春の初め
娘の手紙と国王からの手紙を見比べながら、クレメンテは頭を悩ませていた。
それぞれの手紙の内容から、いよいよ話が進むのだということはわかった。
しかし国王からの手紙も、正式な婚約の申し入れではなく、夜会で彼らが出会ったことで準備が整ったこと、アリシアと話した殿下が前向きに話を進めたいと考えているという事実だけで、アリシア本人に内容を伝えてよいというものではなかった。
クレメンテも婚約の件に関しては、そろそろ本人が相手のことを知らないと肩身の狭い思いをするのではないかということは考えていた。
実際にアリシアからは、自分の知らない婚約者がいるけれど相手に説明できないし、それを伝えてもよいのか、伝えないならどうかわしていけばいいかという相談交じりの手紙が届いている。
そもそも、本来王族からの招待は断るものではないため、王都に生活の拠点が移ればすぐに話が進むと考えていたが、まさかアリシアが義理立てして誘いを断り続け、結果、相手と出会うことがなく進展できない状態が長く続くという悪循環に陥るとは想定されていなかったのである。
そして悩んでいるうちに届いた、もう一通の手紙には、ここまで連絡がないのだから、卒業までの間に仕事を探すことにするという内容が書かれていた。
そして長期休暇も実家には戻らないと。
婚約の話が進むと連絡が来ている以上、アリシアの就職は阻止する必要がある。
正式な話はないが書面は届いているのだ、まずは本人と話をするしかない。
そうして一つの結論にたどり着いたクレメンテは、寄宿舎にいるアリシアに手紙を書くのだった。
アリシアが悩んだ末、返事を待たずして冬の間に追加報告として手紙を送っていたが、返事が届いたのは、冬も終わりを迎え、春の長期休暇が近づいてきた頃だった。
両方とも目は通されているようだったが、手紙ではできない話があるということで、父親から一度領地に戻ってくるようにと書かれていた。
しかし、帰って来いと言っているが、領地から迎えが来るという話もなく、特に日にちが指定されているわけでもない。
そのように領地に戻るか、自分で考えなければならない。
まず、馬車だと二日かかる。
しかし、自分だけが馬に乗るなら、朝出発してぎりぎり暗くなる前に到着するくらいの距離……。
アリシアは馬車の中で休まずに確認していた王都までの道のりを思い出していた。
迷うような道もなかったし、辺境領周辺まで森とか夜盗が隠れるようなところは通らなかったはず……。
丈夫な馬さえ借りられたら馬で帰った方がいい、そう判断したアリシアは、寄宿舎から見えている騎士コースの馬を借りられないかと交渉することにした。
寄宿舎から見えている馬は騎士が乗る大きなものだったが、初等学校で騎士科目の乗馬を受講していたアリシアには充分乗りこなせるものだと感じていた。
早速交渉しに行ったところ、授業で必要な場合は貸し出し不可となるが、それ以外は自習を目的に借りることが可能なシステムとのことで、手続きを済ませて代金を支払えば可能であると教えてくれた。
手続きは騎士コースの窓口で行う必要があった。
アリシアが春の長期休暇に実家へ帰るために利用したいと申し出たところ、
「通常はその日のうちに返してもらうんだけど……」
と言ってしぶっていたが、長期休暇は授業がないことと、危ない道を走らないということを説明して何とか許可をもらった。
借りている日数分のエサを積むのは難しいため、二回分は学校で用意するが、後は実家で用意してきちんと世話をすることも条件として付け加えられた。
王都上級学校一年目の最終授業を終えた日。
アリシアとマリーは食堂で夕食を取っていた。
この春は二人とも寄宿舎ではなく領地に帰るという話をお互いにしていたため、お互いに実家の話などで盛り上がっていた。
「そういえば……アリシアは馬が好きなの?」
マリーが唐突に話を振ってきたので、意味がわからないとアリシアが首を傾げた。
「部屋の窓からたまたまアリシアが馬舎にいるのが見えたから、馬が見たくて行ったのかなって思ったの」
マリーが見たのは、アリシアが馬を借りる交渉をしていたところだが、まさかアリシアが馬を借りるとは思っていなかったようで、柵ごしに馬を見せてもらっていると考えたようだった。
「ええ、馬は好きだけど、馬舎に行ったのは春のお休みの時に馬を借りたかったから、その交渉に行ったのよ」
「あ……アリシア、馬、乗れるの?」
「ええ、うちの領地は森が多いし、整備されていない道を進むのに馬車は不便なの。だから初等学校の時に乗馬を選択して大きい馬にも乗れるようにしたの。それに森の辺境領の人なら何かしらの馬には乗れると思う。授業を取っていなくても乗れないと不便だから、生活の中で自然と覚えると思うし」
「そ、そうなの……」
清楚でおしとやかに見えるアリシアからは想像できないと、マリーは唖然としていた。
「馬車だと二日くらいかかってしまうから、騎乗して帰る予定よ。一人で知らない街に泊まるのは不安だから、その日のうちに着きたいと思うわ」
アリシアの貴族令嬢らしからぬ発言に我に返ったマリーは聞いた。
「まって。アリシア、一人で帰るの?」
「ええ、早い方がいいみたいだから」
「それでいいの?」
「どういう意味かしら?」
「遠方に一人で行くって……。護衛とかつけないの?」
「ああ、馬を走らせ続けていれば狙われないと思うわ。領地までの道は比較的安全だってことは確認しながら来たし、見通しのいいところしか通らないから」
「アリシアって……たくましいのね……驚いたわ……。くれぐれも気をつけてね」
「ありがとう」
王都上級学校一年目最後の日の夕食は、アリシアの新たな一面を知ったマリーが驚くという展開で終えることになった。
春の長期休暇初日の朝、アリシアは食堂で早めに朝食を済ませ、最低限の荷物とお昼ご飯、飲み物を持って馬舎に足を運んだ。
飼育員には、足の強い馬を選んでもらえるようお願いしていた。
「こいつが一番元気なんだが……ちょっとお嬢さんには乗りこなすのが難しいかもしれないな」
連れてこられた馬は確かに足が丈夫そうな体の大きい馬だった。
騎士用の馬なのでよく走るが、速度もそれなりに早いので、きちんと乗りこなさないと落馬することがあるという。
アリシアは手綱を受け取り馬の正面に立つと、じっとその馬の瞳を見つめていた。
飼育員はもう少し安全そうな馬も見てもらいたいと他の馬を迎えにその場を離れた。
飼育員が離れている間にアリシアは馬に話しかけた。
「私を森の辺境領まで乗せてってくれるかしら?」
馬は快く引き受けると言わんばかりに首を縦に振った。
「よろしくね」
そう言ってアリシアは荷物をその馬に括りつけて、試しに馬の背にまたがった。
「もう一頭……って……よく乗れましたね……踏み台もないのに……」
すでに騎乗しているアリシアを見て、おとなしめの馬を連れてきた飼育員が驚いていた。
「この子をお借りしたいと思います」
飼育員がいない間に意思疎通を済ませていたアリシアは迷わずに言った。
「わ、わかったよ。そいつがおとなしく人を乗せてるのは珍しいんだ。お嬢さんのことを気に入ったみたいだから大丈夫だろう」
「ありがとう、行ってくるわ」
飼育員からも太鼓判をもらったアリシアは、そのまま構内を通り抜けると颯爽と校門から出て行った。
そうして無謀にも彼女は一人、森の辺境領に帰省するため馬を走らせたのだった。




