許嫁契約の真相
クレメンテが書簡を受け取り、まさにこの書斎で頭を抱えながら一日かかって読み込んだものだが、あれからこの鍵を開けたことはなかった。
ついにこの日が来たのかと思うと少し複雑な気分にもなった。
クレメンテは書簡を持って、何もなかったかのように表情を繕って顔を上げた。
「アリシア。今から渡すものは国家機密に該当するものだ。絶対に失くさず、読んだら速やかに返却しなさい」
クレメンテが返却を求めたのは、何かあった際に自分が責任を負うつもりだからである。
こう言っておけばフランツ殿下という証人もいるのだから、アリシアが仮に書類を紛失したりしてもかばうことができるだろう。
「はい」
返事をしながら書簡を受け取ったアリシアは、その量に驚きつつも、すべてに目を通すことを決めた。
父が自分のために抱えていたものをしっかりと受け止めるためには必要なことだと考えたからである。
「確かにお預かりいたします」
アリシアはフランツと父親に退室の許可を取ると、父に渡された書簡と、自分が持ち込んだ手紙をしっかりと抱えて部屋に戻っていった。
アリシアが去って、クレメンテの書斎にはフランツが残っていた。
「殿下……」
「なんですか?」
「よろしかったのですか?」
「何がでしょう?」
察してくれというのは無理だと判断したクレメンテはようやく重い口を開いた。
「先日もお話ししましたが、あの子は少し変わっているのです。もちろん、殿下に恥をかかせることのないよう教育は行ってまいりました。しかし会って間もない殿下がわざわざこの地まで来てここまでしてくださる理由が……」
「なるほどな……。先日の理由では足りないと……」
「いえ、決してそのようなことでは……」
フランツの一連の行動を否定したいわけではなかったクレメンテは、慌てて否定した。
「いや、いい。……そうだな」
知らない人なら納得する理由でも、政略結婚であることを知っている人間には通じないものだろう。
もちろん直接話した留学のことは言えない。
出せる情報は限定的だが、娘を差し出す親に安心を与えるのも自分の仕事だと、フランツは言葉を選ぶことにした。
「まず、王家にふさわしいかどうか、それは報告されたものだけを信用したわけではなく、実際に調査も行っている。それもわりと頻繁にだ。行動だけではなく交友関係なども細かく調べてある。叩いてほこりが出ては困るからね。そして、私もその調査に加わったことがある。彼女は夜会が初対面でも、私はそうではない。そして私がアリシアを選んだ。納得いただけましたか?」
フランツはアリシアに直接接触したことは口にしなかった。
ロビンソンのことを伝えることはできないし、調査の過程で人間との接触が極端に少ないアリシアの耳に入ったら、消去法で留学生の可能性が浮上してしまうからだ。
「……わかりました。殿下がアリシアのことを、あの子と向き合って選んでくださったのでしたら安心してお任せできます」
「すまないが、今の話も極秘事項だ。世間的には私が夜会でアリシアを見染めて婚約することになる。最後まで合わせてもらわなければならない」
「心得ました」
話を終えたフランツが書斎から客室に戻ると退出するというので、クレメンテもこれ以上は追及できなかった。
フランツを見送ったクレメンテはドアを閉めるとソファーに腰を下ろした。
気を張っていたのか、どっと疲れを感じ意識がぼんやりとした。
ぼんやりとする意識の中で、今までのこと、先ほどのやり取りが頭の中を駆け巡っていく。
相手を選ぶことはできない結婚だが、少なくともフランツ殿下はアリシアを大事にしてくれるだろう。
国の重責を担うことになる娘が、せめて寵愛を受けられればという親心からの質問だった。
アリシアが彼に心を寄せることができればいいのだろうが、出会ったばかりで現状を受け入れることに必死な娘に要求するのは酷だろう。
恐れ多いことだが、自分の手を離れた娘を任せるに足るかを知りたかった。
打てる釘は打った。
後はなるようにしかならないのだ。
ぼんやりしていた意識が徐々にはっきりしてきたクレメンテは、書斎を出て執務室に移動することにしたのだった。
部屋に戻ったアリシアは、机に向き合いきちんと座ると、封筒に入れられた非常に分厚い書類を取りだした。
「大切なお仕事を預かってきたから下がっていてちょうだい」
お茶の用意をと侍女たちが準備を始めたが準備を終えたところで人払いをした。
そして部屋に一人になったところで、一度深呼吸をすると早速内容の確認を始める。
表紙の次からは文字がぎっしりと並んでいて、どのくらい時間がかかるのか想像がつかなかった。
「お父様は、私が生まれてすぐにこれを受け取ったのね……」
思わずつぶやきがこぼれた。
この内容を全部読めば、今まで父親がなぜ厳しく育てたのか、なにより、なぜ当事者である自分に説明ができなかったのかがわかる。
本来は自分が見ることの許されなかった書簡の閲覧を許可したフランツにも感謝しなければならない。
その感謝はこの内容を正しく理解することで返そうと、アリシアは気合を入れ直し、一枚一枚丁寧に文字を追っていった。
この内容を残すことができないという文面がある以上、書きながら頭を整理するわけにもいかない。
書き出したらそれも証拠となってしまう。
「お父様……大変だったでしょうね」
一区切りついたところで顔を上げたアリシアはつぶやいた。
この細かい条件の隙間を縫ってよくここまで自分に説明ができたものだと、父の有能さに改めて感心させられていた。
今まで説明された内容に齟齬はない。
言葉を吟味した上で最大限伝えようとした配慮も、これを読めばわかるという言葉の意味もよく理解できた。
そして、今日中にすべてに目を通して、父親ともう一度話をしようと決心し、冷めた紅茶を飲み干すと、もう一度紙の山に向かった。
結局アリシアは昼食も食べずにこの書簡を読み続け、夕食で声がかかるまで部屋から一歩も出ることはなかった。




