初等学校入学
アリシアも六歳となり、領内の初等教育を受けるため、学校に入学することになった。
教育制度に関しては領内で自由に制定できるが、森の辺境領では、六歳から入学が可能で、最大十年間、十六歳までは無料で通うことができるだけではなく、所定の年齢を過ぎていたり、一度途中退学をした者であっても学ぶ意思のある人は有料での入学を認めている。
ただし無料教育は、領内に住み税金を納めるものの家族であり領内で育った子ども、もしくは、国から辺境に長期派遣され仕事に従事している親を持ち住居が領内にある子どもに限られる。
他の領地では有料教育がメインであることから、お金に余裕のある人しか教育を受けられず格差が広がりつつあるが、学ぶ意思さえあればしっかりと学べるため、家庭の事情に関係なく自身の努力や能力を身につけることができる。
森の辺境では無料教育が実施できるくらい、領地の運営がうまくいっているが、この教育制度で優秀な人材を育て続けた結果とも言える。
森の辺境領の初等教育の入校募集は年に二度あり、時期が指定されている。
入学初年度のみ共通科目の受講を義務付けており、主に共通語の読み書きを行うクラスに入ることになるが、再入学や編入学の場合は能力に応じて受講を免除される場合がある。
共通科目の授業は一日二時間のみで、予習や復習は自分で行うことになっており、年度末に本人の希望と能力、生活環境を考慮した上で次年度の科目選択が決定する仕組みだが、読み書きのレベルが低い場合は再履修となる。
好きな科目を選び、学ぶためには教科書が読める成績を修めなければならないのだ。
「行ってきます」
初登校の日、門のところまで見送りにきた両親に頭を下げて、アリシアは徒歩で学校に向かった。
街を通り、十分程度で校門の前に着くと、一度立ち止まり大きくため息をついてから校内へと足を進め、人だかりのできている校舎前に着くと、人々の後ろに静かについて辺りを見回した。
どうやら一人で来ている子どもは少ないようで、列のいたるところから話し声が聞こえてきた。
初等学校は原則として学校には入校希望者か、通学中の生徒、教職員と警備員以外は入ることを許されていない。
例え保護者であっても校内に入ることができないようになっている。
これは安全面に最大限配慮した上で決められたことである。
列に並んでいる子どもと一緒にいるのは、すでに在学中の兄弟や、友人のいる子どもなのだろう。
保護者が中に入れないため、親は子どもが小さい場合、入学時までに通学中の生徒に付き添いを頼むことが多い。
付き添っている子どもは最低でも半年は通っているため、落ち着いているが、初めてくる子どもたちにとっては目新しいものばかりなのだろう。
大きな校舎を前に楽しみだとはしゃぐ子どもや、不安なのか一緒に来ている人にしがみついている子どもが多く目についた。
他にも、明らかに年齢が上の子どもや、すでに成人していそうな大人が混ざっているが、こちらはおそらく途中入校や編入希望者なのだろう。
しばらく様子をうかがってきょろきょろしていると、いつの間にか自分の順番が回ってきたようで、大人の女性に声をかけられた。
「今日初めて来たの?一人かしら?」
どうやら職員のようである。
「はい」
「じゃあ、家に送られてきた証明書は持ってきてるかしら」
アリシアは聞かれるがまま、出かける際に手にした鞄から持たされた封筒を取り出して渡した。
「これですか?」
職員はアリシアに手渡された封筒から書類を取り出して目を通すと、封筒に戻して脇に抱え、空いている手を差し出した。
「ありがとう。それじゃあ教室に案内しますから一緒に行きましょう」
アリシアは黙ってうなずくと、差し出された手を取った。
促されるまま、職員に手を取られて歩いていくうちに、他の職員に案内された生徒がそれぞれの教室に吸い込まれていくのが見えた。
すべての教室のドアは開けっぱなしになっているので、通りすがりに中を覗いてみると、机まで案内された生徒と何かを話したら、すぐに職員が出てくる様子などもうかがえた。
どうやら一生徒ごとに教室が違うので、職員が個別対応をしているようだった。
案内を終えた職員がすぐに元来た道をあわただしく戻っていくところをみると何往復もしているのだろう。
職員と手をつないだまま周辺を見回しながら歩いていると、
「何か気になることはあった?」
と声をかけられた。
「広いので迷いそうです」
「そう。でも教室までは難しくないし、授業が始まる前に校舎内を先生と一緒に歩いて案内を受ける日があるから今覚えなくても大丈夫よ」
女性職員の言う通り、距離はあるものの、教室までは階段を上ったりすることもなく、入口から一度曲がっただけで、後はまっすぐ歩いているだけで到着した。
職員が他の教室と同じように開けっ放しになっているドアをくぐると、アリシアもそれに続く。
アリシアが中に入ったのを確認すると、彼女はあたりを見回して近くの空いている席に案内した。
アリシアが席に座ったのを確認すると、
「明日から席は早い者勝ちだから、空いている席に座ってくださいね。荷物を置いて帰ることはできないから忘れて帰らないようにしてください。生徒全員が教室に着いたら先生が説明を始めるので教室の中で待っててくださいね」
と言い残して女性職員は教室を後にした。
慌ただしく案内の職員が出入りするうちに、教室の席が満席になった。
満席の状態を確認した職員が、
「もうすぐ先生が来るので座っててくださいね」
と言って教室を出ていくと、ほどなく先生と思われる大人が教室の中に入ってきて、開けっ放しだったドアを閉め、説明が始まった。
結局その日は一年間クラスを担当するという先生が自分のことを話して、生徒たちは一人ずつ立って名前を言っていくだけの自己紹介を済ませ、簡単な注意事項を説明されただけで終わった。
実はこの学校、入退校者の多いこの学校では卒業式以外、特別行事は行われないのだ。
翌日も校内を案内されて終わる。
結局、オリエンテーションのようなものだけで一週間が過ぎていった。
アリシアは特に誰かと話すわけでもなく、ただ先生のいうことを聞くだけの生活を送っていた。
オリエンテーションが終わり、いよいよ授業が開始された。
オリエンテーションとして校内案内を受けながら、コミュニケーション能力の高い子どもは、すでに友達を作り楽しそうに過ごすようになっていた。
しかし、アリシアはその輪の中に入ることもなく、ただ言われた通りに勉強をして帰るだけの学校生活を送っていた。
授業のメインは読み書きであり、文字をかけるようになることや、振り仮名をふれるようになることであって、不明点がなければ授業中に発語する必要は一切なかったし、一日二時間という短い時間のため、一時間後にある数分の休憩と登下校くらいしか生徒同士が話をするタイミングはない。
仲良くなっている子どもたちはその時間を大いに使って楽しそうにしていたが、アリシアにとってはどうでもよいことで、特に会話の中に入りたいとも、入らなければならないとも、寂しいとも何とも感じていなかった。
教室の誰とも一切会話がなくても、授業で差別されることもなければ、クラスメイトから何も干渉を受けなくてすむことが一番の平穏だった。