。まあ、このクラスの人はアリシアが相手なら納得してると思うけどね」
「そうかしら……」
教室の中は平和だったが、そんな話をしている休み時間の間にも、アリシアの姿を一目見ようと教室の入口から遠巻きに見ている人が目についた。
「昨日の今日だから仕方がないわ。私が一緒にいるから大丈夫よ。それに、この学校に通っている学生たちはいずれアリシアと関わり合いになる人が多いと思うの。だから一目、確認しておきたいのかもしれないわ」
「そうね。そう思うことにしておくわ」
アリシアはしばらく視線を集めながら学校生活を送ることになるのだった。
その日の夕方、婚約発表の翌日、フランツからアリシア宛の手紙が届いた。
まず、アリシアに知らせる前に発表を行ったことに対する謝罪。
発表したこと、つまり周知したことによって、婚約の件のみ公にできること。
経緯については書簡の内容ではなく、あらかじめつじつまを合わせた内容で統一すること。
というのが主な内容だった。
その手紙にはマリーが言っていた、アリシアがトラブルに巻き込まれることを懸念したという内容がなかったが、それはフランツの心遣いなのだろう。
アリシアはその日のうちに内容を確認した旨と、自分に配慮してくれた感謝の意を手紙にしたためて、返信することにしたのだった。
婚約発表が行われてからというもの、アリシアは気を抜くことが許されない生活を余儀なくされた。
どこに行っても人とすれ違えば観察される。
アリシアは初等学校と同じように人のいない場所を探して歩かなければならないのかと考えるようになっていた。
そして、ふと思い出し、ある場所に向かうことにした。
自分が足を運んだら誰かついてくるのではないかという不安は、杞憂だった。
人がいなくて、気を使わずに話しのできる相手がいる場所、図書室である。
春は入学シーズンで、まだレポートなどの提出を要求されないせいか、とても静かで利用者はほとんどいなかった。
彼女はさらに人のいない古い文献のあるコーナーに向かった。
すると今日も当番の妖精が棚を行ったり来たりしているのが見えた。
「こんにちは」
「あ、久しぶり……?学校始ったんだー」
「ええ」
「元気ないねー」
「ちょっと疲れただけよ」
「ふーん。まあゆっくりしていきなよ」
お茶でも出てきそうな文句を言いながら作業に勤しむ妖精たちは平常営業だった。
環境が変わりすぎたアリシアにとって、いつの間にか普通となっていた上級学校での生活が変わらずにあることに安堵しながら、その日は妖精に癒される時間を過ごしたのだった。




